風邪はウィルス(稀に菌)が体内に入る事で発症する。このウィルスを殺す事は、外から入れる薬では出来ない。ウィルスを殺すのは、本人の免疫機構だけだ。薬に出来るのは、本人の免疫機構がウィルスを殺しきるまでの間の時間稼ぎ。免疫機構がより早く効果的に働けるように、不快な症状を抑える対処療法が薬に出来る限界。
これは、発達障害者についても、同じ事が言える気がした。
発達障害の問題特性は、外部からの働きかけでは治らない。問題特性を改善させる事が出来るのは、本人自身の努力以外ない。外部の人間が出来る事は、本人が頑張れるように、特性から起こる不快な状況を減らす対処療法のみ。
対処療法で時間を稼ぎ、本人が成長するのを待つ。
対処療法でしのいでいても、本人が変わらないまま終わる場合もあるだろう。
対処療法をしてくれる恵まれた環境に居続ける事自体、困難だ。発達障害者に対し、対処療法をしてあげる事は、とても忍耐力も手間暇もお金も必要なことだから。
外部から対処療法をしてもらえている間に、自分の力で根本原因を改善していける発達障害者は少ないだろう。それが可能かどうかも私には分からない。そもそもそれが不可能なのであれば、対処療法にかかる負担は、無駄でしかない気もする。根本的には何も改善されず、ただ時間稼ぎをしているだけと考えると軽く絶望するが。
息子は、自分がしたくない事はしたくない、自分の希望は全て叶えて欲しい、が根本にあり、これが揺らぐと悪い特性として不安に襲われ荒れる。私に出来る事は、彼がしたくない事はしなくていいと確約し、彼の希望は全て叶うと嘘八百を言う事で、彼が不安に陥るのを一時的に防ぐ事のみだ。
本当は、彼自身がしたくない事もやり、希望の全てが叶うわけではないと割り切れるよう、心を成長させる必要があるのだが、今のところそういう方向には行っていない。それでも我が家が平安なのは、私が対処療法をせっせとやっているからだ。比喩的に言うと、風邪ウィルスは依然として、息子の体内にある。私には、息子の体内のウィルスを滅する事は出来ない。
私は息子に話を合わせる事で、かろうじて時間稼ぎをしているに過ぎない。今現在問題が起こっていないだけでも良しとするのか、根本的に何も改善されていない事に絶望そ感じるべきなのか。よく分からない。
やっと関西も紅葉本番。