書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

上手く出来ている

 先日、桜井識子さんの記事を読んで、びっくりした後納得したので、今日はその事を書きます。

読んだ桜井さんの記事はコチラ↓

五島さん 〜長崎⑦〜 | 桜井識子オフィシャルブログ「~さくら識日記~」Powered by Ameba

 

 何にどう驚いたのかと言いますと、人は、死んだ後は、神様に会えないのだ、という事です。私は、死んだ後こそ会えるのだと思っていました。生きている今は、神様が見えない聞こえないけれど、死んだ後は見える聞こえる話せるのだろうと。どうも違うのだそうです。

 桜井さんの記事を抜粋させて頂くと、

「(生きている今は)、ご縁をもらっていたり、ご縁がなくても、お守りを握りしめて緊急で呼んだりすると、神様は助けに来てくれます。でも、死んでからはその恩恵が受けられません。つまり、神様やキリストに甘えられるのは、生きている間のみ、ということです。(五島さんのお話なので、桜井さんはキリスト教を例に挙げておられます)。キリストは教会で呼べば、降りて来てくれます。話を聞いてもらえますし、愛をいっぱいもらえますから、愛で満たしてもらえます。(神様や)キリストに甘えられるのは特権なのですね、今を一生懸命に生きている人間の……。」

 なんと。。

 そうなのか。。

 また、翌日の記事には、補足として、こういう風に書かれていました。

前回のお話で……あちらの世界に行ってしまったら、神様を呼んでも来てもらえない、というところにショックを受けた方がいらっしゃるかもしれません。説明が難しいのですが、人間は死んで成仏をしたら、「神様に頼る」ということがなくなります。生きている間は、つらいことや心配なこと、うまくいかないことなどが、たくさんあって、神様に助けてもらうしかない、という場面が少なくありません。人間の力では、もうどうしようもできない、ということは意外と多いように思います。けれど、あちらの世界に帰ったら、そのような「苦悩」とか「心配」とか「うまくいかない」とか、そういうものがなくなるのです。お金のことや、健康、人間関係、受験に合格、縁結びなど、いろんなことに言えると思います。

 成仏をしたら、人によってそれぞれのコースがあるのですが、一般的に言って多くの人は、ひとまず、〝ご先祖様〟という存在になります。子どもや孫などの子孫を守るご先祖様になるわけですね。(お子さんがいない、独身であるという方も、親兄弟など一族を守るご先祖様となります。ひとまず、ですから、その先があります)で、「あっ! 今日は息子の運が良くない日だ!」という日があったとします。その時に、ご先祖様である自分が、「神様にお願いをする」とか、「神様を呼んで何かしてもらう」ということはありません。なぜなら、ご先祖様になっている〝自分〟が息子を守るべきだからです。ご先祖様になっていれば、神様の力に頼らなくても守ることができます。

 「お願い事」を神様に何とかしてもらう……というのは人間がすることで、亡くなってあちらの世界に行くと、必要がないと言いますか、これはもう単純に〝しない〟のです

 

 生きている間は、修行の為に煩悩や肉体を持たされているので、困る事が沢山ある為に、神様が助けて下さるわけですねえ。でもって、神様に助けて頂くには、前提として、しっかり修行に励んでいる、という所が必須なわけです。

 修行する為にこの世に生まれてきて、頑張って修行しているわけだけれど、自力ではどうしてもうまくいかない部分を神様にお願いする事ができる、神様も、そこはちゃんと助けるべきかどうか判断して、助けるべきだと判断されたら助けて下さる、と。

 でも、死んだ後は、修行する必要はなくなるので、神様に助けて頂く必要もなくなる、という事なのですね。

 じゃあ、死んだ後はどうなるのか、どこへ行くのか、については、とても沢山選択コース(?)があり、桜井さんも一言では言えないそうなので、少しづつ説明して下さるそうです。更に次の記事で、こんな風に書いておられました。

前回の記事に関しまして、多くの質問をいただきました。あちらの世界に帰ったあと、どうすればいいのか、どうなっていくのか、その世界はどのようになっているのか……ということですが、実はたくさんの段階があります。さらに、さまざまなパターンがあって……かなり複雑です。しっかりした、わかりやすい説明をするためには、最初の時点(亡くなったところ)から1本のラインのようにして、じっくり書くべきかな、と思いました。ただ、現時点では、神仏に確認を取らなければいけないことが多くあるため、今すぐに書くのはちょっと難しいです。というわけで、そのへんのところをご理解いただけるとありがたいです

 

 いつかこの件について、桜井さんが、本かブログで、書いて下さるのを楽しみに待つことにします(^_^)。

  私が今回思ったのは、「うまく出来ているなあ」という事です。生きる事はしんどい事だから、助けが来る。しんどい事が無い世界では、助けはいらない。当たり前と言えば当たり前な話で。とてもシンプルでフェア。

 今度何かしんどい事があった時は、頑張って乗り越えつつ「ああ、こういう時は恩恵を頂ける時なんだな」と、理解すればいいわけですね。しんどい事態が起こってそれ以上生きていられないような時は、神様の恩恵を頂いて生き続け修行を続ける事が可能になる。生きるという事はしんどい事だから神様が見守って下さるわけで。でも、死んだらもうしんどい事は無くなるから、神様の見守りから外れる、という事。そう考えると、やはり、基本は「自分の魂一つ」なのであって、今いるこの人生は、過程の一つなだけなのだ、という事がよく分かります。

f:id:oinor-i:20190523145423j:plain