あ~、と溜息をつきたくなるような事がまたありまして。でも、まだ結論に至っていないので、ある程度お話としてまとまったら、記事にします。
で、溜息をつきながら歩いていまして、ふと思ったのです。
私は「たまたま」生きているのだし、「たまたま」死ぬのだろう、と。
私以外の人も、動物も、草花も、「たまたま」生まれたのだし、「たまたま」死ぬのだろうと。そこに何かしらの「生まれた意味」「生まれた必然性」「生きる意義」みたいなものは、きっと無いのだろうと。
なんかしらの化学反応というか、生物反応というか、そういうものの偶然が重なって生物が生まれて、生まれて生きて死ぬ、だけの事なのだろうなと。
だから、たまたまだから、意味なんてなく、ただ生きて、ただ死ぬ。
勿論、生物としての何らかの方向性みたいなものはあり、空腹になれば何か食べて栄養を取る、人間は個体単体では生きられない(生殖ですら2個体必要)から社会的に集まって生き、群れの中で自己中心的に振舞うなら追い出され、お人よし過ぎれば負荷が集中する、群れの中で安心した位置にいると生きやすいから安定の位置を取り合う。。
それは脳が、とか感情が、とか持ち出すまでもなく、生き物としての自然な方向性として、たまたまそういう風になっただけの事だと思うのです。
世の中はなんか複雑なように見えるけれど、結局は、人間が生きるという事を続けてきて自然にたまたまこういう感じに構築されただけな気がします。
そんな中で、生きる意味なんかないとふと思ったし、たまたま生きてる、という感覚が、今の自分にピタッときました。
大阪城公園の梅。小雨の中で、ふわっと咲いていました。