書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

頑張るか、もしくは死ぬか。

 前回の記事にスター下さった方のブログを拝見しに伺いましたら、その方が、別のある方の記事をブックマークされておられ。興味深かったので、そちらの記事も拝読させて頂きました。色々考える所があり、今日は、その事について書きたいと思います。

 大変整理されている読みやすい記事で、書かれた方の聡明さが伺えました。ブログ記事自体をご紹介させて頂くと分かりやすいと思うのですが、ネガティブな形での引用になるので、ブログのご紹介は控えさせて頂きます。

 

 では、ここから、拝読した記事の内容を説明します。

 その方は、大学の先生達(ご友人達)と、zoomで語り合ったそうです。その方ご自身は、大学の先生ではありません。語り合った話題の一つに、「大学で、留年しそうな学生がいた場合、その旨を、親に連絡するか否か」、というものでした。お酒の入った雑談なので、気楽に読んで欲しいという但し書きがありました。

 記事を書かれたそのブロガーさんご自身は、当初、親の立場であれば、子供の留年を知らせて欲しい、というご意見でした。

 一方で、ご友人達(大学の先生達)は、「子の留年を、親に知らせるべきではない」というご意見があり、またブロガーさんご自身も、その意見に納得されたようでした。雑談ですから、結論は出ずに終わっています。

 

 以下、拝読した記事より一部、勝手ながら抜粋させて頂きます。(太文字加工は私がしました)。

<親には伝えなくてもいいのではと言った人の意見>

  • もう成人しているわけだし、自分の置かれた状況を自分でどうとらえてどう対処するかぐらいは自分で判断できるようでなければ、社会に出たあとにやっていけない
  • 成人している以上、保護者といっても個人の情報なので勝手に話せない
  • 本人とはもちろん何度も議論している。話も聞くし、相談にも乗るし、助言もする。それでも本人がやる気にならないのであればどうしようもない 

「親には伝えなくてもいいのでは」と言った人の意見の根本にあるのは、

  • 「子どもの成長」を考えた時には、大学に入るぐらいの時点ではほぼ自立しておくことが望ましいけど、残念ながらそうでない学生も一定数含まれている。そういった学生は親のこれまでの関わり方に問題がある場合が多い。大学に入学する時点では自立していなくても少なくとも大学を卒業する時には自立しておくことが必要。仮に留年しそうだということを親に伝えて留年を免れたとしても、結局、子どもが自立していないという根本的な問題が解決していないため、社会に出た後に学生が困るのではないか

ということだったと思います。

(抜粋終了)

 

 私の子供は、発達障害児なので、上記ご意見を持つ先生方がおられるというのは、大変苦しく、また、強く気落ちしました。

 何に苦しい思いをしたかというと。太文字の部分になるのですが、発達障害児には高すぎるハードルなのです。

「子どもの成長」を考えた時には、大学に入るぐらいの時点ではほぼ自立しておくことが望ましい

はー。そりゃそうでしょう。そうですとも。私も、障害児を生んでみるまでは、そう思って生きていました。もし私の子供が健常児で、私同様「出来る子」であれば、私もそう思っていたでしょう。「大学に入るぐらいの時点で、自立しておくことが望ましい」と。

 でも、そうは出来ない人間が、この世界に存在するという事を、私は障害児を産んでから知りました。それまでは知らなかった。頑張れば誰だって、自立できると思っていました。自立しないのは、本人の「やる気」の問題だけだと。つまり、やる気がないから自立できないのだと。

 この記事を書かれた方は、エリートなんだなあと思いました。エリートが、エリートを産んで、周囲もみんなエリートで。そういう環境にいたら、こういう意見になるのだろなあ。

 

 そもそも、発達障害を持っている人間は、一生、周囲からの配慮や支援を得なくては、生きていけないのです。経済的に成り立つ仕事を持っていても、周囲からの配慮がなければ、こなせません。つまり、発達障害者は、厳密に言えば、一生自立はできないのです。

 一方、記事に出てくる大学の先生方は、学生が入学までに自立を果たしている事を当たり前の前提と考えているし、最悪でも、大学卒業までには「自立を果たさねばならない」と、当然そうだと。

 でも発達障害者にはそれは無理なのです。本人のやる気の問題ではなく、特性の問題です。でも、これが健常者には、特にご自身が「やれば出来る」を経験されてきたエリートの方には、なかなか理解されません。何度も言いますが、私も、息子を産むまで、理解しない方の人間でしたから分かります。

 

 発達障害など稀な障害だから無視してよい、と先生方は考えておられるのかもしれませんが(もしくは発達障害の存在そのものを全くご存じないか)、今、軽度やグレーを含めれば、6人に1人が発達障害です。人口の15%強です。上の記事では、発達障害については「存在しない」ものとして会話が進められており、そこに強い恐怖を感じました。

