書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

神仏とプラシーボ効果

 今日はあたたかかったですね。私のブログでは、やたら「暑い、寒い」に言及しますが、気温に体調がいちいち左右されるお年頃(要するに婆あ)なので、どうかご了承下さい。これから数日は春のような陽気(15度くらい)だそうで、いや嬉しいです。

 さて、先日のブログで、舌が痛い、というような事を書きました。

 もう11月頃からずっとなのですが、舌の先がピリピリ痛いのです。先が治ったと思ったら、左側面がピリピリ。それが治ったら今度は右側面。それが治ったらまた先端と、なかなか完治しません。先日は、けっこう痛みがひどくなってきてだんだん不安になってきたので、ふと思いつき、寝る前に神棚にお祈りしてみました。

 どうか、この舌の痛みが治りますように、と。

 そしたら、翌朝、嘘のように痛みが消えていたんです。

 さすがに驚きました。多少、舌先の敏感さは残っているものの、痛くはない。ピリピリもしない。2か月以上悩まされていたあのピリピリが、一晩で消えた。そして、それから数日たちますが、再発していません。

 私は、神様が治して下さったんだなあと思うのですが、科学的(?)には例えばプラシーボ効果という風に考える事もできるでしょう。

 つまり、「神様にお願いしたから治る」と思って寝たから治った、という事です。偽薬でも「これはよく効く薬です」と医者から渡されて飲んだら病が治るのと同じ。特に私は、神仏をマジで信じているので、プラシーボ効果も高いと思われます。

 でも、どっちでもいいんですよね。結果、自分の人生が良い方向に行けばいい。

 私は神仏を信じる事を、こんな風に考えているんですよね。

 神仏は、誰でも彼でもどんな願いでも、叶えて下さるわけじゃない。本人がきちんと努力している事、本人が良心に従った行動をしている事が、前提。そうじゃなければ、煩悩にまみれた人間の声など、神仏に届きすらしない。だから、日頃から、何もない時から、できるだけ良心的に暮らし、出来る範囲で頑張って暮らす。そうしながら、自力ではどうしようもない部分のみ、神仏に頼る。そうすれば、神仏は、助けたほうがいいと思う部分については、助けて下さる。

 私はこれを信じているので、神様に悩みについてお祈りした時点で、その悩みから解放された気持ちになります。多分、これが良いのだと思う。祈る事で、ストレスが消えるのだと思う。本気で本当に心の底から、良いようになると信じているので。そこに疑う気持ちは1ミリもないので。

 私が何を信じているかというと、私が「出来る限り良心的に暮らし、出来る限り頑張って暮らしている」事です。私は、私を信じている。ちゃんとやっていると信じている。そこに疑いや迷いの気持ちはないのです。

 だから、神仏が科学的に言えば偽薬であったとしても、私にとっては、偽薬も効くのです。プラシーボ効果で。

 そういう意味では、神仏を真剣に信じるという事は、人生を良くしていく事だと私は思っています。

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今日はあたたかかったので、水辺をお散歩してきました。水面が光できらきら綺麗でした。 

 

追伸:偉そうな事を書いてたら、また舌先が少しピリピリしてきました。分析などしたので、プラシーボ効果が薄れたのか、偉そうな事を書いた傲慢さにバチが当たったのか、、。難しい、、。