書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

怒りを感じなくなったのは良い事なのか

 自分の過去記事を読んでいると、けっこういつも怒ってるなあと驚きます。

 で、「怒りを鎮める方法」とかもいつも考えていたなあと気づきます。その手の本を読んだり。読書記録まで書いてますね(笑)。

oinor-i.hatenablog.com

 

 でも、もうすぐ60才ですが、最近は怒る事がとんと少なくなりました。怒るネタはまだまだ沢山あるのですが、以前ならイラっとしたところが、イラっと来ないというか。イラっとなる前に「はあー」と諦めるという感じ。そして対象から逃げられるなら逃げる。逃げられないならその場に留まってなんとかする、という感じ。怒りを感じるよりも、「さあ、どうしよう。逃げる?無理?ならこの場をどう対処するのが賢い?」と考える。そしてそのように動く。動きつつ状況を判断してまた動く。そうやっているうちになんとかなる。

 そして過ぎてしまえば忘れるんですよね。これも年のせいでしょうか。どんな感情も長く続かない。

 

 以前の、怒りを抱えて苦しんでいた自分に、「歳を取れば、何も感じなくなるよ」と教えてあげたいのですが、その頃の私なら信じなかったでしょう。

 

 先日も、以前なら怒っていただろうな、と思う事がありました。

 またしても私の母のことなのですが。

 父が亡くなってからもう20年以上経つのですが、実家の名義がまだ父のままだと母が言ってきたのです。

 え?父が亡くなったと同時に、名義変更しないと駄目なんじゃ?と思ったのですが、今更何も言えず。

 父が亡くなったのは母が60代前半(まさに私の年齢ぐらいの時)なので、当時の母はまだまだ元気。父の死後の遺産について、「しんど過ぎて」放置していたという理由は成り立ちません。

 私も姉も、父の遺産については全て母に任せています。本来は父が亡くなった時点で、母姉私の3人で分けるべきなのですが、全部母が独り占めして使ってしまっても良い、と考えています(姉に確認はしていませんが、遺産相続について何も言ってこないので、そういう事だと思っています)。

 なので、実家の名義についても、母に変えたのだと思い込んでいました。まさか父のままでずっと放置していたとは。

 母ももうすぐ90才なので、いつ倒れてもおかしくないし、元気であっても数年以内にはケアホームに入る予定なので、実家に住んでいるうちに、少なくとも自分(母)名義に変えておかねばと、やっと思ったようです。それで、必要な書類を取ってくるように、私に言ってきて、事態が判明した、という流れ。

 

 以前の私なら、怒っていたと思うのです。名義変更などさっさとやれば良かったのに、と。いえ、先延ばしにしたほうが税金対策になるとかそういう事なら良いですが、そうではない。もし、母に名義変更しないままで、万一母が亡くなってしまったら、残された私達の手間は大変になります。そういう事、一切考えてくれない人なんですよね。でも、怒りは湧きませんでした。

 はあー、という溜息と共に諦め、とっとと必要書類を揃えて実家に送りました。

 

 そう言えば(書いているうちに次々と思い出す 笑)、先日、お墓についても溜息が出る事があったんですよね。

 我が家のお墓は大阪にあるのですが、大阪府のほうで、かなり田舎で辺鄙な場所です。お墓に入っているのは、父方の祖父・祖母・父の3人だけ。

 今、お墓参りに行っているのは、私だけです。母はもう5年以上行っていないし、姉となるともう10年以上行っていないと思います。私と夫と息子の3人だけが、数か月に一度、通っている状況がずっと続いています。

 実は父が亡くなった数年後、父方のこのお墓は、永代供養にすべきという考えが母の頭に浮かび(子供が私と姉(女子)だけですでにお嫁に行っているので)、その手続きを進めたんです。

 と言っても、母方のご先祖様はすでに永代供養しているので、そのお寺に、父方のご先祖様も永代供養してもらう手続きをしただけなんです。

 実家に父と祖父母の御位牌があったのですが、それを、お寺さんに持って行き、永代供養の費用を払ったんです。でも、お墓はそのまま、お骨もお墓に入れたまま。ただ御位牌だけお寺に持っていっただけなんです。

