書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

天国と地獄

 おはようございます。今日もいい天気ですね。朝から気持ちよく家事を片付けていたら、もう11時になってしまいました。やっと一息。

 今朝ふと、私のこの拙ブログを読んで下さる方が、疑問に感じられる点があるんじゃないかと、思いまして、今日はその事を書きます。

 「この人、発達障害の子供と、勝手な夫と一緒に暮らしていて、あと母親や姉の愚痴も沢山書いているのに、一方で、やたら幸福感を感じるとかいう記事も書いていて、矛盾してないか?」という疑問です。

 これは、こういう事なんです。

 私は「一人でいたら天国」なんです。一方で、「息子(もしくは夫)がいたら地獄」なんです。まあ、地獄は言い過ぎかもしれません。地獄にも濃淡があると思うので。息子や夫といる時の私がいる地獄は、程度の軽い地獄だとは思います。もっというと、母や姉と一緒にいても、他の親族と一緒にいても、同じくまあまあ地獄なんです。

 そういう意味では、ずーっと(程度は軽いとはいえ)地獄の中で育ってきて、そこが地獄だとは気が付かなかった。就職して独立して、初めて幸福感を感じて、でも結婚して子供を産んで、また地獄に戻った、とこういうわけです。

 何度も書きますが、私のいる地獄なんて、程度の軽い地獄だとは思います。でも、地獄は地獄なんで、まあしんどいわけです。そのままはまっていると、心を病みますので、一人でいる時は、地獄の事は一切忘れて「自分一人」に意識を切り替える事にしています。

 だから、一人の時の私が、太陽の光を浴びただけでふつふつとした幸福感に満たされるのは、正直な感想で、嘘ではないのです。他の人から見たら、矛盾しているように見えるかもしれませんが。

 あとは、「家族や親族といる時は地獄」とハッキリと割り切る事で、同じく自分の心を守っている面があります。つまり、息子に対して、夫に対して、母に対して、姉に対して、「ちょっと酷過ぎないか?自分勝手過ぎないか?どうしてこの人はこうなのだ?」と疑問に感じたり、「こう変わってくれたらいいのに」と期待する事を、私は一切しないのです。これをやり出すと病みます。相手は絶対に変わりませんから。どうやって気持ちを割り切らせているかというと、「この人は鬼なのだ」と思う事にしています。

 息子も鬼、夫も鬼、母も鬼、姉も鬼。だから私を苦しめるのは当たり前。だって鬼なのだから。それが彼等の役割なのだから。地獄ってそういうもの。

 彼等は、私が主人公のこの世界で、「地獄の鬼」という役目を演じてくれているだけなのです。彼等に罪はない。ただ役目を演じているだけだ、と。

 そう考えれば、「変わって欲しい」と思う事自体がナンセンスなわけです。

 なぜ私が、(程度は軽いとはいえ)地獄にいないといけないのかと言えば、おそらく前世で大変な罪を犯したのでしょう。そのつぐないを今しているのだろうなあと思います。だから逃げずにただ淡々と生きていくだけの事。そして、無事に生きていく為に、家族と一緒ではない一人の時間には、家族の事はキッパリ心から切り離すようにしていて、その切り替えがいつの間にか徹底できるようになったのだと思います。

 だから、一人の時の私は、いつも幸せをほんのり感じていられるのです。

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    ちなみに、息子や夫や母や姉が、優しい時は、「優しい鬼だな」と思います。妙に有難みを感じるんです。