書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

大学の入学前相談会

 先日、息子が入学する大学に、息子を連れて行って来ました。息子には発達障害があるので、大学に対していくつかご配慮頂きたい事があり、それをお願いする為です。

 これは、小学校、中学校、高校、それそれの入学前に、やって来た事で、私は勝手に「入学前相談」と呼んでいます。なぜ入学前に相談に行くのかというと、新学期が始まってからだと、すでにクラスや担任が決まってしまっているからです。どういうクラスメイトかや、どういう担任の先生かという事が、息子が学校生活を無事に送る為にとても大事な要素となってくるので、それが決まってしまう前に、相談に行く必要があるからです。

 この入学前相談は、誰かに「やりなさい」と言われたわけではなく、私が勝手に「やったほうがいいだろう」と考えて、事前に学校側にお願いして、やって頂いています。

 入学前の時期、というのは、厳密にいえば、息子はまだその学校の生徒ではありません。私にとっても、その学校は完全に未知の世界です。あちらにしても、私達のことは、未知の存在です。

 そういう状況で、入学前相談会をお願いするという行為は、正直、とてもしんどいです。そもそも私は、人に何かをお願いするという事が、とても苦手な人間です。お礼で頭を下げるのは全く平気ですが、お願いで頭を下げるのは、苦手です。

 その上、この入学前相談で私がする事は、子供の不備な点や足りない点、人より劣っている点をあげつらって、だからこうこうこういう配慮をお願いしたいと頭を下げる事です。自分の子の、周囲より遙かに劣っている点を、正面から見つめ、それを他人に説明するという作業です。

    我が子が出来損ないであるという事を、漠然と「出来損ないなんですよ」と言うのではなく、どこがどう出来損なっているのかを、いちいち細かく説明し、それに対するサポートをお願いするわけてす。我が子の自慢話は楽しいけれど、我が子の出来なさのカミングアウトは苦しいし神経を遣います。

    更に私は、口で説明するだけだと忘れられてしまうので、必ずそれらを、事前に文書で箇条書きにまとめ、相談会で提出する事にしています。この文書を作る作業も、本当に嫌で。嫌なんですけれども、自分を鼓舞して作ります。

 息子が無事に学校生活を送る為には、入学前相談は欠かせない、と私は思っているので、今回も気力を振り絞って行って来ました。

 行くまでは、直前まで、本当に気が重く「いやだなあ、行きたくないなあ」と思っていました。行きの電車の中でも、ああ嫌だ嫌だ、と思っていました。勿論、息子とは楽しく会話しましたが。

 でも、これは毎回のことで、毎回、ああそうだった!と気づくのですが、この入学前相談、行ってみると、とても歓迎(?)されるのです。小学校でも中学校でも高校でもそうでした。

 そして、今回、大学でもそうでした。

 まず相談室に通され、そこに、相談室担当の先生が二人おられ、歓迎して迎えて下さいました。もうそれは、「歓迎」という言葉以外では表せないほど、あたたかいものでした。

 また、息子を担当して下さる予定の教授も数人、参加して下さっていました。しかも、驚いた事に、そのうちのお一人が、私の身内のご学友だという事が判明しました(雑談中に分かりました)。確かに、ある程度狭い世界ではあるのですが、それにしても、奇遇です。一気に親近感がわき、この大学が「知らない未知の世界」ではなくなりました。

 相談会は、私が事前に用意していった文書をもとに、まず私が息子の特性を説明し、可能であれば頂きたいご配慮についてお願いする、という形で進みました。毎回思いますが、やはり書いたモノを用意するのは大事です。これが話の手がかりとなって、要領よく進むからです。有難い事に、大学側からは、要望した配慮すべて可能だと言って頂けました。

 更に、教授から、大学在学中を通し、おそらく息子が困るであろう状況の説明と、大学側はこういう風にフォローするつもりである、という説明があり、詳しい予定表を頂きました(ただ、このコロナのせいで、近々の予定は変更になる可能性がある、との事でした)。

 というわけで、毎回ですが、事前にあれほど苦痛に思った相談会ですが、終わってみると、「本当に行って良かった」と感じました。大学の相談会が、今までの中で、一番要領よく進んだように感じました。不必要な、体裁だけの話は一切なく、必要な事だけを簡潔に話した感じです。

 これでとりあえず一安心です。入学式まで少しのんびりします。

 

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