書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

口をきかない両親の元で育つということについて。

  最近、ちょこちょここの話題が目につき、私も何か書きたいなあと思い、書いてみます。

 話題なのはコチラ↓。 

夫には期待などしないと決めたのです | 野原広子「妻が口をきいてくれません」 | よみタイ

 

 上の漫画をザックリ要約すると、「家事育児に疲弊した妻が、家事育児に非協力的な夫に怒り、かといって経済的な理由で離婚もできない為、自分の気持ちの収めどころとして、夫と口をきかない事にした」というものです。

 口をきかなくなって早6年という。まあ、全体が創作だろうと言われているので、この期間もまともに受け止める必要はないのでしょうが。

 この漫画をめぐり、様々な方々が、様々なご意見を開陳されていますが、私が気になったのは、「口をきかない両親の元に育った子供である私」という人々のご意見です。

 いわく。「我が家は、両親が口をきかない家庭だった。子供である自分は、とても辛かった。両親には、喧嘩してもいいから、話し合って欲しかった」と。口をきかない両親の元に育つ事がどれだけ辛いか、どれだけの苦しみか、どれだけの不幸か、と述べられているご意見を沢山見ました。

 うん、そうか。


 まず先に、私の場合を書くと。

 私は、個人的にはですが、夫に対して言いたい事があれば、必ず言います。一度は絶対に言います。言わずに我慢しておいて、陰にまわって仕返しをする、みたいな事はしません。言って、夫がきいてくれれば由、きいてくれなければ仕方ない諦める、です。そして、そういう夫と折り合いをつけつつ暮らしています。夫は、私の100%希望通りの人間、ではありません。50%とかそんな感じです。でも、「100%希望通りの人間ではない夫と暮らす」事を、私が選択しています。だから、夫に仕返しする事はできませんね。考えたら当たり前のことですが。

 夫が私の100%希望通りの人間ではないからといって、夫と口をきかない等という行動は、とりません。そういう、「受け身的な仕返しの仕方、鬱憤の晴らし方」は、私の流儀ではないし、個人的にはものすごく卑怯だなと感じます。言いたい事があるなら言えばいいじゃん、と思う。言った結果、離婚になったとしても、仕方ないじゃん、と思う。離婚したら離婚したで、必死で生きていけばいいだけじゃん、と。

 離婚もしたくない、でも、夫に仕返ししてやりたい、夫を苦しめてやりたい、というのは、ちょっとどうなんだろう。私は、嫌です。

 

 そもそも論ですが。

 夫婦でいざこざが起こる原因の多くは、「誰が家事育児を負担するか」問題です。誰しもが、家事育児はやりたくないわけです。夫だけでなく、妻もやりたくない。夫は、妻に家事育児を100%やって欲しい。妻は夫に、できるだけ家事育児を負担させたい。二人とも、家事育児がしたくない。

 だから、話し合ったとしても、双方がとてつもなく「出来た人間、自己犠牲心に長けた人間」でない限り、話し合いは平行線に終わります。

 家事育児に対して、夫は「妻がやれよ」と思っているし、妻は「夫もやれよ」と思っている。正解はないわけですから。

 だから、「誰が家事育児を負担するか」問題は、よほど夫婦双方が優れた人格者でない限り、話し合いで解決する事は不可能です。

 結論として。

 普通のレベルの人間であれば、家事育児問題が勃発したら、①どちらかが我慢する、②話し合った結果、解決に至らず離婚する、のどちらかになります。

 我が家の場合は①です。夫は家事育児には一切かかわらない人ですが、これは息子が障害児である事を考えると、多少身勝手かもしれませんが、私は気にしていません。我慢と言うより、気にならない。私が一人で家事育児を負担する事が、それほどひどい事だとは思わないです。私の、夫に対する不満というのは、夫が家事育児をしないくせに、私の家事育児にやたら駄目出ししてくる事なのです。駄目だしされるたびに、「それはおかしいから止めて」と言い返し、夫が聞きいれる場合もあれば、駄目出し癖が直らない場合もある。そういう夫と暮らす事を、私が選択しているのだから、その私が一方的に腹をたてる筋合いはなく(腹たてるなら離婚しろという話)、私は普通に夫と話すし、笑うし、気持ちよく暮らしています。

 

 でも世の中には、夫に対する不満を「夫と口をきかない」事で晴らしている妻が多いのだと思います。受動的攻撃、というヤツです。私はこれが本当に嫌い。攻撃するなら正面から攻撃すればいい、と思う。正面から攻撃すればやり返されて自分が負けるから、後ろに回って仕返しされないように受動的に攻撃する。姑息です。よくないと思う。