 今現在、大学に通っている発達障害者はとても多いです。なのに、先生方の誰一人、発達障害について言及されない。特にこの先生方が、一旦社会人として社会に出て、広く社会を見てから、大学に戻って来た方々ばかりである、という事実が、より強く私を不安にさせました。

 記事から抜粋させて頂くと「社会人の間は海外で一般企業に勤めていたり、国内で研究所に勤めていたり、さまざまですが、いったんは企業に勤めた上でやっぱり教育や研究が好きで教員になった人たちです」との事。つまり、広い視野を持ち、社会経験を積み、かつ、教育に対する高い志を持つ先生方、なわけです。

 そういう先生方が、大学の学生の中に、発達障害者が存在する可能性について、全く考慮されていない。

 更に、というか、これが一番重要な事なのですが、記事によれば、その時話題になった「留年」の原因が、学力不足ではなく、出席不足についてのみだという事。つまり、子の不登校を親に知らせるべきではないと主張する先生が、一定数いる、という事になります。

 私が知っている事が世間の常識ではない事は重々承知ですが、しかし、不登校の生徒の多くが発達障害児である事は、ある程度知られている事ではないでしょうか(違うのでしょうか)。なぜ、大学だけ例外だと思われているのか、分かりません。

 とまれ。大学においても、不登校の学生は、おそらく発達障害者が多いと思われます。そして、発達障害者は、個々の特性に合わせた支援や配慮がないと、生きていけないのです。

 つまり、不登校故に留年したその大学生達の多くが、発達障害である可能性は高く、適切な支援をしてやれば、通い続けられる可能性も高いわけです。そして、その「適切な支援」の中に、当然ですが「親に知らせる」も入るのです。

 なのに、何故「親に知らせるべきではない」という結論になるのか、、。

 

 健常者の世界から見たら、「過保護」に見える事も、発達障害の世界では「必要な配慮であり支援」なのです。必要な事なのです。 

 つまり「子の不登校を親に知らせる」事は、健常者の世界から見たら「過保護」に見えるでしょうが、発達障害の世界では「必要な配慮であり支援」なのです。必要な事なのです。

  その生徒が健常者であれば、「子の不登校を親に知らせる」事は、その生徒の自立への足を引っ張る事になるのでしょう。でも、その生徒が発達障害者であれば、「子の不登校を親に知らせる」事は、必要な配慮であり支援なのです。

 そして繰り返しになりますが、不登校児の多くが発達障害です。

 にも関わらず、先生方は、大学の不登校の生徒を、なぜか健常者だと思い込んでおられる。まるで大学にも社会にも、世界には健常者しかいないかのように。発達障害は存在しないかのように。

 

 ここから少し、上の抜粋記事について書きます。

「自分の置かれた状況を自分でどうとらえてどう対処するかぐらいは自分で判断できるようでなければ、社会に出たあとにやっていけない」

 「少なくとも大学を卒業する時には自立しておくことが必要」

 先にも書きましたが、発達障害者は、一生周囲からの配慮を必要とします。それなしには生きていけません。一生、厳密な意味では、自立はできません。卒業の条件として、或いは、社会人になる条件として、「自立している事」があるなら、発達障害者は、社会人にはなれません。生きていけません。

 

「社会に出た後に学生が困るのではないか」

 私には、この言葉が一番こたえました。ワナワナしました。

 息子を育てて来た過程で、何回この手の言葉を投げつけられた事でしょうか。「そんなに過保護だと、息子さんは駄目になりますよ。結局、あとで息子さんが困るんですよ」。発達障害児は、特性にあわせた配慮と支援なしには、育てる事は不可能です。配慮や支援なしに発達障害児を育ててしまうと、必ず二次障害を起こし、精神病になったり不登校、引きもこもりになり、自害他害をおこす事にもなります。健常者にとって過保護に見える事も、発達障害者にとっては必要な支援である場合が多いのです。

 先生方に言いたい。あなたに子供の何が分かるのか。分かったような事を言わないで欲しい。社会に出たあと困るか困らないかは、あなたの責任外のことです。親である私が全責任を負っています。こっちは、子供を産んでから約20年、生きるか死ぬかでやってきた。地獄を見て来た。何も知らないあなたが、余計な考えのもとで余計な事をして、子供の未来をつぶさないで欲しい。

 

 大学の先生方は、学生に発達障害者が存在する事もご存じないし、考えた事もないし、そもそも発達障害が何かもご存じないし、発達障害者に対してどう対応したらいいかも、ご存じない。「学生が社会に出たあとのことまで心配する」ほど、学生一人ひとりの人格形成にまで細かく気を配っておられるのに、一方で同じ先生方が、15%存在する発達障害者について、まったくの無知である事が、私には不思議でなりません。ただ、それは仕方ない事です。大学の先生になるのに、発達障害についての知識は、必要ないからです。だから、発達障害について何も知らない事は、先生方の落ち度ではありません。私は、先生方を責めたいわけではありません。

