書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

普通に考えてみる

 普通に考えてみて、おかしいと思われる事は、やはり何かしら無理があると私は思います。

 ずっと流行っている自己啓発やスピリチュアル界隈では、普通がバッサリ否定されます。普通というワードを出すと、「普通って何?」「普通なんてないよ」と言われてしまうわけです。

 まあ、それも分からないではなですが、やはり「普通に考えてみる」という事は、どんな時代においても、我が身を守るセーフティーネットだと私は思います。

 

 先日、発達障害児を育てておられるお母さんのブログを、拝読しました。

 お子様は、お二人姉妹で、お二人とも発達障害児だとの事でした。

 発達障害児の診断を受けたのは、お二人とも小学校高学年になって、不登校になってからだそうです。お姉ちゃんは、今、大学生。妹さんは高校生。

 

 まず、お姉ちゃんのほうですが、小学校に不登校でほとんど通えず、中・高も様々な問題があったにも関わらず、勉強だけはとても頑張られて、公立大学に合格されたそうです。ただ、この大学が県外なので、大学から一人暮らしをされたとのこと。

 お母さまとしては、私の子育ては成功した、無事に大学生になれたのだから、と安心されていたところ、このお嬢さんの友人ら連絡があり、包丁を振り回したり、ベランダから飛び降りようとしたりするので危ないから警察を呼んだと。

 お嬢さんの精神面が非常に不安定である事が判明し、現在は精神科に通院中との事。

 

 不登校を繰り返した発達障害児を、大学から一人暮らしさせるというのは、普通に考えたら、絶対にしないと思うんですよね。

 個人差はありますが、発達障害児は発達遅滞を持っている場合が多いので、18歳といっても精神面情緒面の発達年齢はせいぜい12歳ぐらいだったりします。12歳を一人暮らしさせるのは、無謀です。

 しかも、ずっと不登校だったわけですから、社会性の訓練が足りていないのは明白で、いきなり一人で社会に放り出して、問題が起こらない筈はありません。

 そりゃあ、健常児さんなら、18歳で一人暮らしさせて何の問題もありませんが、発達障害児を一人暮らしさせるのは、普通に考えれば無謀です。

 

 下のお嬢様のほうも、ずっと不登校で、更に精神病院に入院するまでになり、今は高校に所属はされているものの、引きこもりで通学は出来ない状態。それでもお母さまは「普通に考えたら不幸に思えるかもしれないけれど、私は今が一番幸せです」と仰る。

 

 このお母さまは、普通に考える事を否定的に捉えておられて、「物事は、自分の捉え方次第、見方次第でどうにでも変えられる」という、自己啓発まがいの考え方に傾倒されておられました。

 この方ご自身、スピリチュアルカウンセラーをされておられるので、余計でしょう。

 「客観的に、普通に、考える」という事を、されない。

 

 この方のブログを拝読すると、「普通に考えたら、そんな事はしないだろう」という事や、「普通に考えたら、そこは親が動くところだろう。なぜ動かない?」と思うところが沢山ありました。

 二人も発達障害児のお子様を育てるのは大変だと拝察しますが、だからこそ、「普通に考えてみる」という事は、必要じゃないかと感じました。

 

 発達障害児は、普通じゃないんですよね。だから、普通じゃない子を育てる時に、「普通に」という概念をとっぱらうと、とてもラクになります。それはでも、同時にとても危険な事でもあると思います。

 

 普通じゃない発達障害児を、いかにこの「普通の社会」で生きていけるようにしてやるか、そこが親の努力のしどころで、自己啓発やスピリチュアルを使って、そこから逃げるのは、良い事ではないと、思いました。

 

 

 

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(追記)

普通を選ばなかった彼女の選択を、大変失礼ながら、列記してみます。

①乳幼児の頃の長女さんが、とてつもなく育てにくかったにも関わらず、次女さんを妊娠出産された(普通に考えたら、育児が大変になり過ぎるので、第二子を産むかどうか、また、生むとしたらその時期について、もう少し考慮すると思う)

 

②小学校で長女さんの不登校が始まり、長女さんのケアに集中する為、次女さんを1年間、知人に預けた。(普通に考えたら、色々過敏な問題を抱えている次女さんを、どんな理由があろうと、知人に預ける等という選択はとらない。)

 

③長女さんも次女さんも、小さい頃から様々な問題を抱えていたのに、病院に相談に行く事なく健常児として育て、病院に連れていったのは、子供の不登校という、母親自身にとって逃げようのない問題が降りかかってから。(普通なら、乳幼児期に、どこかしらに相談に行く)

 

④診断がついてからも、お子様達が、生きやすくなったわけではなく、むしろどんどん悪化していった。それに対する対策として、お母さま自身がご自身の精神ケアを求め、あちこちのスピリチュアルやら自己啓発に首を突っ込んだ(普通なら、困っているお子様達の、精神的ケアを第一に考える)

 

⑤結局、お嬢様二人とも、精神的に深い病に陥り、自殺未遂やパニックを頻繁に起こすようになったが、それでも、その現状に対して、「抽象度を上げて俯瞰で見る事が大事。視点を変えれば、問題は存在しない事に気付く。私は幸せ」と仰る。(普通なら、お子様達が大きな問題を抱えている事は一目瞭然で、いちから対処し直さなければならないはずなのに)

 

 長女さんを出産された事は良かったと思うのです。発達障害であった事は不運でしたが、お子様がお一人なら、そして障害をお持ちでも知的に問題がなければ、生きていく方法は沢山あるし、一緒に考えて育ててあげれば、幸せにしてあげる事は可能だったと思います。

 長女さんが普通ではない、とても育てにくい過敏な子だったにも関わらず、誰にも相談しなかった、病院にも見せなかった、これが問題だったと思います。病院に見せていれば、障害の可能性を指摘され、第二子の出産時期をもう少し考えたはずだと思います。

 次女さんが生まれ、次女さんもまたとても育てにい障害児だったという事で、長女さんへのケアが手薄になり、とはいえ次女さんへのケアも十分ではなく、結局お二人とも必要な支援や配慮を受ける事なく小学校に上がり、発達障害児が健常児の中で、支援も配慮もないままでは通えるわけはないので、不登校になります。

 不登校になって初めて、これは大変だという事で、病院に行くわけですが、今までだって子供達は大変だったのです。お母さまがそれに気づいてあげなかっただけで。

 お子様達が苦しんでいるのに、お母さまがご自身の心のケアに翻弄するというのも、私には違和感がありました。自己啓発界隈では、「お母さんが元気になれば、お子さんも元気になる。お母さんは、まずはご自分を元気に楽しくする事に専念しよう」と言われます。これを真に受けたのだと思われます。

 また、お子様達が、自殺未遂を繰り返し、精神病院に入院するに至っても尚、お母さまは「今が一番幸せ」と言い続けておられる。いや、違うだろう、と思わずにはいられません。

 

 今の時代、新興宗教もスピリチュアルも自己啓発も、似たようなものです。そういうものにハマってしまうと、ハマった本人は楽しくて仕方ないのかもしれません。そういう所では、お金さえ出せば仲間に入れてもらえ、「普通でない劣等感だらけの自分」を、無条件で肯定してもらえ、自己肯定感が上がるからです。

 お母さんが、ご自身の自己肯定感を上げる為に、一体どれだけのお金と時間を使われたのでしょう。

 お母さんご自身は、自己肯定感が上がって幸せになれたのかもしれません。

 でも、子供は不幸になるばかりです。普通ならその事に気付くはずですが、普通を毛嫌いされている方々は、それに気づかないのでしょう。残念です。