書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

いじめについての姉妹の記憶

 ちょっと変なタイトルになってしまいましたが、先日、叔父の訃報の際に、姉と話していて、知らなかった事を初めて聞いたので、備忘録として書いておきます。

 姉は何かの話の流れから、「私、子供の頃の記憶って、嫌な思い出しかないわ」と言うので、「どうして?」と聞くと、「いじめられてたから」と言うのです。

 姉は、小学校1年~2年にかけて、かなりいじめを受けていたそうで。

 物を隠されたり、絵具をぶつけられて全身真っ赤になったり、帰り道に付け回されたり。相手は5人ぐらいの男の子達で、寄ってたかったいじめられたと。男の子が好きな女の子をいじめる、というのではなく、本当のいじめだったと。自分達の鬱憤を、弱い子をターゲットにして晴らしていた、そういういじめだったと。

 姉がそれを母に言ったら、「そんな事を私に言って来ないで」と、母から受け取り拒否されたそうです。まあ、母らしいですね。

 結局、姉へのいじめは、3年生になって、クラス替えでいじめっ子達と離れた事で、自然となくなっていったそうです。

 今から50年前の話なので、学校も、いじめについて、真剣に対応していなかったのだと思います。何の対応もしてもらえなかった、と姉は言っていました。

 昔は学校でいじめなど無かった、とまことしやかに仰る人がいますが、あったけれども対応も把握もしていなかっただけだと思います。

 

 「それは大変だったね。私は全然知らなかったわ」と私は姉に言いました。本当に、初耳だったからです。父は家にいなかったし、母は受け取り拒否するし、年下の私に言ったところでどうしようもないし、で、姉が家でその話題をしなかったのも分かります。

 そうしましたら、姉が、私に驚くべき事を言ったのです。

 「でも、あなたもいじめられてたよ」と。

 え?私が?

 「あなたは気付いていなかったけど、あなたもいじめられてたよ」と姉は繰り返し、言いました。「あなたは、お人よしだし馬鹿だから、気づかなかっただけ」というようなニュアンスを言われました。

 そう言われたら、確かに、小学校低学年の頃、仲良くしていた女の子(仮にAちゃん)に、意地悪な事を言われたり、されたり、した事があったなと思い出しました。Aちゃんは近所に住んでいたので、母が一緒に遊ぶように仕向けた子でした。小学校に入るまでは仲良くしていたのですが、小学校に入ったら少しづつ、彼女は意地悪をしてくるようになったのでした。私の中では、「Aちゃんは意地悪になった」という認識で、私がいじめられた、という認識ではありませんでした。

 意地悪をされるようになってから、私はAちゃんを避ける事にし、以後、困る事はなかったからだと思います。

 ちなみに、そのAちゃんとは、中学・高校と、なぜかずっと一緒でしたが、小学校中学年以降は、私はAちゃんとは、一切喋らなくなりました。Aちゃんは、小学校中学年以降、逆にいじめられるようになり、いわゆる「いじめられっ子」になりまして、なんと彼女は、中学・高校とずっといじめられ続け、ずっと孤立していました。私の中では、「私とは関係ない子」というくくりで、唯一の幼馴染みであったのに、小学校低学年以降、彼女とは一言も言葉を交わさず無視を通しました。

 

 あと、小学校低学年の時、毎朝登校する際に、誰かと一緒に歩かねばならないという決まりがあり、母親が勝手に、近所のBちゃんと一緒に登校するよう、段取りを決めて来ました。

 このBちゃんも意地悪な子で、私は数日Bちゃんと登校した後、「Bちゃんは意地悪だから、一緒に登校しない。私はこれから一人で行く」と行って、以降、一人で登校するようになりました。

 一週間後くらいに、Bちゃんから「もう意地悪しないから、一緒に登校しよう」と言われましたが、「イヤ」と言って、二度とBちゃんとは登校しなかったし、学校でも無視し続けました。Bちゃんとは、中学で別れました。

 

