書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

無駄だと分かっている努力を続けること。

 今日は長い愚痴なので、お付き合い下さる方だけお付き合いください。

 発達障害の息子は、服装について本当に面倒くさいのです。

 とにかく同じ服だけしか着ないので、季節ごとに、全く同じ服を7着づつ用意しています。洗濯ができないそこそこ長めの旅行に出ても、同じ服を着続ける為に、7着ないと不安なので。

 基本的に、昨日と同じ服を今日も着たい、というのがあり、また、できるだけ薄着がしたい、というのもあります。

 なので、冬から夏に向かう季節には、あまり問題はないのです。昨日と同じ服を着たい気持ちはあるものの、できるだけ薄着もしたいので、気温に合わせて薄着に変えていく事に、さほど抵抗がないようなので。

 でも、夏から冬に向かう季節は、本当に面倒くさいのです。

 基本的には、ずっと半袖短パンで行きたいわけです。彼は。

 でも、気温が下がるにつれて、長袖長ズボンに変えなくてはいけない。更に、上着を羽織る。ダウンを羽織る。という風にプラスしていかねばならない。これが本当に、本人にとって嫌なことなようで。

 嫌なら嫌でいいよ。真冬でも半袖短パンでいればいいよ。と私は思うのですが、本人は一方で、風邪をひきたくない、というのも思っている。

 薄着だと風邪をひく、という常識は多少は頭に入っていて、薄着でい続けたいけれど、風邪はひきたくない、というジレンマに、ほぼ毎日陥るわけです。そして、腹立たしい事に、そのジレンマの解消を、私に投げてくるのです。ほぼ毎朝。

 つまり。自分は薄着のままでいたいが、風邪はひかないという事を、私に保証させようとするのです。

 「今日、長袖のTシャツ1枚でも、風邪ひかないよね」と聞いてくる。

 10月末ですから、長袖とはいえTシャツ一枚というのは、少々寒いのではないかと私は思うけれど、本人が寒いと思わないのなら、別にいいやとも思う。どうせ上着を着なさいと言っても着やしないのだから。

 そんな風に、私からは、彼の服装について、一切何も言わない事にしているのですが、彼のほうから聞いてくるのです。「Tシャツ一枚でも、風邪ひかないよね」と。いや、そんなん分からんよ。常識で考えたら、寒いと思うし、寒い恰好してたら風邪ひく可能性はゼロじゃないよね。と心の中では思うけれど、それを口に出したら、彼はキレるので、言えません。過去の経験から、彼の嫌がる事は、どんなに正当な事実であっても、絶対に言ってはいけないと私は学んでいます。ちなみに、彼が無理難題を押し付けてくるのは私にだけで、他の人には何も言わないし、また、他の人から言われた事は大人しく聞きます。私の言う事だけを、聞かないのです。

 「Tシャツ1枚でも、風邪ひかないよね」と彼がしつこく聞いてくるので、「そうだね。絶対にひくというわけではないね」と、嘘ではないギリギリを答えます。でも、こういう答えでは、彼は納得しません。彼は、「Tシャツ1枚でも絶対に風邪をひかない」と私に保証させたいのです。私の言質を取りたい。

 彼は今、連日試験試験なので、風邪をひいている場合ではない、という事は、本人が一番よく分かっています。風邪で試験を受けられない(コロナ禍なので風邪の症状が少しでもあると登校できない)と、単位を落とすと分かっているからです。ならば、念のために上着を羽織るなり、それが嫌でも上着を持参するなりすればいいのに、それはしたくない。どういうこだわりからか分かりませんが、とにかくTシャツ1枚で出かけたい。

 上着といっても、分厚いものを用意しているわけではありません。ごく薄いダンガリーシャツとか、薄いパーカーとか、薄いダウンベストとか、本当に着てもさして負担にならない軽いものばかり揃えているのですが、それでも息子は着たがりません。とにかく、昨日と同じ格好であるTシャツ1枚にこだわるのです。

 だから、Tシャツ1枚でも風邪はひかない、と、私に言わせたいのです。私にそれを言わせたら、全ての責任を私に負わせる事ができるからです。自分の不安を私に肩代わりさせようとしてくるのです。

