書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

頂いたコメントへのお返事です。

 前回の記事でコメント頂きまして(有難うございます)、そのお返事の形で、今日は書きたいと思います。

 前回の記事に戻るのもお手間と思いますので、勝手ながら、頂いたコメントを貼らせて頂きます。

 

今回の記事のタイトルが『頑張るか、もしくは死ぬか』ですが、その二つの間に「障碍者として生きる」というのがあると思います。例えば障害者雇用で企業に就職し、配慮を受けながら働く、とかです。一流大学を卒業するような人でも働くとなると難しく、手帳を取って障害者枠で、というようなケースもあるようです。また、いま成人するくらいの若い当事者は昔と違って幼少期からガッツリ療育など支援を受けてきた人も多く、支援を受けながら働くことへの抵抗もあまりなかったりすると聞きました。

うちの息子はまだ8歳なので社会に出るのはかなり先ですが、今の息子を見ていると配慮なしで社会でやっていくのはだいぶ難しいだろうな~と思います^^;

大学の先生などは、いろいろできない生徒=発達障害では?とは、考えてくださらないのですね。できない人たちはどんどん切り捨てられ、いないものとされる。発達障害のある人たちは確かに苦手は多いですが、少し配慮してくれれば能力を発揮できることもあるだろうに、非常に残念です。結局、オールマイティにできる人以外はいらないと言われているように感じます。障害者雇用もないよりはある方がありがたいですが、結局は発達障碍者を戦力とは考えておらず、発達障碍者の体のいい排除先なのでは?なんて、うがった見方をしてしまいます。

お祈りさんは、障碍者雇用など、障碍者として配慮を受けて生きる人生についてはどう思われますか?よかったら、ご意見をお聞かせください。

 

 コメント有難うございました。ぽけ様(コメントを下さった方)に、お返事を書く形で、書かせて頂きます。

 障害者雇用について、ですが。

 結論を言えば、うちは障害者雇用は無理だろうと思っています。可能性としては、低いだろうと。一番の理由は、枠があまりにも少ないからです。

 以前の記事にも書きましたが、企業も行政も、そもそも障害者枠で決められた人数を、守ってはいません。罰則がないからです。大もとの厚生労働省ですら、枠をはるかに下回る数しか雇用していなかったと、少し前にニュースになっていました。

 また、その少ない枠に入れるのは、基本的には、特別支援学校の高校を出た生徒さんだけだと聞いています。企業や行政と、特別支援学校との間に、ルートがあるのだそうです。

 なので、将来、子供を障害者雇用で就職させようと思う場合は、特別支援学校の高校へ行かせねばなりません。これは関西に限った事かもしれませんが、特別支援学校の高校は入学が大変に難しく、一般の中学からはまず無理で、特別支援学校の中学からでないと入れません。つまり、将来子供を障害者雇用で就職させるかどうかは、子供が12歳の時に、決めねばならないという事です。

 で、うちは、普通の中学を選び、障害者雇用の道は捨てた、という事になります。

 もちろん、ぽけ様の仰るように、大学を出てから障害者枠で雇用された方もいらっしゃるとは思いますが、数としてはとても少ないと認識しています。その方は、大変ラッキーだった、という事です。うちがその幸運に当たるとは、ちょっと思えないのです。

 また、障害者雇用を考えていない理由の二つ目は、その職が息子につとまるとは思えないからです。

 とりあえず人数を埋める為に雇用されるケースが多い(と聞きます)為、特に仕事を与えてもらえない、一日机に座っている、仕事といえば雑用コピーぐらい、それで月に10万円ちょっと頂けるのであれば有難いお話ですが、息子が一生そういう生活を送れるのかといえば、難しい気がします。

 なぜ難しいかといえば、くそ真面目だからこそ、適当にやるという事ができず、くそ真面目に机に座り続けるだろからです。そしてそういう事(やる事がない状態でじっと座っていなければならない)が、息子はとても苦手だからです。

 もちろん、死ぬ気で探し続ければ、運よく、息子にできる障害者枠の仕事に出会い、かつ、運よく採用される可能性もゼロではありません。だから、絶対に無理だとは思っていませんが、息子の将来を考えた時の優先順位としては、とても低いです。

