書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

萩の寺に参拝

 秋と言えば萩、という事で、大阪で萩の花が見れる所はないかな、と探したら、萩の寺という所を見つけました。正式名称は、東光院阪急宝塚線の曽根駅から徒歩5分ほど。大阪駅から15分ほどで着きます。近い!

 という事で、行って来ました。

 こちらが東光院。小さいながら、落ち着いた境内には、しかし残念ながら、まだ萩の花は咲いていませんでした 涙。残暑厳しい折、これは仕方ないです。普通に参拝だけさせて頂きました。あと、残念だったのは、本堂の中は見れなかった事。戸が閉まっていて入れなかったんですよね。ご本尊には薬師如来様もあるそうです。見たかった~。

 右手が本堂。手前に萩の花園があるのですが、まだ緑一色でした、、、

これはネットで拾った画像↓。満開だとこんな感じなんですねえ。綺麗。

 

正岡子規の句がありました。当時から「萩の寺」で知られていたようです。

 

ホームページによると、

奈良時代に創建。後醍醐天皇念持仏こより十一面観世音菩薩、徳川家康公念持仏厄除薬師如来豊臣秀吉公勧請道了大権現ほか、多くのご本尊をまつります。

もとは大坂豊崎の里(摂津国西成郡豊崎村下三番、現在の北区中津)にあって、境内に萩多く、通称「萩の寺」として親しまれ、「南の四天王寺、北の東光院」と並び称された格式ある古刹でした。

大正3年(1914)、阪急電車敷設により現在地に移転しました。

永い歴史の中には様々の変遷を経ておりますが、なかでも戦争にはばまれ、移転復興も中途の仮住まいを余儀なくされ、かつての名刹の偉容を知る人も少なくなって久しい時代もありました。近年境内整備・堂宇再建も徐々に進み、その中で判明した史実も少なからずあります。

との事。阪急電車敷設の為に、中津から豊中へ、移転したんですね。なんとなく、そんな感じがしました。もともとここにあったお寺ではない、という感じ。でも、落ち着いた佇まいの境内は、この地に根付かれた故だと思います。

 

 ホームページを読んでいて、「あ!」と思った箇所がありました。

門前の萩の寺公園は、もとは蛇喰池(じゃはみいけ)と呼ばれた荒蕪地でした。この池に掛かる延命橋は、阪急電車レール二本を用いて東光院が架けたもので、曽根駅からの参道となっていました。池は公園となりましたが、三代目の橋が今も門前に架かっています

 確かに駅からお寺に行くまでの道筋に、橋がありまして、その橋の下は児童公園のような小さな公園になっていました。橋の周りに、沢山の野生の萩が、通行の妨げになるほど一杯に伸びていて、係の人が伐採されているところでした。伐採のちょうどその中を、私、橋を渡りました。ここ一帯は、昔は荒地や池だったのですね。蛇喰池、とはすごい名称ですね。お寺が移転してきたおかげで、整っていったのだと思います。今はとても素敵な住宅地です。

 

 さて、というわけで、萩のお寺を後にして、大阪駅まで戻ってきました。

 ちょうどお昼時だったので、食事をしようと、いつもの阪急32番街のパスタ屋さんへ。

 景色が素晴らしいし、パスタは美味しいし、しかもお手頃価格。この日は、明太海老しそなんとかパスタ。付け出しのスープに食後のコーヒーも込みで1180円也。

 窓際の席に座りまして、景色を見ながらまったりしました。曇りの日だったので、窓際でも暑くなかった。遠くにちらっと川が見えます。梅田はビル多いなあ。

 中津は梅田のすぐ隣なので、こんな場所に、お寺が存続は出来ませんよね。移転やむなし、なのでしょう。

 大阪城だって、今の大阪城は、秀吉が建てたものではないですしね(秀吉が建てたお城は、今の大阪城の地下に埋められています)。

 

 少し離れた席の、お若い女性二人の会話が、なんとはなしに耳に入って来ました。

「あ~、子供欲しいわ~」「分かる分かる」みたいな会話でした。

 彼女達の年齢の時、私も漠然と、子供が欲しいと思っていたなと思い出しました。赤ちゃんや幼児が、可愛いなあと。で、産んでみたら障害児でびっくりというわけで。でも、必死で育てて今わりと楽しいので、まあいいか、と思っています。

 若い方々は、これから色んな経験をされるのでしょう。それが人生ですね。私にも、まだ少し人生残っていますから、大事に生きていきたいなと思います。

 では、また~