書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

その場限りの嘘の効用

 今日は愚痴みたいな話になります。

 昨晩、寝る間際に、息子がやって来て、いつもの「こだわりからくる面倒くさいからみ」をやり始めました。

 息子は、寝る前に、その日にあった出来事の中で、自分の心の重荷になっているものを全て、私に押し付けて、私から「全部大丈夫」というお墨付きを貰わないと、我慢できないという性質なのです。

 春休みの間は、特に重荷になるような出来事はなかったので、からみもほぼ無く(ゼロではなかったですが)、私もすぐに安らかに寝れたのですが、そろそろ新学期への準備が始まったので、怪しくなってきました。

 昨晩は、来年度のシラバス(教科ごとの予定表)が出揃ったので、息子がそれをチェックしていて、気づいた気がかりについて、私にからんできました。

 内容は、「僕は中間試験してほしいのに、中間試験をシラバスに書いてない科目がほとんど。本当に中間試験はないのかな?」というもの。

 

 いや、知らんやん、そんな事、私に聞いて分かるわけないやん。というのが、普通の親の反応だと思いますが、そういう普通の反応は、発達障害児に対してはご法度です。キレ散らかされますし、悪い場合は、精神疾患状態になります。

 

 なので、眠い頭を必死で覚醒させ、慎重に考えました。

 何故、息子は中間試験をしてほしいと思っているのか。

 おそらく、期末だけだと、合否が一回の試験で決まってしまうので怖いのだろうと。中間もあると、二回の試験をしてもらえるので、どちらかを失敗してもなんとかなるという安心感があるのだろう。

 ここまでは想像できたのですが。実は、つい二か月ほど前には、息子は真逆の事を言っていたのです。中間試験、無いほうがいいと言っていた。GWに旅行がしたいから。中間はGW明けにあるので、中間があると、旅行ができない、というのがその理由です。で、私に、学校の学生相談室に電話させ、来年度は前期に中間試験があるかどうか、問い合わせをさせたのです。昨年度の前期は、ほぼオンデマンド授業だったので、全く参考にならないので。その時の相談室の先生の答えは、「おそらく、中間はあるでしょう」との答えでした。

 でも、来年度のシラバスが出揃った今、確認したら、ほとんどの教科で、中間試験は書いていないのだと、息子は言う。

 いいじゃん、希望通りじゃん、と私は思ったのだけれど、この2か月で息子の気持ちは変わったらしく、やはり中間試験はやって欲しい、どうしてもやって欲しい、という気持ちになったらしい。

 ここまで、眠い頭をこじあけて必死で考え、私は、息子に、こう言いました。

「明日、シラバス一緒に確認してあげるけど、書いてなくてもやるかもしれないよ。そもそも、この前、相談室の先生は、中間やるって言ってたんだから。いずれにしても、授業が始まったら、直接先生に聞くのが一番だと思うよ」

 ごく普通の答えですが、これでも息子には我慢できなかったようで、ワナワナし出しました。

「そういう事言うの、やめて。直接、先生に聞かなあかん、とか言わないで」

 はあー。あれせい、これせいと言われると、強迫観念みたいになってしまうんでしょうね、彼は。だから、一切指示ができないわけですが。これは指示じゃなくて、提案なんだけどなあ。それでも嫌なんだなあ、彼は。

 これはもう、大嘘をつくしかない、と腹をくくりました。

「相談室の先生が、中間はある、って言ってたんだから、8割9割、あると思うよ。シラバスには書いてないのは、教授が面倒で省略してるだけじゃないかな。明日、お母さんが一緒に見て、確認してあげるよ」

 これで息子は納得して、私の部屋から出て行ってくれました。

 でも、私の心には、嘘をつかされた、という重たい嫌な気持ちが残りました。そういう嫌な気持ちを持ったまま寝ざるを得なかったので、朝目覚めた時も、暗い気分でした。

 

 こういう暗い気分の時は、一番億劫な、やりたくないと思っている事こそ、率先して丁寧にやるのが一番良いのです。経験上。

 それで、朝の家事を終えた後、息子と一緒に、各教科のシラバスをしっかり読みこみました。全部印刷し、教科ごとにホチキス止めし、評価方法の箇所を蛍光ペンでマークして、全教科チャックしました。

 確かに、息子の言うように、評価方法の欄に、「中間試験と期末試験」と書いてある教科と、ただ「筆記試験」とだけ書いてある教科があります。こういうのを見ると、本当に大学って不親切というか、だらしないなあと思います。表記が徹底されてないんですよね。

 「中間試験と期末試験」という表記があるなら、もう一方は、「期末試験」という表記にすべきです。それを、「筆記試験」と書かれてしまうと、学生は戸惑います。筆記試験=期末試験、なのか。それとも、筆記試験=中間試験+期末試験、なのか。

 私は、息子に、以上の事を説明し、息子が不安になるのも当然で、これは大学側の表記方法がおかしい、と説明しました。幸い、来週、学生相談室の先生と相談する機会があるので、その時、もう一度、この件を聞いてみましょう、と。

 その上で、「相談室の先生が答えてくれるとは思うけれども、最終的に中間試験をするかしないかを決めるのは、担当教授だから、授業が始まったら、聞きに行ったらいいと思うよ」

 今度は、息子は納得し、私の答えを受け入れました。私は昨晩と、ほぼ同じ内容を言ったのですが、ほんの少しのニュアンスの違いで、息子には受け入れられたようです。幸いです。

 

 それにしても。

 息子のこだわりは、その時に自分が「大事」と思っている事にこだわるので、「GWの旅行が大事」な気分の時は「中間ない」という答えしか受け入れず、「テストの機会が多いほうが安心」な気分の時は「中間ある」という答えしか受け入れません。

 それに合わせて、私はいつも、「その場限りの嘘」をつかねばなりません。これがしんどいんですよね。嘘はつきたくないですから。

 何故私が、嘘をしんどいと感じるかどいうと、嘘から生じる厄介事に対処するのがしんどいからです。それは、本当の事だけを言っていれば、引き受けなくてもいい厄介事です。でも、私が嘘をつかねば息子が収まらない以上、私は嘘をつかねばならない。この嘘には、私が引き受ける「しんどさ」に見合うだけの、効用があるからです。「厄介事」については、逃げずに向き合っていけば、いつかは解決します。ただ、それがとてもしんどい、というだけの話で。

 要するに、いつも書いているのですが、発達障害児を育てるという事は、健常児さんを育てるのとは異質のしんどさが、いつもついてまわるんですね。嘘をつかねばならないというしんどさ、現実や正義を言う事は許されない、というしんどさ、いつも折れる側にいなければならない、というしんどさ、どんな時にもすぐに対応せねばならない、どいうしんどさ、まだまだありますがやめておきましょう。

 というわけで、今日はここで終わります。良い一日を。

 

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