 ただ、息子を取り巻く現実が、極めて苦しいという事を、改めて感じたのです。

 

 引用させて頂いた記事の内容に戻るならば。

 我が家の場合は、息子が進学できるかどうかを、私が知らないという事はあり得ないので、「留年を大学から知らされようが知らされまいが」どちらでも良いです。

 ただ、「知らすべきではない」理由が「社会に出るなら自立できていなければならない」からだ、と、それが当たり前のように我が息子の前に立ちふさがっている事実に、打ちのめされたのです。

 ええ、そうでしょう。その通りでしょう。世界に健常者しかいないのであれば、その通りでしょう。

 でも、世界には、発達障害者もいるのです。

 どんなに頑張っても、本人が死ぬほど勉強して、必死で人生に食らいついていっても、諦めずに頑張って生きようとしても、「誰にも頼らず助けも受けず、一人で生きていける」等という事は、障害児の息子には無理なのです。

 社会の「当たり前」が、発達障害者にとって大きな壁となる。乗り越えられない壁となるのです。被害者面してすみません。大げさですみません。でも、発達障害者にとって、死はいつも目の前なのです。それは、我が家であっても同じです。障害者が、健常者の中で、障害を認められずに生きていくという事は、そういう事なのです。

  

 それにしても。先生方は。

 お金を払った大学に、留年するほど通わない(通えない)生徒には、それなりの原因があると、どうして思わないのだろう。また、子供が大学に通っていない事に気付かない親御さんにもまた、何か原因があるとどうして思わないのだろう。先生方は「本人とはもちろん何度も議論している。話も聞くし、相談にも乗るし、助言もする。それでも本人がやる気にならないのであればどうしようもない」との事ですが、そこまで先生方がされているのに、生徒が不登校なら、その生徒さんには、尋常ではない理由があると、どうして考えないのか。その理由の一つに、その生徒が発達障害である可能性に、どうして思い至らないのか。何故「やるべき事は全部やった、それでも本人がやる気にならないのだからどうしようもない」と、言えてしまうのか。

 話す。相談に乗る。助言する。こんな事で、発達障害者が救われるわけがない。彼等が必要としているのは、発達達障害の可能性に気付いてもらい、その障害特性に合わせた支援を、してもらう事です。親側が発達障害である可能性を考慮し、何等かの支援に繋げる事です。

 そこまでしなくては、不登校は減りません。

 もちろん、先生方に、そこまでする義務はありません。大学の先生は、学生に必要な知識を与えるのが職務で、それ以上ではありません。

 ただ、「生徒が社会に出たあと困るかどうか」まで、先走って心配されるのであれば、そこまで(職務外の)生徒への心配りをするのであれば、一ミリでも障害の可能性について、考えて下さってもいいのではないか、と思うだけです。

 発達障害の可能性に、全く言及されない、1ミリも思いを至らせないという事が、教育への熱意に比して、あまりにアンバランス過ぎるのではないか、と思うだけです。

 そして、勿論それは、個々の先生方の落ち度ではなく、この社会の現実であるわけです。15%存在する発達障害者は、「いない」ものとして社会常識が構築されているのです。インテリジェンスの最高峰である大学ですら。

 大学の学生には発達障害はいない、社会人には発達障害はいない。大学の先生方は、そういう世界観を持って生きておられる。これが現実。先生方が悪いわけではありません。ただの現実です。これから社会に出なくてはならない大学生である、発達障害中度の息子にとって、これがどれだけ怖い事か。分かる方には分かって頂けるでしょう。それでも、希望を捨てずに頑張るしかないわけです。私達は頑張っていると、死に物狂いで必死で生きていると、誰からも認めて頂けるような説得力を持つ生き方をしなければ、発達障害者は生きてはいけないのだと、強く思いました。頑張るか、もしくは死ぬか、どちらかしかないのです。そしてこういう事は、かつての私自身がそうだったように、健常者の世界しか知らないエリートの方には、分からない事だと改めて思いました。それは、その方の罪ではない。

  

 *この記事は、私と同じように、発達障害児を育てながら苦闘されている方に向けて、何等かの気持ちの共有ができればと思い、書きました。記事を書かれた方におかれましては、ネガティブな形での引用で申し訳ありません。大学の先生方のご意見を、こういう風に、構える事なくざっくばらんに書かれた記事を読んだ事がなかったので、非常に貴重で有難かったです。また、前回の記事にスター下さった方も、有難うございました。


    今回、私がここまで熱くなって語ってしまったのは、私の姪が、大学一年で不登校になり、でも親には大学に通っていると偽り続け、大学から親にはなんの連絡もなく、姪は留年し、そのまま心を壊して鬱になったという経緯があるからです。鬱になって初めて姪は精神科にかかり、発達障害がわかりました。もっと早くに気づいてやり、適切な支援を受けさせていれば、精神を病むまでには、ならなかったと思います。悔やみます。