書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

責められたくないと思うと何も出来ない

 とある方のブログを拝読して、ああこの方は誰からも責められたくないんだろうなあ、と思った。

 その方は、パートをされているものの、週の半分以上は引き籠もっているそう。家から一歩も出ないと。小さい頃からずっと、休みの日に家にいると、母親から「出かけたらいいのに」と責められ続けた事で、逆に出かけられなくなったのだと書いておられた。

 なんか、分かる気がする。

 責められれば責められるほど、逆にやりたくなくなる、という事と。

 責められない為には、何もしないのが一番確実だという結論に至る、という事。

 私もどちらかというと、そういう風に思考が進みやすいので、共感しながら拝読した。

 もし、引きこもっていても生活が成り立つなら、一生引きこもりでも良いのではないかと思う。誰にも迷惑かけないし。

 

 一方で、引きこもっていては生活が成り立たないなら、動くしかなく。その時は、責められたところで別に痛くもかゆくもない、という気持ちでいる事が必要かなと思う。

 そもそも、私はこのブログを始める時に、こんな低レベルな事を書いておかしな奴だレベルの低い恥ずかしい奴だと、誰かから思われないかと少しだけ心配だった。でも結局のところ、誰にもそんな事は言われなかった。どなたかが心の中で思っておられるかもしれないけれど(笑)。言われなければ存在しないのと同じなので大丈夫。

 

 責められても平気、と思えば、何でもできるなと思う。

 勿論、誰かに迷惑をかけるとか、著しいマナー違反だとかは駄目だけれど、常識の範囲でやっている限り、どんなに下手でも、しくじっても、愚かでも、それが自分なのだから開き直ればいいと思う。

 下手さ、しくじり、愚かさを責められたら、すみません私馬鹿なんですと言えばいい。馬鹿を責める方も馬鹿だよね、ということで。

 なんだかわからない文章になったけれど、ふと思ったので書きました。ではまた~