書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

「恵まれていた事」と「試練」。私について。

 誰も知りたくないと思うのですが、私自身の整理の為に、今日は、私自身のことをまとめてみたいと思います。

 

 切り口は、「恵まれていたなと思う事」と「試練だったなと思う事」です。

 

 「恵まれていたと思う事」は、まず、生まれた家が裕福だった事です。また、父親が人間的に尊敬できる人だった事も、恵まれていたと思います。母親も、放任気味かつ自己中心的な人ではありましたが、悪人ではなかったので、これも恵まれていた事に入るでしょう。

 あとは、わりと頭と要領と人付き合いが良かったので、勉強や受験で苦しんだ記憶がなく、すんなり大学を卒業してあっさり就職し、とても乞われて結婚しました。受験就職結婚という、大きな節目で、一切困らなかった。恵まれていたと思います。

 今現在で、恵まれているなあと思うのは、経済面。専業主婦ですが、若い頃に投資していたので、お金にはこれからも困らないと思います。健康面も、今のところ元気です。人間関係も、「友達」と呼べる人は何人かいますし、また、新しく友達を作る事も簡単にできる性格です。こういうところも、恵まれていると思います。

 

 次に「私の試練」について。

 まず、小さい頃からの事を考えると、身体が弱かった。小学校も、半分ぐらい行けていない学年があります。腺病質なんですね。とにかく全身が弱い。この年になっても元気でいられるのは、ものすごく養生して暮らしているからだと思います。仕事もしていませんし、やりたい事も半分ぐらいにセーブしています。そういう「我慢」が習い性になっています。

 また、育った家庭内でいえば、父がほとんどいなくて、母と姉と暮らしていたのですが、この母と姉が揃って自己中心的なタイプの人達だった、というのが試練だったと思います。子供の時は気が付きませんでした(こんなもんだと思っていた)が、大人になって自分の家庭を持ってから、私の育ちは異常だったと気が付きました。でも、私はわりと精神的に強いタイプだったので、心を壊す事はなかった。なんとか乗り切れてよかった。

 あと、試練と言うほどではないですが、外見的に、あまり美しい見た目ではありません。中の中、という感じ。自分で、自分の顏は好きですが、人がパッと見て「わ、綺麗!」と思われる顏ではありません。女性としては、この点は、人生において、わりと大きい事かなと思います。

 最大の試練は、生まれた子供が、中度の発達障害児だった事です。

 いやこれは、厳しかった。本当に厳しかったです。これは、さすがに「死」を何度も考えたほどの厳しさでした。そして、当然ですが、今も続いていますが、厳しさのレベルはだいぶ下がって来ました。今は「とりあえず、前向きに生きていこう」と思えるレベルになっています。

 

 私自身について、「恵まれた事」と「試練」という切り口で、まとめてみました。自分がやるべき事が、ハッキリ見えて、良かったです。

 

 さて。あともう一つ、書いておきたい事があるのですが、私は生育期に、6回死にかけています。病気で、を入れるともっと多いのですが、それは省き、いわゆる「事故」で死にかけた事が、6回あります。この数が、多いのか少ないのか、分かりませんが、記録として書いておきます。

 

1回目:2歳頃。道を歩いていて、マンホール(下水)に落ちた。自力で上がれるような梯子もなかった。

2回目:3歳頃。家で昼寝中、枕にうつ伏せになってしまった。気が付いたら息ができなく、寝返りどころか身動き一つできず、声も出せなくなっていた。

3回目:4歳頃。家の近くの深いドブ川に落ちた。周りに助けてくれる大人はいなかった。

4回目:5歳頃。あるホテルのプールで、友達家族と遊んでいて、足のつかないエリアで溺れた。周囲に人はいたのに、誰も私が溺れてい沈んでいく事に気が付いてくれなかった。

5回目:小1の時。下校時の道で、車にさらわれそうになった。周囲には誰もいなかった。

6回目:中3の冬。夕方暗い時間、街で。知らない男に、狭い路地に引きずり込まれそうになった。周囲には誰もいなかった。

 

 どれで死んでてもおかしくないのですが、なんとか今生きています。

 1回目は、誰かが私が落ちるのを見ていて、大人の人を呼んでくれて、助かりました。昔は、下水の掃除をする時に、マンホールの蓋を開けっぱなしにしていたようです。私の母は、2歳の私が外に行く時も、ついて来てはくれなかったし、公園遊びなんかも一緒に来てくれず、私は幼児期の初期の初期から、一人で外に行っていました。

 2回目は、家で、昼間、お布団の上で昼寝をしていたんです。そして、何故か、枕に顏をうずめるようにして、うつ伏せの状態になってしまったのです。息苦しさで目が覚めました。すぐ近くで、姉が一人遊びをしている声が聞こえていました。腕だけでも動かせたら、姉に窮地を知らせられたのに、気づいた時にはすでに息が相当苦しくなっていて、身体が麻痺していて全く動かず、頭も動かせませんでした。何故助かったのか、よく分かりません。とにかく、必死で頭をずらしたんです。とてもずらせそうになかった。絶対に無理だったのですが、無理だと思っている自分が間違っている、出来る、動かせる、と自分に無理やり言い聞かせた感じです。その時の必死な気持ちは、今でもハッキリ覚えています。

 3回目は、周囲に大人が誰もいない所で、深いドブ川に落ちてしまいました。家と家の間の暗い茂みに入って行ったら、草が茂っていて地面だと思っていたら、下がドブ川だったんです。どうやって這い上がったのか記憶にありません。確かに落ちた、足がつかない、そこまでは覚えています。おそらく、草のツタか何かを掴んで、上ったのでしょうが、記憶にはありません。

