書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

不安との付き合い方

 息子が追試を食らったので、久しぶりに、不安、というものを感じました。

 ここ数年、不安を感じた事がとんとなかったので、新鮮。ああ、不安ってこんな感じだったなあ~と。

 で、この不安と、どう付き合えばいいのか、について、考えていたところ、下記のようなブログ記事を拝読しました。

 ネガティブな引用になりますので、元記事のご紹介は控えさせて頂きますね。

 まずはザックリ、そのブログ記事から勝手ながら抜き出させて頂くとこんな感じ。

 

****(引用)***

過去の私は
めっちゃ心配性でした。
お金がなくならないか
子供はちゃんと育つのか
健康でいられるか
不慮の事故に合うんじゃないか
親の介護はどうなるのか
家はどうするのか
そんなふうに漠然と
「このままだと将来ヤバイことになる」
そう思っていました。

すべてのことにおいて
ヤバイ状態にならないように、
身の回りのアレコレを監視して
異常が起きないようにチェックして、
余計な仕事を増やして
事前に準備万端にすることで

その恐怖と必死に戦っていたのでした。

 

でも、
私があれこれ将来を気にしたところで、
想定外の出来事なんて山ほど起きるし、

実際になってみないと
未来は誰にもわからないものです。
今悩んでいることも
将来は制度が変わっているかもしれないし
環境も価値観も付き合う人も

変わっていくものです。
誰にもわかならい未来のために
今ここにいる自分がしんどい思いをするのは、
なんだかおかしいよなぁ(笑)と、気づいたのです。

もし何か困ったことがあっても
きっと誰かが助けてくれる
きっとなんとかなる。

未来を信じることができるかどうかは
それができるかどうかにかかっていそうです。

「問題は起きてから考えよう」
「起きてから考えても遅くない」

*****(引用終わり)****

 

 う~ん。

 この考え方については、わりとよく聞くので、これが良い悪いをジャッジするつもりはありません。

 ただ、私には馴染まないなあ、と思うんですよね。

 特にこの部分。

誰にもわかならい未来のために
今ここにいる自分がしんどい思いをするのは、
なんだかおかしい

 

 確かに、未来は誰にも予測はできません。

 だからといって、何も備えなくてよい、という事にはならないかなと私は思うんですよね。

 未来に備えて、不安事項を1つ1つ潰していく作業は、それをしないよりはするほうがしんどいわけです、当然。

 でも、1つ1つ潰していけば、不安事項が1つ1つ減っていくし、同時に安心事項も1つ1つ増えていくわけで。しんどいからやらなくていい、というのは違うかなと思う。

 この方は、「未来の自分の幸せの為に、今の自分がしんどい思いをするのは違う」と書いておられるのですが、それはどうだろう?

 

 あと、ここですね。

きっと誰かが助けてくれる
きっとなんとかなる。

 これもどうだろう?

 意外とそうでもない気がしますけどね。私の個人的経験ですが、発達障害児を抱えて自殺を考えていた時期、それはそれは沢山の人に助けを求めましたが、具体的に助けてくれた人はいませんでしたからね。

 ちょっとしたことなら、みんな助けてくれるんです。でも、本当にしんどい事、無理な事は、誰も助けられない。

 きっとなんとかなる、わけではない、です。

 無理はものは、無理、です。

 自分が歯を食いしばって耐えるだけ、です。それか死ぬか。どっちか。

 だから、あまり楽天的になるのは考えものです。私も、出産さえしなければ、別の人生があったと思います。楽天的に、なんとかなると軽く考えて出産してしまい、後悔多々の人生が今ですからね。

 なんとか、はならないです。私の人生経験からは。

 

 あと、最後のこれですね。

「問題は起きてから考えよう」
「起きてから考えても遅くない」

 これもどうだろう?

 たとえば、今回の大雨による被害についても、大雨が来てから考えたのでは遅いですよね。何もない時に、備えておかないと被害を被ります。

 何でもかんでも未来に問題をみつけて、今不安に苛まれろ、というわけではありませんが、未来に問題の可能性が高いのであれば、それを潰していく事は必要だと思います。

 

 この方は、漠然とした心配はする必要はない、という事が仰りたいのだと思います。それはその通りだと思う。でも、ブログ記事を拝読すると、わりと具体的な心配も、漠然とした心配の中に入れてしまったおられて、「え?」と思ったりもしたのです。

 

 大事なのは、その不安や心配事が、客観的に見て、具体的な問題の種を含んでいるかどうかの判断だと思います。そして、その問題の濃淡ですね。その見極めが大事だと思います。何でもかんでも心配するのはバカバカしいし、逆に、何でもかんでも無視するのも愚かでしょう。

 

 息子の今回の追試については、未来の問題の可能性大ありなわけです。追試に落ちると留年ですからね。留年すると数百万が飛んで行きます。これは、具体的な問題です。

 留年してから考えても遅くない、ともし誰かからアドバイスされたら、いや遅いだろう、と言いますよ。

 追試になった、留年するかもしれない、不安だ。これは一連の自然な感情の流れです。

 この不安に対処するには、問題の種を潰していくしかありません。

 なぜ試験で失敗したのか。どの範囲の勉強が足りなかったのか。足りなかった部分をどう再勉強していくか。どうすれば点に結びつく勉強ができるか。

 

 不安との付き合い方というのは、その不安を産み出す問題について、丁寧に精査し、1つ1つ潰していく作業だと私は思います。

 具体的な問題の種がハッキリと存在するのに、無視する。問題が起こってから対処しても遅くないと思い込むようにする。これは危険だと、思います。

  というわけで、早速、息子と勉強再会です。やれやれ 頑張ります 笑