 でも、そういう妻が多い、だから、当然、「両親が口をきかない」家庭に育った子供も多い、という事になる。

 確かに、そういう家庭に育つ事は、子供の立場からしたら、嫌なものだと思います。文句の一つも言いたいのは分かる。

 でも、「喧嘩してもいいから、話し合って欲しかった」というのは、どこまでの覚悟を持って言っている言葉なのかなあとも思います。

 話し合えば離婚以外の道はないから、両親は口をきかずに暮らしていたわけですからね。話し合え、というのは、離婚しろ、とほぼ同義です。

 両親が離婚したら、おそらく子供は母親に引き取られるでしょう。もし以前は専業主婦だったとしても、離婚後母親は正社員で働き始めるでしょう。それでも金銭的に余裕はなくなるケースが多いでしょう。仕事で疲弊した母親が、家に帰って家事育児も独りで担い、金銭的にも余裕がないとなれば、そして、そのうっぶん晴らしの相手である夫がもう家にいない、となれば、八つ当たりの矛先は、おそらく子供に行くでしょう。

 口をきかない夫婦、というのは、申し訳ないけれど、それだけの人間性なのです。自分に対して強くない。自制心が弱く、自分の鬱憤を晴らす為には姑息な手段で相手を貶めて由とする、そういう人です。そういう人が、一人親になった時、そこで育てられる子供というのは、そうとうしんどいと思われます。

 口をきかない両親の元で育つ事もしんどい事ですが、「口をきかない事」を選択したような親が離婚して一人親になった時に、その親の元で育つ事もまたしんどい事です。

 どっちもしんどいのは同じだと思います。

 両親が話し合ってくれさえすればよかった、と、そんな単純な話ではないと思います。

 

 人間は弱いもので、人を許したり、他罰的にならなかったり、自己犠牲を発揮して生きていけたりする人は、ごく僅かです。たいていの人間は(私も勿論含め)、弱いのです。だから、自分の両親が人間的に弱くて欠点だらけであったとしても、それが普通だと私は思います。

 私の母も、まあある意味毒親でした。私の世話はほとんどしなかったし、にも関わらず、私が母の美的センスに合わない事をすると徹底的に矯正されました。例えば、私は生理について母から何も教わりませんでした。だからなってしまった時は驚いたし困りました。まあ、生来要領だけはいいので、なんとか乗り越えましたが。また、洋服は大学生になってからやっと自由に自分のバイト代で買うようになりましたが、母が気に入らない服は切られました。それに対して文句も言えませんでした。ちなみに、父は仕事一筋でほとんど家にはいませんでした。

 でも、私は母に対して、別に恨むところはありません。母も、普通の人間だ、欠点のある弱い普通の人間だ、というだけの事です。

 

 親だって欠点の多い弱い人間であるのが普通だから、ひどい(と思われる)育て方をされたからといって、恨んだって仕方ない、と私は思っています。

 私は、大学に受かった18歳で家を出ましたが、そんな風に、育った家に不満があるなら、出来るだけ早く家を出ればいいと思います。親に対して不満を抱えながら、それでも家に居続けるというのは、相手に対して不満を抱えながら離婚しない両親と、同じ事をしていることになります。

 私の人生も、家を出た18歳から、本当の意味で始まったと思っています。社会について、親から何も教わっていなかったので、沢山失敗しましたが、失敗して恥をかき、なんとか生きてきて、今は自分の人生に満足です。

 

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  上に貼った漫画の主人公(妻)は、「夫に対して期待する事をやめたから、夫と口をきないことにした」と書いてありますが、ちょっと筋が通らないなと思います。

 「夫に期待するのをやめたという事は、今はもう夫に対して何ら不満はない」という事です。「夫と口をきかないという事」は、「不満があるから仕返しする」という事です。食い違っています。

 できる出来ないは別として、幸せな生き方は、どうしたって「相手に対する期待を捨てる」事に尽きます。他人に対して、「こうしてほしい」「こうなってほしい」と期待を持ち続けている限り、人生は死ぬまで苦しいままです。

 

 口をきかない両親というのは、「相手が変わるべきなのに変わらない事に対する鬱憤晴らし」を24時間365日、家庭内でやり続けているという事なので、それは、一緒に暮らす子供としては、不快極まりないでしょう。

 でも、両親に「話し合って欲しい。口をきいて、普通の家みたいになってほしい」と期待するのは、その期待が叶わない以上、やはり不幸なのです。

 

 他人に対する期待を捨てるのは、私はわりと容易にできるのですが、出来ない人はどうしても出来ないようです。何故できないのか、私には分からないのですが、息子を育てていて、私が普通にできる事が息子には出来ないのを沢山見て来たので、出来ない人には出来ない、という事があるのは理解しています。

 結局のところ。

 口をきかない両親に対し、口をきいてほしかったと期待するのを止められない人は、他人に対する期待をどうしても捨てられないという意味において、口をきかない夫婦予備軍なのではないかと思います。冷たい言い方になってしまったかもしれませんが、そういう事じゃないかと私は思います。