 でも、ゼロだとは思っていませんので、障碍者雇用枠についての情報は、常に探しています。

 でも、、、、現状は、難しいなあというのが正直なところです。

 ちなみに、支援を受けながら働く事や、障害者として雇用される事に対するハードルは、うちの場合はありません。

 配慮を受けないと働けないのだから、障害者である事を公表する事は絶対に必要だと思いますし、配慮を受ける事で、プライドが傷つくといった事もありません。障害である事は、本人の罪ではないからです。

 

 障害者雇用については、息子が高校生の頃に、かなり調べたのですが、「絵に描いた餅」だという印象が強かったです。ここで採用される人というのは、「知的レベルは低いけれど、穏やかで大人しくて、人とトラブルを起こさず、人の言う事を素直に聞く」そういう人だなあと思いました。これに当てはまる発達障害者が、どれだけいるでしょうか。企業側も、同じ障害者なら、発達障害者ではなく、身体障害者のほうを、優先して採用している印象を持ちました。

 そして、それは、そうだろうとうなずけました。

 

 私は、障害者雇用というのが、発達障害者の体のいい排除先だとは思いません。発達障害者は、障害者雇用にすら、入れてもらえないと思っています。つまり、発達障害者には、行くところがない、というのが、私の考えです。

 これからは、AIがどんどん発達し、優秀な健常者さんですら職がなくなる時代になると言われています。発達障害者にまで気を配る余裕が、この国にあるとは、とてもじゃないが思えないのです。悲観的な考えを垂れ流してすみません。あくまで私の主観なので、信じないでください。私は、こう思っているというだけです。事実ではありません。単なる私の意見です。

 

 前回の記事で、「頑張るか、もしくは死ぬか」と書きました。

 私は、息子の将来については、A案、B案、C案、、、、、と出来る限りの可能性を考えていて、障碍者雇用は、H案ぐらいになります。だから、ゼロではないのですが、ほぼゼロだという感じです。

 でも、A案、B案、C案、、、、と潰れていって、G案まで全滅だった場合には、障碍者雇用を探しまくる事になると思います。生きる為に。

 前回の記事に書きましたように、「社会人になる為には、完璧に自立できていなければならない。他人の助けを必要とするような人間は、社会人にはなれない」のであれば、私のA案からG案までが、全滅します。だから、私は深く落ち込んだのでした。

 残るはH案以降です。

 障害者雇用が息子にとって、「幸せな人生」とは思えなくても、「生きる為に」選択せざるを得ません。生きる為に障害者雇用を探しまくる、という行為も含めての「頑張る」です。「頑張る」には、障害者雇用を探しまくる、という事も含めて考えています。それも、必要なら、発達障害者が頑張らねばならない事だからです。障害者雇用すら無理で、作業所(I案)も無理で、家から一歩も出られないような状態になれば、障害者年金(J案)をトライするでしょう。これも、障害者が「頑張らねば」ならない事です。更にその先に、生活保護(K案)がありますが、若い男子が申請しても、通るとは思えません。肉体労働でもなんでもできるでしょう、と言われるでしょう。でも、筋肉ふにゃふにゃ(障害特性)、手先がとてつもなく不器用(障害特性)な息子が肉体労働をしたら、大怪我するのが見えています。

 そうやって全ての案が全滅したら、死ぬしかないわけです。

 だから、頑張るか、死ぬか。なのです。

 発達障害者だけでなく、すべての人にとって人生は厳しいと思いますが(中には楽勝でワクワクで余裕な人もおられるでしょうが)、発達障害者は状況がシビアだと思います。

 

 私は悲観的な見方をあえてしていますので、これが事実かどうかは分かりません。あくまでも私の主観です。

 私は、生来楽観的な人間で、だから子供もよく考えずに産んでしまって、激しく後悔しています。障害児が産まれる可能性を、何故考えなかったのか、と。なので、子供を産んで以降の人生では、とことん悲観的に生きる事にしています。悲観的に生きると、人生は狭くなりますが、全ての不幸が「想定内」になります。

 

 これでお答えになったでしょうか。いつもネガティブな記事ばかりですみません。自分を鼓舞する為に、いつも書いているので、こうなってしまって、、、。

 ぽけ様のお子様が成人する頃には、発達障害をとりまく環境も、かなり変わっていると思いますので、私の書く事などどうか無視して頂いて、お子さまの未来を信じて子育てされてください。いつもありがとうございます。

 ではでは。