書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

恒例女子会

 60近くなって「女子」と名乗って良いのかは不明ですが、大学時代の友人7人との会食を、年に2回ほど行っています。

 メンバーの一人のお子さんがちょっとした芸術家で、その定期展覧会を拝見するのが集まる理由だったり、誰かが見つけて来たお店に行くのが口実だったり。何かしらきっかけがあると、自然に集まりが開かれます。

 基本的に私は、必ず参加することにしています。なんなら、私が主催で開催することもあります。

 普段、一人で静かに暮らしているので、たまに友人達と会って半日もお喋りすると、さすがに疲れるんですが、なんでしょうか。疲れるんですけど、逆によく分からない体調不良がスカッと治ったりします。なんだかんだ楽しいのです。

 大学の友達なので、今や属性も様々で、既婚未婚、子供有る無し、仕事有る無し、親の介護有る無し、等々。住まい地域も関西一円に広がっており、大阪京都滋賀奈良神戸。それでも7人もいると、自分の属性の何等かは誰かと共通している為に、話題には事欠きません。よくもまあこんなに喋る事があるものだ、と思うのですが。あるんですよね。不思議です。

 やはり悩みのトップは、子供のいる人は「子供」です。外から見たら素晴らしいお子さんでも、親には悩みが尽きません。かの芸術家のお子さんだって、今だに収入は不安定でかかりは親頼みだそうで驚きます。子供がいない人は、夫婦関係だったり自身の体調だったり老後の不安が悩みのようです。それも分かります。

 誰かの悩みに対するみんなの言葉の一つ一つが、「ああそうだよね」「うんそうだわ」「それは思いつかなかった」というものばかりで。私の場合、母親や姉や夫と話しても、こういう風にうなずけることはありませんし、新しい見方を教わる事もありません。

 いつまで集まれるか分かりませんが、自分の足で歩ける限り、みんなに会いに行きたいなと思っています。私は大学では全く勉強しなかったのですが、友達が出来た事だけは有難かったです。

 

 今思い出しましたが、この7人、入学式の日に友達になったんですよね。生徒がアルファベット順に並ぶ大学で、私達は姓が同じアルファベットで始まるんです。それでなんとなく一緒に動いていて、いつの間にかグループになっていました。性格は様々ですが、共通点があるとしたら「慎重で堅実」という事でしょうか。価値観が似ているから、今でも付き合いが続いているのかもしれません。余計な事を言わないし、衝動的な人がいないので、波風も立たないんですね。

 大学時代ずっとべったり一緒だったわけではなく、サークルもゼミもバイトもみんな別々だったのですが、何かで集まるとなるとこの7人になっていました。

 もしかすると私達は、自分以外のメンバー全員の事を、秘かに自慢に思っているのかもしれません。尊敬と言うと言い過ぎですが、すごい人だと思っている。彼女達と友達でいられる事が、誇りなんですよね。

 全員がまだ健康で集まれるというのは有難いです。もうかれこれ40年の付き合いです。

 

 

 今、自分の過去記事を読んでいて、こんなのが出て来ました。

oinor-i.hatenablog.com

この友達というのは、今日の記事の友達のことなのですが、この時私は、「この友達がいなくなっても私は辛くない」と書いています。昨年の12月の記事です。あの時は自分の人生が本当にしんどくて、楽しさや安らぎ等求めていなかったんでしょう。

 今は、この友達がいなくなったら、私は辛いと思います。

 ほんの数か月の間に、私の心境が変わったのですね。ビックリしました。

 確かに、昨年後半から今年の最初にかけて、私は地獄のような苦しみの中にいました。心が冷え切っていて、いつ死んでも構わないしむしろ死んだほうが楽だ、という日々をずっと過ごしていました。

 今年の3月頃から、状況が少しづつ改善し、4月の今は、すっかり変わりました。悪い状況っていつまでも続かないんだなという事と、とにかく諦めずにもがき続けて少しでも良いと思える方向に進み続ける事は大事ですね。

 あと、上の記事に出てくるように、自分の人生が苦しい時こそ友達を必要とする、という人もいれば、私のように、自分の人生が苦しい時ほど友達を頼らない、という人間もいるんだなあと思いました。そう、私はそういう人間なんだという事を改めて思いました。