先日、ショックだった事がありました。
石上神宮に楽しく参拝した日の翌朝、「ハッ」と気づいて神棚の所に行ったのですが、お供えしているお酒の器が、そのまま置いてあり、かつ、お水をお供えするのを忘れていたのです。
神棚には、1日と15日に、新しい榊とお塩、お酒を入れた器をお供えする事にしています。お塩は上げたままですが、榊は枯れたら下げます。そしてお酒は、その日の夕方にはお下げします。悪くなってしまうからです。
それが、お酒を下げるのを忘れていて、一週間近く置きっぱなしになっていたのです。下げた器を見たら、お酒はとっくに乾いてなくなっていて、尚且つ白と緑のカビまで生えていました。酷い。カビの生えた器を神棚に置いていたなんて、、。しかもこの失敗、私、初めてではないのです。すでに何回かやっています。
しかも、毎朝新しいお水をお供えするはずが、それも忘れていて、前々日のお水がそのまま置いてありました。
二重にひどい。私、最低。
初めて行く石上神宮の事で頭が一杯で、舞いあがっていたので、家の神棚のことはすっかり忘れていたのです。
そもそも、神棚のお水を毎朝新しくお供えする仕事は、夫の担当でした。が、その日は夫は数日の出張で、家にいなかったのです。なので、私が代わりにやるべきだと分かっていたのに、忘れました。
お酒やお塩や榊は私の担当ですが、毎日ではなく、月2回なので、その日のうちにお酒を下げるのを忘れたり、枯れた榊を片づけたりするのを忘れたり、も時々やらかします。
毎日同じ事をやっていると、飽きてしまって雑になる一方で、ルーティンから外れた事をやればやったで、ミスをします。ルーティン仕事はミスしないけれど飽きて雑になるし、ルーティンから外れた仕事は飽きるわけじゃないけどミスをする。結局、まともにちゃんと仕事ができない。
別に大事に至ったわけではないし、誰かに迷惑をかけたわけでもないのですが(神棚の神様には失礼をしてしまって申し訳なかったですが)、ショックでした。
楽しい事に浮かれていて、やるべき事をおろそかにしていた私って、愚かだな、と。遠くの神様にお参りしたって、身近でいつも守って下さっている神様をないがしろにしたら、意味ないし、意味ないどころか、とても恥ずかしいです。
石上神宮楽しかったなーと思っていた気持ちが、一気にくしゃんと凹んでしまいました。浮かれていた分、余計に自己嫌悪。
ミスした事が自己嫌悪なのではなく、自分の心構えの低さが嫌だったのです。派手なこと、目新しことにばかり目が行って、身近なこと地味なことを面倒がる自分。お酒を下げ忘れたのも、お水を供え忘れたのも、そもそもは、それが面倒で億劫だったからに他なりません。神棚のお世話を面倒で億劫だと思っている事に気づいて、自己嫌悪なのです。
霊格を上げたいとか、神様の方向に近づきたい、神社仏閣巡り楽しい、とか言っているくせに、私は、神棚のお世話を面倒で億劫だと思っている人間なんだと気付いて、落ち込みました。こんなんで「神様が好きです」とか言えないでしょうに、というか、そもそも好きじゃないんか、と思って。なんかガックリしました。
私は本当に、神様や仏様を好きなんだろうか。信じているのだろうか。好きで信じていたら、神棚のお世話を忘れるなんて事には絶対にならないんじゃないだろうか。
くよくよしても仕方ないので、反省して、その日からちゃんとやろうと心がけています。が、自分に対する人間不信が拭えません。今ちょっと自分の芯がぐらついています。
完璧な人間なんていないと分かっているし、完璧な人間を目指しているわけでもないのです。ただ、自分で自分にがっかりしたくない。また以前のように、自分を信用出来ていた自分に戻りたいと思う反面、自分を信用していた事自体が錯覚だつたのかも、と思ったりします。
ぐらぐらしながらも、立ち止まる事はできずに日々は続いて行きます。