 私はその時、「どうせなら、お墓仕舞いもしたら?」と言ったのですが、当時まで40代の若輩者の私の言う事など、母は聞くわけありません。「お墓がなくなると、お墓参りできなくなるから。お墓参りに行ける間はお墓仕舞いはしない」と言い張って。

 でも、あれから、母がお墓参りに行った回数は数回です。そしてここ5年ほどは一度も行っていません。せっせと通っているのは私だけです。

 この状況、そして我が家の息子が障害者でありお墓のお世話は出来ない事を考え、また私も夫も60代で、これから体力がなくなる一方だという事も考え、お墓仕舞いについて母に相談したんですよね。そろそろやろうよ、と。

 すると母からの答え「墓仕舞いは私が死んでからやってくれたらいいわ」でした。

 はあー(溜息)です。

 母は元気なので長生きするでしょう。母が亡くなる頃には、私は70代。墓石処理の手合い、墓の始末、お骨を取り出す際にお寺さんに来て頂く手配、骨壺3つを抱えて他県(かなり遠方、行くだけで半日かかる)のお寺まで運ぶ手間。永代供養の法事。

 何から何まで、私がやるのですから、早めにやってしまいたい。私か夫に何かあれば、とてもやれません。今やってしまいたい。どうせ誰もお墓参りしていないのに。母自身だってしていないのに。どうして、自分がお参りしていないお墓の墓仕舞いをしてはいけないの?意味不明。

 はあー(溜息、再び)

 でも、怒りではなく、諦めです。

 私はこういう面倒くさい事を後回しにするのが大嫌いなのです。母は自分に負担がかかる事は後回しにするタイプ。

 母は「もうあちらのお寺には、永代供養のお金は払ってあるんだから。手続きはちゃんとしてるんだから」と言いますが。お金は父の遺産だし(だから、母・姉・私の誰が払っても同じこと)、手続きなんてたいした手間じゃない。大変なのは、物理的な処理のほうです。墓石、お墓の権利を売る、骨壺を運ぶ、法事をする、、、。それは面倒なので、母は「私が死んだ後にやって」と。

 

 でも、怒りは湧きません。そういう人だなと思うだけ。

 私が気を付けるべきなのでは、母が理不尽にも、いつも罪悪感をこちらに押し付けてくる言い方をするので、私が罪悪感を持たないようにする事だけです。

 お墓の件なら「墓仕舞いを急ぐなんて、罰当たり」的な事を遠回しに言ってくるわけです。

 いやいや、違うし。むしろお墓をきちんとしたいと思って、面倒な事をやろうとしてる、お墓があってもお参りせず放置しているほうが罰当たり。墓仕舞いしたくても出来なくなるほうが罰当たり。

 でもこんな事は母には言いません。ただ、母からの理不尽な攻撃に対し、心の中で「でもね」と自分に言い聞かせ、いらぬ罪悪感だけは持たないように気を付けています。

 長くなってすみません。

 今日はこのへんで。ではまた~

 

PS

今思い出しましたが、実家にはまだ仏壇があるんですよね。父・祖父母の御位牌はもう無いのに。なぜか母方のどなたかの御位牌が入っているらしく。そして、なぜか父の写真も飾っていて。実家に帰ると母はいつも「ほら、お父さんに挨拶しなさい」と私を仏壇の前に座らせる、、。でも、そこには父の御位牌、もう無いよね。あるのは私の知らない人の御位牌だけだよね、、、。

あの仏壇、母がケアホームに入ったら、どうしたらいいのだろうか。始末するのは私だろうなあ。

どうして父の御位牌をお寺に持って行った時に、あの仏壇も処理してしまわなかったのか。理由は分かりますけどね。面倒だったんだと思います。

母がいい加減な人ならまだ救われるのですが、母は「キッチリした」人なんですよね。ただ、自分が面倒に感じる事はなんだかんだ綺麗ごとを並べて、先延ばしする人なんです。で、親が先延ばしした事は、子供に降りかかってくるというだけのことです。

諦めましょう。