書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

逃げるということ

 今日は、ふと思いついた事を、つらつら書きます。上から目線で偉そうな文章になるだろうと予測できますので、苦手な方は、ここまでにされて下さい。

 では始めます。

 とてつもなくしんどい時や、とてつもなく苦痛を感じる時、または絶対に自分には出来ないと諦める時、そこで無理して頑張って心身を壊しては元も子もないので、逃げるのは良い選択だと思います。

 でも。

 何でもかんでも、「嫌だから」「嫌になったから」「傷ついたから」「やりたくないから」「出来る気がしないから」等といったゆるい理由で、逃げるのは、自分にとって良くないと私は思っています。

 冷たい言い方ですが、他人がどれだけ逃げ癖がついていようと、ましてやそれを「嫌だから」「傷ついたから」と正当化しようと、全く問題を感じません。所詮、他人事なので。

 だから、これを読んで下さっている方が、もしかして逃げ癖のある人でも、その方に「逃げるのはやめたほうがいい」と言いたいわけではありません。

 ただ、私自身が、逃げない理由を、つらつら書きたいだけなのです。

 逃げ癖がついていると、人生が不安定になるんですよね。これは、今まで色んな人を見てきて思います。わざわざ苦労を自分から買って出る必要はないですが、生きていれば思いもかけない苦労があるものです。自分で買った苦労ではないですよ。たまたま天から降ってきたような苦労。或いは、自分のミスによる自業自得で起こった苦労。望んだわけではないけれど、とにかく苦労に直面する、という事が、生きていると時々あるんですよね。

 そういう時、苦労しそうになったら逃げる、という事を繰り返していいのか?という事です。苦労が目の前にあるのだから、被害者面したい気持ちは分かる。でも、

 嫌なのに無理やり頑張ったら病気になる。

 苦手なのに無理して頑張ったら病気になる。

 傷ついたのだから、逃げて当然でしょ。

 う~ん。本当にそうでしょうか?

 

 どうしてその苦労が、その人の人生に出現したか、その理由を考えるべきだと私は思うのです。

 先にも書きましたが、自業自得、というケースがけっこう多いはずです。1つの苦労から逃げた事で、別のもっと大きな苦労が出現し、その苦労からも逃げた事で、別のもっともっと大きな苦労が現れる。それも複数。こういうケースであれば、理由を考える事で、解決できるわけです。この時「嫌だから」「傷ついたから」というのは、理由にはなりません。嫌でも傷ついても、逃げない人もいるからです。逃げない事も可能だからです。なのに、なぜ自分は逃げたのか。そこを考えると、苦労の連鎖は終わります。

 一方で、これも先に書きましたが、たまたま現れた苦労、というのもあります。こちらは防ぎようがなく、理由もありません。でも、だから逃げてもいいか、と言えば、それも違うと私は思います。

 例えば、不摂生していたわけでもないのに、家族がたまたま大病に罹った、とか。一気に人生に苦労が押し寄せます。こういう時、逃げずにやるべき事を淡々とこなしていくのか、嫌だから逃げ出すのか。どちらが正解か、です。逃げなければ、時間はかかっても病気は良い方向へいきます。家族は崩壊せずに持ちこたえます。でも、逃げたらそこで終わりです。

 不思議なもので、嫌なことから逃げる癖のある人は、同じように逃げ癖のある人とつるみます。生きる環境が、とても悪くなるんです。私は多分、これが一番怖いです。

 逃げる事で、それまで積み上げてきたものが崩壊する、ゼロになる、マイナスになる、これも怖いですが、やはり何よりも、生きる環境が悪くなるのが怖いです。どういう人達の中で生きるのか、というのは、とても大事です。周囲が、逃げ癖のある人ばかりの環境なんて、最悪ですから。誰も、責任を取らない。誰もが、しんどい事から逃げる。しんどい事から逃げる人ばかり、それも謝るどころか被害者面するような人ばかり。そんな環境で、生きると、もう何も成していけません。落ちるだけです。

 また。

 逃げない癖をつけると、逃げない事がそんなに大変ではなくなります。踏ん張る、頑張る、という事が、さほどしんどい事ではない、と分かるからです。

 苦労というのは、外から見ているよりも、中に入ったほうが、軽くなるものです。外から見るだけだと、ものすごく重そうな事でも、腹くくって受け取ると、意外と軽くて驚いたりします。

 

 何度も言うようですが、自分から苦労を買って出る必要はありません。苦労はできるだけ避けて避けて賢く要領よく生きる事が大事です。

 でも、たまたま苦労に出くわしてしまったら、逃げないほうがいい、という事です。踏ん張ってみたら、意外とラクだったと分かるからです。

 これも何度も言いますが、とてつもなくしんどい時や、とてつもなく苦痛を感じる時、または絶対に自分には出来ないと諦める時、そこで無理して頑張って心身を壊しては元も子もないので、逃げるのは良い選択だと思います。

   

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  とはいえ、逃げなければいいのか、頑張ればいいのか、というと、そうも言い切れないのです。

 「私は逃げないぞ」と過剰に頑固になるのも、これはこれで、弊害があると思います。どういう弊害かというと、「その頑張り、本当に必要?」ということが、よくあるからです。

 例えば、末期癌の患者さんの奥さんがいたとします。もう末期です。お世話も大変だけど、患者本人が一番苦しいわけです。もう喋る事もできず、動く事もできず、モルヒネで痛みを取ってもらい、人工呼吸器と人工栄養で生きながらえつつ、ただうつらうつらしているだけの状態。時々、患者さんが目を覚まし、奥さんに「もう延命治療は止めてほしい」と頼むのだけれど、この奥さん、「何を言うの。もっと生きてちょうだい。死なないで」と延命治療を止めさせません。

 ちなみに、延命治療を止める止めないは、患者本人が決めるものですが、奥さんの我が強い為に、本人の声が無視されている。奥さんはただただ、ご主人が一日でも長く生きてくれるように頑張っているのです。

 この頑張り、必要か?ということです。

 いらないよね、と私は思う。

 我の強い人の頑張りって、往々にしてこうなる事が多くて、本人が頑張れば頑張るほど、周囲が迷惑するんです。こういう人は、頑張らないほうがいいと思います。

 だから、逃げずに頑張る事が、一概に良いとも限らないわけで。

 頑張るべき事は、逃げずに頑張る、という条件付きになるんじゃないかと思います。

 何を頑張るべきか、何を頑張ってはいけないか、これをうまく見分けられる人が、幸せになっていくのではないかと私は思います。

 私自身が出来ているかと言えば、出来ていないと思うので、心がけようと思って今日は書いてみました。

 というわけで、今日はこのへんで終わります。