少し前に、夫の愚痴を書きましたが、ああいう事があると、夫はさすがに自分が悪いと分かるようで、しばらくは丁寧に話すように気を付けているようです。反省しているのがよく分かる。
私は、基本的には夫にはものを聞かない、という事を気を付けている。一方夫は、何か聞かれたら丁寧に答える、という事を気を付けている。
双方が気を付ける事で、私達夫婦は、なんとか平和にやっています。
さて。今日書きたかったのは、生きている事の色合い、について。
私は死んだら死んだで、別の世界があると思っているのですが、死んだ後の世界は、今生きているこの世界とは違うと思うのです。
で。今のこの生きている世界で起こる事は、「色合い」じゃないかと思ったのです。
良い事も、悪い事も、楽しい事も、困った事も、人生で起こる事は、快・不快で分けるのではなく、色合いのバリエーションなんじゃないかと。「色合い」だから、良い悪いはないわけです。
明るい色もあり、暗い色もある。濃い色もあり、薄い色もある。輝くような色もあり、沈んだ深い色もある。そういう色合いを見られるのは、生きている今だけなので、よくよく見て楽しもうと思う。
なんかちょっと、困ったなあとかアレは嫌だなあとか思う事があっても、生きているから見れる色なのだと考えると、そう悪くないかもと思える。あれは失敗だったと思う事があっても、じゃあ、上から違う色を塗ればいいか、と切り替え、思いがけず良い色だったら、心のシャッターを押して画像に残し、繰り返し眺めて和む。
好きな色ばかりだと単調だし、苦手な色ばかりだと目が痛い。色んな色合いがバラバラに、でも心地良く広がっていくのがいい気がします。
どんな事も、たかが「色」だと思えば、深く思い悩む事もなく、淡々と生きていけるのではないか。淡々と生きていく事が、結局は、心穏やかに生きる秘訣なのではないか。
ちなみに今日の色合いは、
朝から家事ルーティンを、汗ダラダラでこなしていた時は、輝くオレンジ色。
その後、シャワーを浴びて、エアコンの効いた涼しい部屋で少し読書。薄水色。
息子と喋りながら昼食。赤。
午後からは、用事と買い物で外出。青と黄色。
夕方からの一連の家事ルーティン中は、濃い紫(疲労困憊)。
夜ゆっくりくつろぎ中は、薄いベージュ。
そして、寝ている間は、多分、白。
こんな感じかな。夜が更けていくにつれて、段々色が薄くなっていくなあ。色の濃さはエネルギーの濃さなのかもしれません。言うても、全部私の個人的感覚でしかありませんが。こういう意味のない事を、意味づけて考えるのが、わりと好きです。
ではまた~