書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

神仏は信じるけれど、宗教は信じない。

 5歳児を餓死させた母親とその友達が、ある宗教法人(有名どころ)の熱心な信者だという事が、報じられていました。

 こういう事、本当によくありますが、何故なんだろうと思う。その宗教の教えと、幼子を餓死させる事が、矛盾しないのが不思議でなりません。その宗教法人では、いったい何を教えているんだろう。信者さん達は、いったい何を信じているんだろう。

 

 私は、神仏の存在を信じていますが、どんな宗教にも入っていません。法事は、実家も婚家も仏教なので、仏教でやりますが、私の人生の中で宗教がらみなのは、法事だけです。それ以外は、宗教には一切関わっていません。

 私がやっている事は、一人で淡々と神社やお寺にお参りする事と、出来るだけ神仏に近い存在になろうと努力している事、それだけです。

 神仏に近い存在になる為には、「神仏ならこの場合こうされるだろう」と思える事をする、要するに「良心に従って行動する」に尽きます。

 良心に従って行動する、を基準に生きるなら、どう間違っても「幼子を餓死させる」等という行動はとれません。何等かの事情で誰かが餓死せねばならないのなら、幼子ではなくまずは自分です。それが、良心に従って生きるという事で、神仏に出来るだけ近づくという事で、これをブレずに行う事を、できるだけ心がけています。

 

 私が何故、神仏の存在を信じているのかというと、神仏が存在すると断言した霊能者さんを、直に知っているからです。その霊能者さんは、未来の事をごまかさずにハッキリと言い、それが全て当たるので、間違いなく能力者でした(今はすでに故人)。

 とんでもない僻地にお住まいで、一切営業活動はされませんが、相談者が途絶える事はなく、自ら相談料を求める事はされませんが、相談者の側が自発的にお礼をお渡しするので、それで生活されていました。

 私の実家の一族は、その霊能者さんになにかと相談に行っていましたが、以前の私はそういう事が苦手だったので、興味も持たず行きもしませんでした。ですが、息子を身籠った時に、まだ初期の初期で検査薬ですらチェックできない時期に、「お腹で子供が泳いでいるので、気を付けて暮らすように」と、その霊能者さんが実家に連絡をくれました。外れていたら大恥ものです。しかも、こちらから聞いたわけではなく、向こうから言ってきてくれたのです。それが今の息子なのですが、確かに、切迫早産や流産しかけ、危うい命ではありました。

 息子が産まれて以降は、子育てに翻弄されてすっかり忘れており、息子の高校受験の時に迷ってはじめて、「あの霊能者さんに、どこの高校がいいか聞いてみよう」と思い付いたんですね。それで、息子を連れて行きまして。息子を見るなり「あんさんは、喋り過ぎるな。喋るのを止めなあかん」と(このブログを読んで下さっている方は、息子の一番の特性が、絡み癖だとご存じでしょう)。まだ一言もしゃべっていないのに。

 また、私には「2020年に車の事故にあう。意外に物を粗末にしている。そんな風に見えへんけどなあ。食べ物を平気で捨ててる」と。当たっています。車の事故は、気を付けて過ごして無事でした。その場にいない夫の事もバシバシ当て、実家のまさに売ろうとしていた土地の事も「まだ売るな」と言われ。その一月後に、ある大企業が倉庫として、半永久的に借りてくれることになりました。先祖の土地を売らずにすみ、また孫の代までお金を産む土地になりました。売らずに待っていて良かったわけです。

 その霊能者さんが、神仏がいる、と仰るので、私は、神仏はいるんだな、と思うようになったわけです。その霊能者さんが、「出来るだけ神さんに近づく生き方をしんしゃい」と仰るので、そうしています。私は、ものすごいリアリストなので、自分で実際に霊能者さんに会い、様々な未来予測を言い当ててもらうという経験をしなければ、神仏の存在は、信じなかったと思います。

 というわけで、私は、神仏は信じていますが、特定の宗教を信仰してはいません。

 そして、5歳児を餓死させて由とするような宗教法人が、何故存在するのかも分かりません。つくづく悲しいなあと思います。

 

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 今日は、お天気が良かったので、ふと思いつき、またしても生國魂神社に参拝してきました。

 この神社は大好きで、もう通っていると言ってもいいほど。大阪市中心部にも関わらず境内は広めで、お散歩できる道もあり、何よりベンチが沢山あるのが嬉しいです。ここのベンチで日向ぼっこするのは、とても癒される時間です。写真は境内にある末社天満宮さんです。ここの天満宮さんにも欠かさずお参りしています。とてもあたたかいものを感じる場所です。

 たまに、ここのおみくじを引くのですが、過去三回とも、「平」という珍しいおみくじでした。吉とか凶じゃなく「平」。全国でも置いている神社は少ないらしく、これを引く確率は2%以下とか。意味は、「運が良い悪いはなく、ただ平穏である」という事だそうです。

 今日も、ふと思い立ち、おみくじを引いてみたら、、、、またしても「平」でした。過去三枚のと一緒に並べて撮っておきます。

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 2%という事は、50分の一の確率なので、これを4回連続ひいたという事は、625万分の1の確率という事になります。生國魂神社の神様は、私に、「だ~か~ら~!何回ひいても同じだよ」と仰っているのでしょう。神様がおられないのなら、この確率は結構な奇跡という事になりますが、そんな奇跡なんてそうそう無いです。625万分の1って。。やっぱり神様はおられる、と確信しつつ、神社を後にしました。

 それにしても、良いお天気。皆様にとっても、良い午後になりますように。

 

 神社の境内に、「源平」という名前の、枝の垂れた桃の木がありました。蕾が今にも開きそうで、とても可愛らしかったです。

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