書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

勘違いして幸せでいる方が楽だったのよ。

 ほー。と溜息をついて拝読した記事について、今日は書きます。

 よく引用させて頂いている方の記事をまずご紹介して↓。

スピリチュアルジプシーの孤独 : Flat 9 〜マダムユキの部屋

 お手数ですが、お読み頂いた上で、この記事内に出てくる方の記事を次にご紹介します↓。

ロマンスさんって騒がれてるらしいね。。 | 心のままに気まぐれに”わたし”の好きを生きる

 

 この方は、40代独身女性です。自己啓発で悪いほうに有名な心屋さん、天宮さん、八木さやさんに傾倒され、自己破産され、外国人によるロマンス詐欺にも遭い、今は経済的に大変苦しい生活を送っておられるそうです。(一応セミナーなどされているプロセラピストさんなので、ブログをご紹介しました。一般人ではないので)。

 私の姉は子持ち既婚者ですが、言っている事はこの方と全く同じ。他人ごととは思えません。

 誰に強制されたわけでもなく、自分自身の意思で、全世界に向けて個人情報を公開して書いておきながら、「人に指差して笑うためにこのブログ見にきた人もさ、暇人だよな。。私はあなたになんかしたんか?」と怒っておられるのですが、それは公道で真っ裸になっておいて、「じろじろ見るな」と怒っているのと同じです。公道で裸になっていれば誰だって見るでしょう。無遠慮に見られたくなければ、服を脱いではいけません。

 SNSは公道と同じです。そんな所で、顔出し本名出ししてプライバシーを曝け出す事は、行動で裸になるのと同じ事なのです。その行為は、自分の潔さや度胸を証明するような気がして、また普通人がしない事をするという一種の快感もあって、やってしまうのでしょうけれど、であれば、その行為に伴う不都合もまた、受け入れるしかありません。それは、悪い意味で人の注目を浴びる、という事です。

 ただ別に、みんな、この方のことを、指さして笑いちいわけではないと思います。私もそうです。この方のような生きづらさを抱えた純朴な方を騙して商売している自己啓発に、近寄る人が一人でも減るように、警鐘を鳴らす目的で、紹介しているのです。そしてできたらこの方が、服を着て家に帰ってくれるように、願って書いている。


 今、自己啓発にはまりかけている人、これからはまる可能性のある人に、はまるとこうなる、という具体例を、伝える目的なのです。この方は、実家にお住まいで、派遣とはいえお仕事もちゃんとされており、養う子供もいないのにも関わらず、自己啓発にはまって自己破産。今は洋服一枚買うお金もない生活を送られているそうです。

 幸せに、豊かになる為に、自己啓発にのめりこんだのに、結果的に不幸で貧しくなってしまった事について、この方は、こう書いておられます。

勘違いして幸せでいる方が、楽だったのよ。じゃなかったら、自分の現実から逃げたくて、死んでたと思う

 つまり、自己啓発の甘言に染まる生き方が、「勘違い」であると、うすうす気づいていた。でも、自分の現実の厳しさに向き合う事がつらくて、あえて自ら「勘違い」にのめりこんだ。現実から逃げる為に。

 勘違いに逃げなければ死んでいたのだから、勘違いに逃げて良かったのだ、とこの方は仰っている。

 私の姉も、似たようなことを言った事があります。少し以前、まだ姉と普通に会話できていた時、私が姉の言動を諌めた事がありました。姉はアレコレ理屈をこねて言い訳していましたが、私が一つひとつ論理を積み上げて話すので、逃げ切れず、最後にこう言ったのです。「私も、これが間違っている事は分かっている。分かっているけど、こうしたいんだと思う。間違いでもしたいんだと思う」と。

 ここまで言われたら、もう、何も言えません。「それは間違いだから、やめたほうがいい」と言って、「いや、間違いだという事は私も分かっている。分かっているけど、やりたいから」と言われたら、そこで終わりです。

 

 子供を虐待する大人も、他人を苛めている人も、薬物をやめられない人も、それが間違いだと分かっていて、それでも、それをするほうが自分がラクだから、止めないのだと思います。

 「悪いって分かっているよ。でも止めたくないの。だからやる」と言われたら、もう、行き止まり。

 

 この方は、ご自分のされてきた事について、こう書いておられます。

興味なんてコロコロ変わるよ。散財もした。家族にもさせてきた。親不孝だと思ってた。だけどね、いいの

 何が?いいの、なのでしょう。

 どういう理屈で、自己肯定されているのでしょう。

 顔出し本名出しして、家族の内輪の話を全部公開し、家族に経済的に負担をかけ、最終的には自己破産した。お金を貸してくれた人達に、借りたお金を返さない、という迷惑をかけたのです。

 どこに、自己肯定できる部分があるのでしょう。

 

 この方は、ご自身がどれだけ生きづらい人生だったかをこう書いておられます。「どこいっても目立って、こんな風になったよ。どうしても目立って、なんやかんや言われる。グループでも団体でも組織でも

 ずっとそうだったのなら、ご自身の言動に問題があることは明らかです。一つの組織だけで問題が起こったのなら、その組織に問題があるわけですが、どこに行っても同じ問題が起こるなら、問題の根は、ご自身にあります。なんとかして、自分の不注意な言動を直すよう、頑張ってみる事はできなかったのでしょうか。精神科に行って、相談してみる事は、できなかったのでしょうか。

 でも彼女はそういう「まっとうで、しんどい道」を選ばず、耳障りのいい甘言を言ってくれる自己啓発に、逃げてしまった。そして、逃げた事をこう正当化しています。「逃げなきゃ死んでた」と。

 いやいや。違う。

 精神科に行き、相談し、自分を少しづつ改善していく道も、選べたはずです。そういう道を選んでいたら、自己破産もせず、生活に困窮もせず、周囲に迷惑もかけず、今も元気に暮らせていたかもしれません。

     私は精神科受診に偏見を持っていません。私自身が、発達障害の息子を連れて、小さい頃から児童精神科の発達外来に通っているのですから。人生や生活に生きづらさを感じたら、まずは受診してみるべきです。


 彼女や、私の姉を含め彼女のような人に言いたいのは、今すぐブログを辞め、過去記事全てを消し、精神科に足を運び、相談してみる事です。どこに行っても問題を起こしてうまく生きれない事や、自己啓発に傾倒して生活が破綻してしまった事を説明し、助けを求める事です。私はそう思います。

 

 どんな理由があろうとも、自分がしてきたことは、必ず自分に返ってきます。周囲に迷惑をかけた分、必ず自分もしんどい思いをさせられます。強い心を持って、間違いだと分かっている世界から、抜け出してくれたら、と思わずにはいられません。

 でも、こういう事はすべて「いらぬおせっかい」だとキレられるのが分かっているので、本人に直接は言えません。ここにひっそり書いておくだけです。偽善者ぶったこういう行動が、我ながら嫌みだなと思います。人に注意する時に、偽善者にならずに注意する方法って、ないのかなあ。ないのだろうなあ。まあ、いいです。もう書いてしまったし。このままアップします。では、今日はこのへんで。

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今日は空気が冷たいですね。寒い一日になりそうです。