書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

競争社会と消費社会にいる限り幸せにはなれない説

 人間が幸せになれない理由は、競争社会と消費社会に留まっている事だという論を読んだ。ネットのちょっとした記事の一部分だったと思う。確かに、と思ったので今日はその事を書こうと思う。

 衣食住が足りていない場合は別だが、そこが満たされているにも関わらず、人間が幸せにはならないのは、常に周囲と競争し勝ちたいと考えているからだそうだ。意識的にそうしているのではなくても、無意識に負けたくない、負けると嫌な気持ちになる。対象が何であれ、他人に勝ると気分がいい。

 もともと人間の中にはそういう性質があり、それを「教育」や「しつけ」に利用されるので余計に助長されるのだと思う。就学前から周囲と競争させられ、勝つと褒められる。どんな分野においても、少しでも周囲より上にいくと褒められる。下にいくとガッカリされたり励まされたりする。学齢期を過ぎ、社会人になったら更にここに収入や権力といった目に見える成果が加わり、競争が激化する。私達はそれとは明言されなくても「勝ち続けなくては幸せにはなれない」と感じている。

 勝ち続けている何もかもを持っている人、でない限り、私達は幸せを感じる事は出来ないという事になる。

 なので、いち早く、競争社会から逸脱したほうが良いわけだ。これは、私のような専業主婦には可能だが、私だとて子供に周囲と競争させないという選択は難しい。いや、難しかった。競争意識を利用して勉強させたし、今後は仕事でそれ利用して働かせるだろう。本当にこれでいいのか?と考えたら、いいわけないと気づいた。

 私自身は競争社会から外れているので、私自身のことで他人様と比べる意識はついぞなくなった。だから私自身のことであれば、もう不幸は感じない。障害児を産み育てている事ですら、今は大変で苛酷であるという事実は感じているが、不幸とは感じていない。

 でも、子供は競争社会にどっぷりつかっているので、疲れているように見える。何をしても満たされる事はなく、焦っていたり不満や不安を感じているように見える。当たり前だろう。私は今、子供を競争社会から抜け出させてやらねばならないと強く感じている。どうやればいいのかも、少しづつ考えている。

 

 競争社会から抜け出したとしても、それで幸せになるわけではなく、消費社会からも抜け出す必要がある。新しく買う事を喜びとしない事だ。新しく買う事を喜びとしてしまうと、キリがない。必要ないのに買う、手に入れる、を続けないと幸福感を感じなくなる。必要ないもので一杯の生活は、煩わしく、自己嫌悪にまみれ、買っても買っても幸せには到達しない。世界には自分が持っていないもので溢れれているから。それを全て手に入れる事は出来ないから。

 競争社会と消費社会からいち早く抜け出す事が、幸せになる秘訣だと思ったので、書いてみた。60歳近い専業主婦の私には可能な気がするが、子供が問題。とはいえ彼は発達障害なので消費は求めない。自ら競争も求めない。自分を他人と比べない。ただ、社会システムが競争を基本としているので、社会に出ると競争せざるを得なくなる。そこをなんとか工夫していかないとならない。なかなか難しい。

今年も行った中之島バラ園