 色々思い出すと、確かに私も、一瞬いじめを受けた時があったなと、改めて思いますが、自分の中では、いじめだとは、全く思っていませんでした。今も、あれをいじめだとは感じていません。多分理由は、すぐにそのいじめっ子から、自力で離れたからだと思います。何故それが自分に可能だったのかはわかりませんが、私はものすごく頑固で、一度決めた事は死んでもやり抜く性格なので、それが作用したのだと思います。

 多分、いじめっ子が違づいてきたら、私は「それ以上近づいたら殺すぞ」という殺気を、出していたのだと思います。いえ、冗談ではなく。

 

 姉が、私のこういう状況を、どうやって知ったのかは知りませんが(私も家では一切話さなかったので)、誰かから聞いたのかもしれません。

 姉から見たら、私は、鈍いお人よしの馬鹿なので、いじめられている事に気が付かなかったのだ、という事になるのでしょうが、私は、相手が意地悪をしてきている事には気づいていたし、気づいていたからこそ、すぐに離れたのです。

 でも、それを長々と姉に説明しても意味がないので、「え~、私もいじめられてたんやね」と返して、その話は終わりました。

 

 でも、姉は気が付いていないようですが、私が一番いじめられたのは、母から、そして姉から、なのですよね。。。

 友達からは逃げられても、家族からは逃げられませんから、私は、二人からのいじめを、甘んじて受け入れるしかなかったですね。

 だから、私は、二人から理不尽な事をされたり、言われたりしても、出来るだけ早く、割り切って忘れる事にしていました。

 それをして母や姉は、私は鈍感で馬鹿だから、何をされても気が付かない、という風に思っているのだと思います。

 でも実際は、私は二人からいじめられていた事に、気づいていますよ。当たり前ですよね。ただ、そこで私が怒ったところで、母や姉には敵いませんから。家の中で、私が一番年下で、一番弱者でしたから。どんな扱いを受けても、我慢するしかなかっただけのことです。

 

 私が、姉と完全に距離を置く事にしたのは、今から5年前の事ですが、そう決めたきっかけは、母の言葉でした。

 当時、姉から、とんでもない言いがかりをつけられ、私は一切悪くないのに、頭から否定され、侮辱され、キレ散らかされたという事がありました。それでも、いつものように私が、「とはいえ、二人だけの姉妹なのだから、許してやらねばならないな」と気持ちを切り替えようとしていた矢先。

 母が私にこう言いました。

 「あなたは、お姉ちゃんからどんな事をされても、お姉ちゃんが大好きだから、お姉ちゃんから離れられないのよね。あなたは一人にはなれない人だから」と。

 はあ~?

 私が姉を、完全に拒否せず付き合い続けてきたのは、姉妹がいがみ合ってはいけない、というモラル意識があったからです。同じように、母のことを拒否せずにいるのも、親を見捨ててはいけないというモラル意識からです。

 だから、許せない事を言われたりされたりしても、割り切って許してきたのです。

 それを、まるで私が姉の金魚の糞のように言われては、たまったもんではありません。姉の事が、好きだから、許してきたんじゃないですよ。姉や母を我慢してきたのは、私が孤独を恐れているからではなく、ただただ家族でいがみ合うのは良くないというモラル意識からです。我慢する人間=弱い人間、と母は思っているようですが、私からしたら、我慢するにはそれなりに胆力がいります。強いか弱いかといえば、強いんじゃないでしょうか。強くなければ、人を許し続けたりできませんよ。

 私が、家族の和の為に、我慢し続けてきた事を、私の弱さのせいだと思われていた事に驚きまして、これは耐えられないなと感じ、以降、姉とはキッパリ距離を置く事にしたのです。

 冠婚葬祭や、母関連の問題が起こった時のみ連絡はとりますが、それ以外はこちらから姉にコンタクトをとる事はありません。

 母に対しても、心でしっかり壁を作り、ある程度は関わりますが、関わり過ぎないように気を付けているし、本心を話す事は絶対にしません。馬鹿らしいですから。

 未成年の間は、どんな家族であれ、我慢して一緒にいなくてはなりませんでしたが、自活できるようになってからは、家族を我慢する必要はなくなりました。こちらの自由裁量で、距離を置いたり、心で壁を作ったりできるわけで、今は何の不都合もなく暮らせています。有難い事です。