 これが毎朝です。

 本当にうんざりします。

 私は基本的に、自分の機嫌は自分でとる主義です。精神状態をうまくコントロールし、明るい気分で一日過ごそうと努力します。でも、朝からしつこく息子に絡まれると、一気にストレスがマックスになってしまうのです。どんなに朝、ほがらかに楽しい気分で目覚め、面倒な家事も工夫して楽しくこなし、たいして変わり映えのしない日常を、明るい気持ちで過ごそうと努力してもしても、息子に絡まれ続けると、それがどうしてもできなくなります。

 私が、少しでも不用意な答えを言えば(例:Tシャツ1枚だと風邪をひかないとは言えない、とか)、彼はキレまくるわけなので、答えは慎重の上にも慎重に言わねばなりません。薄着でも風邪をひくとは限らない、とか、真冬に半袖なら風邪をひく可能性はあるが、今の季節に長袖Tシャツなら、まあ大丈夫じゃないの?とか。考えに考えて、嘘ではない、でも息子がキレないギリギリを答え続けます。

 息子としては、私にスパッと「Tシャツ1枚でも風邪はひきません」と言わせたいので、私がそれを言うまで、際限なく同じ質問をしてきます。でも、私はそれだけは言えないのです。何故なら、一度でもそう言ってしまうと、今後息子は、どんなに寒くなっても、ずっとTシャツ1枚を通そうとするからです。私が「寒いから上着着たら」と言えば「お母さんは、〇月〇日に、Tシャツ1枚でも風邪ひかないと言った。どうして今、別の事を言うの?」と絡んでくるのが目に見えるからです。

 「Tシャツ1枚でも風邪をひかない」と言えば、今の地獄からは逃れる事ができます。息子の際限のない質問地獄の相手をするという、この苦悩からは逃れられる。でもそれは、未来に地獄の種を蒔くようなものなのです。だから絶対に言えません。

 結局、今朝は貴重な朝の時間を丸々一時間使って、この不毛な押し問答を繰り返し、最終的には登校時間になって時間切れになりました。帰ってきたら、また再開するだろうし、明日の朝もまた、同じことが繰り返されることでしょう。

 ああ、うんざり。

 今朝も、家を出る時、息子は私に「お母さん、疲れてない?」と聞いてきました。息子は、自分が際限なく私にからんだせいで、私を疲れさせた事を、重々分かっているのです。彼はその罪悪感を感じたくない。だから、私にこう言わせる。「全然疲れてないよ」と。そして、私がそう言わなければキレるのです。だから私は「全然疲れてないよ」と笑いながら答えます。

 息子が玄関のドアを閉めた瞬間、涙が出そうになりました。でも、泣いたってしょうがないので、平気な顔で、家事の続きを再開しました。なんという人生だろう。まあ、死ぬまで生き抜くしかありません。私は、息子本人は憎みませんが、発達障害を、心の底から憎みます。誰が何の為に、これほど残酷な障害を、この世に生まれさせたのだろう。関わる全ての人に迷惑をかけ、親の人生をぶち壊す障害。繰り返しますが、私は、息子本体は愛していますが、発達障害を心底憎みます。

 

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 私が一番つらいのは、息子の幸せを願うのに、一方で、いくら障害とはいえここまで自己中心的な我儘を押し通す人間が、幸せになれる筈がない、と知っているからです。

 どんなに私が誠心誠意こめて育て、人知の及ばないところは神仏に祈り、なんとか息子に幸せな人生を与えてやりたいと努力しても、息子本人が我儘勝手を通し続けている限り、幸せになれるはずがない。自己中心的な人間には、その自己中心性にふさわしいペナルティーが下されますから。

 私が息子の為にどんなに努力しても、息子自身がそれをかたっぱしから崩していく。その不毛さにやりきれないのです。こんな子を、幸せにしようと努力するなんて、無駄でしかない、と心の奥で思っています。それでも、努力をやめる事はできません。息子が少しでも幸せな人生を送れるように、やはり私は努力し続けるのです。

 無駄だと分かっている事を、やり続けるという矛盾。それが何よりも私を、苦しめている事なのだと思います。

 

 世の中は公平なもので、悪い事をすれば巡り巡って罰せられるように出来ています。が、発達障害児だけは、その限りではない。発達障害児だけは、悪い事をしても許される。なぜなら障害だから。でも、許されるのは、その子を守る母親が生きている間だけです。私がこの世からいなくなれば、息子を守る存在はなくなるので、他の人と同じように、自分がやった事にふさわしい罰を受ける。大目に見てくれる人も、我慢してくれる人も、かばってくれる人も、この世にはいないからです。

 だから何?という話ですが。いつものように、結論は出ないままで、終わります。