  4回目。ピアノの発表会がホテルであって、発表会終わりに、お稽古友達の家族と、そのホテルのプールで遊んだ時のことです。私だけがぽつんと小さくて、あとは姉の年代の子供ばかりでした。母親達は、プールサイドの椅子でおしゃべりしていて、子供達だけがプールに入っていました。私は姉に手を引っ張られて、バタ足で遊んでいて、姉が間違って、足のつかない深いエリアに入ってしまったのです。姉も溺れかけましたが、なんとか踏ん張ったようで(私より背が高いので)、私は完全に溺れました。この時のことはよく覚えていて、さっきまで掴まっていた姉の手がふいになくなり、立とうとしたら足がつかず、パニックになって息が出来ず水が口にも鼻にも入ってきて、どんどん自分が沈んでいき、周囲を見渡すと沢山の人がいる、でも誰も私に気付かない。どうやって助かったのか覚えていませんが、姉が知らせた事で、探してもらえたのだと思います。でも、一気に底に沈んでしまったので、見つけるのは大変だっただろうし、時間がかかったら私は死んでいたと思います。

 5回目は、小1,下校時。一本道なのですが、周囲に家はなく、寂しい道でした。乗用車がスーッと来て止まり、後ろのドアが開いて、女の人に「〇〇町って知ってる?」と聞かれました。私が小さい頃は、今のように「知らない人と話してはいけません」という注意は、言われていませんでした。むしろ、「大人の人には礼儀正しく」と躾けられていた時代なので、大人に人に聞かれたら、絶対に答えないといけないと思い込んでいました。なので、見知らぬ女の人の「○○町って知ってる?」という問いかけにも、答えねばと思いました。とはいえ、○○町など知らず、「知らない」と答えると、女の人は、手に持った地図を指して「ちょっとこれ、見てくれる?」と言うのです。見なきゃいけないのかな、と思い、1歩2歩、女の人のほうへ、つまり、ドアの開いた車のほうへ踏み出し、その時、ゾッとするような恐怖を感じました。女の人は、ニコニコしているのですが、ものすごく怖かった。何かどす黒いものが女の人の後ろから、出ていました。駄目だ、近づいちゃ駄目だ、と頭の中で警笛が鳴り、私は後ずさると、必死で駆け出しました。今、考えると、小1に地図が読めるはずがないのに、地図を読ませようとした事自体が不自然で、やはりあれは、危なかったと思います。

 6回目は、中3から高校へ入る直前の冬でした。私はお小遣いで冬のコートを買いました。家に帰ったら、母に「なに、その安っぽい、下品な服」と小馬鹿にされたので、返品しないといけないと思い、また街へ戻った時のことです。私としては、気に入っていたコートなので返したくなく、でも子供の着るものにものすごく煩い母にああ言われたら返すしかなく(返さなければ捨てられるか切られる)、迷い迷い歩いていました。すっかり日が暮れ、知らない道に来ていました。人通りのない暗い街でした。すぐ先の細い暗い路地の前に、当時の私が「おじさん」と認識する年代の男の人が立っていました。男の人は、私のほうを見てニコッと笑って手招きしていました。私の頭の中は、結論の出ないコートの事で一杯で、その男の人のことは、目に入ったけれどあまり何も考えませんでした。ただ、その人が手招きしているので、私に何か用かな、ぐらいは思った。それで、深く考えずに、その男の人のほうへ歩いて行きました。あともう一歩で、すぐ前に立つ、という時に、また同じ感覚がしました。何とも言えずどす黒いものが、その男の人の後ろから私ほうへ、流れてきたのです。コートで一杯の頭に、警笛が鳴り響き、私は「あ!」と気づいて、後ずさり、逃げました。

 

 こういう事は誰しもが経験する事なのでしょうか。私には分かりませんが、どの時も、一歩間違ったら死んでいたところを、なんとか助けてもらったなあと思います。こういう「死にかけた事」は、16歳を機に、一度も起こっていません。子供と呼べる年齢の時だけでした。16歳以降のほうが、危ない事を沢山やったのですが、死を目の前にするような事態には、6回目以降は一度もなっていません。

 私は長じて「目に見えない世界」について色々聞いたり考えたりする中で、目に見えない世界には、神仏の世界と、魔の世界とがある、という認識を持つようになりました。そして、この「魔の世界」というのが、とても感覚的によく分かるのです。何故なら、死にかけた6回の経験の時、「魔の世界」を感じたからです。5回目と6回目でとても強く感じましたが、1~4回目でも感じていました。それは、暗くて粘っこくどす黒いものです。死にかけた時、私はそこに「落ちる」と感じました。

 何等かの要因で、子供は「魔に落ちやすい」のだろうと思います。昔の日本では15歳前後で元服したように、15歳をこえると、簡単には魔に引っ張られなくなるのだと思います。逆に言うと、子供は気を付けてあげないといけないのだろうと思います。

 勿論、大人も、本人の生き方として、低い生き方をしていると、引っ張られやすくなるわけで、そこは気をつけないといけませんが。

 

 いずれにしても、いつ死んでてもおかしくなかった事を思うと、今、生きていられる事が、有難い気がします。

 

 話は急に変わりますけど。2週間ほど前、黄色い蝶々を撮りました。

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 今年初めて撮れた黄色い蝶々です。黄色い蝶々は、動きが早いので、なかなか撮れないんです。。。この撮影後(?)に、パッと飛んで行ってしまいました。

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 名残惜しく、蝶々のいない花も撮りました(笑)。ではまた。