書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

本心を言うべきか否か

 今日は、考えたい事が色々頭に浮かんでいるのですが、どういう風に切り取ってまとめたらいいのか、よく分かりません。なので、とりとめもないまとまっていない内容になるかと思います。すみません。とにかく、書いてみます。

 

 最近、「自分の本心を押し殺し続けてはいけない。何故なら、いつか爆発するから」という意見をよく目にするのです。「逃げられない関係(親兄弟や同僚上司顧客)に対して、我慢を続けていると、自分が苦しみ続ける事になるから、言うべき事は言うべき」と。

 そして「もしあなたが生きるのが辛いなら、それは、自分の本心を押し殺しているからだよ(要するに、自業自得)。意見を言えないなら、生きるのが辛いままだよ」と。

 確かに、そうなんですよね。でも、こういう事を発言している人が、じゃあ、逃げられない関係の人に、自分の本心を言えているのか?というと、そんな事ないんじゃないかなと思うのです。

 こういう事を発言している人が、言いたい放題言う対象は、自分より「下」の人達だと思われるからです。同僚上司顧客には、「言いたい放題の本心」は、絶対に言っていないはずです。また、もし親兄弟には言っているのなら、彼等の中で親兄弟は「自分より下」の分類になっているだけのことだと思います。

 SNSでも、こういう発言をしている人がわりとおられますが、彼等にとって読者や視聴者は、「自分より下」という扱いなのだと思います。だから、読者や視聴者に対しては、平気で上から目線で言いたい放題できる。でも彼等とて、お金を稼いで生きているわけで、自分に直接お金を払ってくれる客や上司に対しては、言いたい事を言わずに我慢しているはずです。

 ある方(方)が、「読者が私に上から目線で決めつけのコメントをしてくるけど、失礼だとは思わないのだろうか」と書いておられました。この方ご自身は、ブログで、上から目線の記事を書き続けておられるのですが、自分は読者のことを、上から目線で決めつけて良くて、読者は自分のことを、上から目線で決めつけてはいけない、とこういうわけです。

 その理由は、「私のブログの読者は、私に対して信頼感を持っているから、私は読者に上から目線で意見しても受け取れる。でも、私は読者の事は知らないから信頼感を持っていない。だから上から意見をされても受け取れない」

 いやいや。読者だからといって、そのブログ主を信頼しているとは限りませんよね。ただブログ読んでいるだけなのだから。ブログ読んだだけで信頼するなんて、危なすぎるとむしろ思いますが。私は直接知らない人を、信頼はしません。これ、常識だと思うのだけど。

 つまりこの方は、信頼感という綺麗な言葉を使ってごまかしているけれども、要するに、読者の事を、自分より下だと思っているから、読者に対しては上から目線で決めつけた事が書けるだけなのだと思います。一方で、この方も、お仕事をされているわけで、顧客に対しては、まさか言いたい放題上から決めつけたりはしないでしょうし、相当遠慮して、相手に気を使っている事でしょう。信頼関係とか、関係ないですよね。

 親が子供に、自分の意見をぶちまける時も、この「信頼関係」という言葉が登場しますね。いわく「身内だから言ってあげるのよ。親子の信頼関係があるから、言えるのよ」みたいな。いやいやいや。だったら、子供から親に、駄目出しできないのは、何故でしょう? 子供に上から目線で言いたい放題言っている親に限って、子供からの駄目出しは、認めないです。親子関係に信頼があるなら、親から子だけでなく、子から親へも、意見を言っても良いはずなのに。

 結局、親が子に言いたい放題上から言う事にも、信頼関係とか関係ないわけです。ただの、上下意識。これだけです。

 

 言いたい放題本心をぶちまけられるか否かは、信頼関係とかそういう事じゃなく、また、逃げられる関係(逃げられない関係)とかそういう事でもなく、ただただ、「自分より上か下か」だけの事だと思います。

 自分より上の人には、本心をぶちまけない。自分より下の人には、ぶちまけられる。

 人はそうやって、自分の心のバランスを取っているのではないでしょうか。

 上から下へ。上から言われてパンパンにたまったストレスを、下に流す。本心とか、意見という名前で。

 

 人間の上下関係は、単純な人間関係で判断できるものではなく、微妙な力関係が入ってくると思います。例えば、上司と部下であっても、その部下に強力な縁故があれば、部下が上にくる、というような。

 また、本来、上下関係があってはならない、親子関係、兄弟関係、教師と生徒、においても、自己中心的な人間だと、自分を上だと判断しがちです。自己中心的な親、兄姉、教師は、それぞれ子、妹弟、生徒、を、下認定し、言いたい放題本心をぶちまけてなんとも思わないでしょう。

 こういう親、兄姉、教師であっても、自分の配偶者や恋人、上司には、本心を抑えて我慢するのです。嫌われたくないから。捨てられたくないから。大事にされたいから。相手から何をもらえないと生きていけない場合、その相手が上、自分が下になります。お金、愛情、心遣い、尊敬尊重の念、等々。人は時として、そういうものに執着し、それらが得られないと生きていけないと勘違いします。そして、そう思った時に、そこには上下関係が生まれてしまいます。

 そういう意味では、人から「下の人間」認定されたくなければ、そういうものに対する執着心を持たなければいいのでしょう。

 人から、お金、愛情、心遣い、尊敬尊重の念、等々を、もらおうとしない。得ようとしない。そうすれば、少なくとも、「下」扱いはされずにすむでしょう。

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 私は、誰に対しても、本心は言いません。本心を言うのを我慢しているのか、と聞かれたら、そうなんだと思います。本心を言わない事が、もう習い性になっていて、自分では全く意識していません。「言うべき意見」は言うけれど、それは本心ではありません。ただ、その時に、言うべき事なだけです。

 私が本心を出すのは、この匿名ブログ上だけです。

 冒頭に書いたように、「自分の本心を押し殺し続けていると、いつか爆発する」のだろうか、と考える事がありますが、どうなんでしょう。

 爆発するなら、した時のことだ。した時にまた考えよう、と思っています。爆発しないかもしれないし。分かりませんが。

 

 ただ、下の人間に、上から目線で決めつけたような意見を押し付けておいて、信頼関係云々言うのは、個人的には嫌だなと思います。もし、私が、誰かに本心をぶちまける時がきたとしても、それは、ただ単純に、私がもうそれ以上本心を押し殺している事に耐えられなかったから、だけの事です。

 「ただ私が言いたかっただけ」のこと。私が「言ってスッキリしたかっただけ」のことです。相手の為に、とか、信頼関係云々とか、ちゃんちゃらおかしい。そういう偽善は、絶対に言いたくないです。自分がそういう偽善を、言われ続けてきたから。

 とはいえ、今の私は、もう誰からも、上から目線で決めつけるような事は、言われなくなりました。「下」認定されなくなった、という事です。若い頃にした投資で、今はお金が定期的に入って来ますし、誰かの愛情を欲しいとも思っていません。優しさや心遣いを、他人に求める事もありません。欲しがっていないので、下認定されないのです。

 子供の頃は、当然ですが、ずっと下認定されて生きてきましたし、就職しても、結婚しても、若い頃は「下」でした。でも、今は違います。仕事はしていませんから、私に上司や顧客はいませんし、実母や義母ですら、もう私にとっては、「上」ではありません。対等か、もしくはあちらのほうが、下でしょう。何故なら、彼女達は私の庇護を求めており、私は彼女達に何ら求めていないからです。(とはいえ、私は誰のことも、下認定はしませんが)

 年をとるのも、まあ、いい面はあるものです。

 まとまらないまま、今日は終わります。ではまた~。