書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

クローゼットが消えた部屋にいた話

 昨日の夜中、寝ていてふとぼんやり目が覚めました。4時頃かな。ハッキリ目が覚めたわけではなく、うっすらぼんやりしていたのですが、目の前に、白い壁が見えました。

 うん?白い壁?

 と疑問に思いました。

 というのも、私の部屋は、ベッドの置いてある側と、反対側の壁沿いに、白いクローゼットがずらっと並んでいるからです。クローゼットなので、ドアもあるし、取っ手もあるし、上にも少し物が置いてあります。

 でも、その時見えたのは、上から下まで何もないただの白い壁でした。本来は、クローゼットがずらっと並んでいる筈の場所に、クローゼットはなく、白い壁がありました。

 ここは、私の部屋ではなく、別の知らない新しい部屋だ、と私は思いました。

 思った瞬間に、思いがけず、全身に、完璧に近い強い幸福感が溢れました。頭の先から足の先まで、一瞬で幸福感に満たされました。

 え?どういう事?

 突然の幸福感の出現にとまどいながら、私は再び、睡魔にのみこまれ、眠ってしまいました。

 

 朝起きてから、昨晩のあれは何だったのか、と思いを巡らせてみるに。

 私は、クローゼットがない部屋にいる事に気づき、今の自分の人生とは、違う人生に移れたのだと思ったのだと思います。(勿論、寝ぼけていて、クロ―ゼットが見えなかっただけだと思います。もしくは全てが夢だったのかも)。いずれにしても、私は、別の人生に移れたと思い、心の底から喜びホッとしたのでした。

 私は、普段、自分の人生に、ある意味では満足していると思っていました。思った通り、望んだ通り、計画した通りの人生を歩めているので。

 でも、今そういう人生を歩めているのは、その裏で、死に物狂いで努力しているからなのです。表面的な幸せを維持する為に、水面下で、ものすごく頑張っている、頑張らざるを得ない。しかも、その表面的な幸せはもろく、はかなく、運次第で、簡単に崩れ去ってしまう事を、私自身が一番良く知っています。だからこそ、一切手抜きなしに、必死で車輪を漕いでいる。落ちてしまわないように。

 私は、決して、真の意味で恵まれて完全な幸せな人生を歩いているわけでは、ないのです。それを、普段は意識しないようにしていました。でも、昨晩のことで、自分の心の中がよく分かりました。

 私はこの人生が、心底つらいと思っているのですね。でも、抜け出す事は出来ない、抜け出そうとしてはいけない。それも重々分かっているのです。だからこそ、自分から働きかけたわけではなく、ただ気づいたら別の人生にいたと分かった瞬間、全身が幸福感で満たされたのです。私はそれほど、今の人生をつらいと思っているのです。

 

 表面的にはうまく行っているのです。特に不満に思う部分はありません。でも、それを維持する為に、滅茶苦茶頑張らざるを得ない。これを、「幸せな人生」と呼んでよいかどうか。

 少なくとも私は、心の中では、この人生から抜け出したいと、願っているのだと分かりました。分かったからといって、どうする事もできないし、このまま頑張り続けるしかないのですが。

 まあ、多分、今は、息子の障害のことだけではなく、コロナ関連のあれこれで心が疲弊しているのだと思います。それはもう、世界中の皆様がそうだと思うのですが。

 めちゃくちゃ頑張らないといけない、というのも仕方ないし、コロナ関連のあれこれで疲弊する、というのも仕方ないし。どうしていいのか、どうすれば安全なのか、間違いないのか、分からないストレスの中に皆がいて、私だけじゃないからこそ、文句は言えないわけで。

 

 別の人生にいるのだ、と思った瞬間に全身を満たしたあの幸福感。あれこそはまぎれもなく私の本音なのだろうと思います。でも、私はこの人生を、死ぬまで頑張り抜きます。

 

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