書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

問題は、情報量の差ではない。

 「私が失敗しからこそ、言えるのだけど」という前置きで始まる人生訓を、ドヤ顔で言う人がわりと苦手です。

 いやいや、あなた失敗したんでしょ、と思うから。成功したから、その成功の秘訣を言うというなら、ドヤ顏でもおかしくないけれど。

 それを、その人が失敗したという事は、おそらくそれは、成功するのが難しい事なのだと思います。よほど忍耐強く、思慮深くて、能力もあり、かつ運も良くないと、成功できないような事が、ほとんどだと思う。

 そういう事に対しての「私が失敗したからこそ言えるのだけれど、これは頑張ったほうが良いよ」的情報は、あまり意味がないと私は思います。

 それを頑張る必要がある、という事は誰しもが知っている。でも、神ならぬ人間(私も含む)は、忍耐が足りず、思慮が浅く、能力が足りず、運もない。要するに、怠けたい・頑張りたくない・ラクなほうに行きたい・我を抑えられないという煩悩に負けてしまいがち、ということ。だから、それを成し遂げる事ができない。それだけの事。

 人が、「それ」を成し遂げる事ができないのは、「それを成し遂げるべき」だと知らなかったのではなく、知っていたけど煩悩に負けてできなかった、だけの話だと私はおもいます。

 例えば。

 「私は虫歯で本当に大変な目にあっているから、毎日の歯磨きは丁寧にやるべきよ。私は歯で苦労しているからこそ、言ってあげれるのよ」的な。

 「私は離婚して苦労しているからこそ、あなたには離婚は勧めない。配偶者に不満があるのは誰しも同じ。あなただけがしんどいわけじゃない。うまくやれるように頑張ったほうがいいよ。離婚して苦労した私だからこそ、言ってあげれるのよ」的な。

 いやいや。。。歯磨きが大事だという事も、離婚したら苦労する事も、その方だってちゃんと知っていたはずです。知っていて、歯を磨くのが面倒でサボったから虫歯になった。配偶者とうまくやるのが面倒だったから離婚した。それをすべきと分かっていても、煩悩に負けてできなかった。それだけの事。

 「それをすべき」という情報を、知らなかったからできなかったのではなく。知っていたけれど、煩悩に負けて実行できなかったから、失敗しただけの事。

 だから、「失敗した私だからこそ、言える」というのは、ドヤ顏で言うことではないと私は思うのです。

 勿論、自分の成功体験だけを吹聴し、失敗した話は一切しない、というのもおかしな話で、自分の失敗談は、他の人への注意喚起にもなるので、言っていったほうがいいと思います。ただ、自分の失敗話は、ドヤ顏で、上から目線で語る話ではない、という事が言いたいのです。

 実際にきっちり成功した人から、その成功の秘訣を教えてもらう、というのが、本当に有用な情報だと思うけれど、あまりこの手の情報は出回りません。

 「成功の秘訣」を語る人は多いけれど、よくよく聞くと、上記に書いたような「自分の失敗談から語る」パターンか、「実際には成功していないのに、理屈だけで語る」パターンか、「成功の途上にはいるけれども、まだ成功に至ってはいない(失敗してひっくり返る確率も高い)」か、そのへんです。

 実際に完璧に成功した人は、そうそう簡単に、自分の成功の秘訣は語りません。語るもんですか(笑)。お金をとるとらない関わらず、「成功の秘訣を教えます」的な話は眉唾だと思って、間違いないと思います。

 では、どうやったら失敗せずにすむのか、どうやったら成功するのか、と言えば、煩悩を抑える努力をする、というのが一番シンプルで、何にでも通用する確実な方法だと思います。その上で、個々の事例にあわせて、ひたすら自分なりに工夫し考えてやってみる。それに尽きるのではないでしょうか。

 そしてこれは、とても難しい事だから、人生は、なかなか自分の思い通りにはならないのだと思います。

 

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 よく、「やらずに後悔するより、やって後悔したほうがいい」という話を聞きますが、これもどうなんでしょうか。

 私は、むしろ、「やって後悔するより、やらずに後悔したほうがまだまし」だと思っています。これは個人的な感覚なので、他の人は違うかもしれませんが。

 この私の個人的感覚を、無理やり理屈で説明するなら、こういう事です。

 人生は一方通行なので、常に、やる・やらない、のどちらかしか選べない。全てではないが、やる方を選択すると大抵人生は大きく変わる。一方、同じく全てではないが、やらない方を選択すると、昨日と同じ明日が継続して続いていく。

 人生を大きく変える事は、成功も大きいが失敗も大きいという事。一方、人生が変わらないという事は、成功はあまり望めないが、失敗もあまりしない、という事。

 自分が煩悩を抑えられるという確固たる自信がある人は、何をやっても成功する率が高く失敗する率が低いから、「やる」を選択すべきだろう。一方、自分が煩悩を抑えにくいと思う人は、何をやっても成功する率が低く失敗する率が高い為、「やらない」を選択したほうがいいだろう。

 私は、煩悩を抑える力が弱いと自覚しているので、「やらない」を選択したほうが、人生失敗する率が低くなるだろうという結論なのです。

 そういう意味では、私は、結婚も出産も、すべきではない人間だったのですが、こういう事はたいてい、後になって気づくものですね。やれやれです。