少し前の記事に、「高校の卒業式に、息子が出席するかしないかでもめた」というような事を書きました。書いた主旨が「だから私はストレス満載だった」というものだった為、「もめた内容」については省略しました。
読んで下さった方は、「もめた内容」は、私が息子に「卒業式に出ろ」と言い、息子が「出たくない」と言った事で、もめたのだろう、と思われたかと思います。
でも、実際はそうではありません。
以前からずっと書いているのですが、私は息子に、「ああしろ、こうしろ」と指図する事は絶対にしません。特に、「普通はこうだから」と、「普通」というワードを持ち出して、息子に何かをさせるという事は、絶対にしません。理由は、自分がそうされたら嫌だから。
私は、息子が障害児だと知った2歳半からずっと、彼に「普通」を求めた事はないし、何かを強要した事もありません。
ならば、卒業式出席について、何をもめたのかというと。
息子自身が、「出席するかしないか決められなかった」ので、「どうしたらいいか」をしつこく私に聞いてきたからなのです。
驚く人がいるかもしれませんが、息子は、高校2年ぐらいからずっと、「卒業式に行くか行かないか」というテーマで、私に絡み続けていました。
行くメリットデメリット、行かないメリットデメリット、健常者からしたら何を考える必要があるのか、というようなどうでもいい些事を事細かに挙げて、どうしたらいいのかという話題で、私にしつこく絡み続けました。
それが、卒業式一か月前くらいから、ほぼ毎晩になり、からむ時間もどんどん伸びて、最終的には何時間もからんでくるようになっていました。
健常者からしたら、「行きたくないなら行かなければいい」という本当に簡単な答えなのですが、発達障害の息子は、そういう答えでは納得できないのです。行かなかった場合のデメリット(そんなのある?というような本当に本当に小さな些事)が我慢できない。かといって、行くのも嫌。だから延々決められない堂々巡りなのですが、一人で堂々巡りをし続けるのは辛いので、私を巻き添えにし、一緒に堂々巡りをさせる事で、自分の「決められない不安感」を、紛らすわけです。
「こうしたら」「ああしたら」「自分で決めなさい」「好きにしなさい」こんな言葉を息子に、穏やかに言ったら、どれだけ穏やかに言っても、駄目です。キレます。「そんな事言わないで」と、今度は、「そんな事を言った」ことでからまれ続ける羽目になります。
決められない人間の堂々巡りに付き合う事のストレスが、高校卒業式当日まで続き、私のストレス度が極限まで来ていたので、卒業式でもらった紅白饅頭をよく見もしないでダンボールに放り込んだのでした。卒業式には1ミリももう、関わりたくない気持ちだった。もう、ウンザリしていたのです。
ストレスは人間を雑にしますね(私だけかな)。
今は、成人式に行くか行かないかで、また、堂々巡りをしています。嫌なら行かなきゃいいのに。
息子だけなのか、発達障害児の特性なのか、「割り切る」という事が苦手なようで、割り切れない為に、決められない事態が多々起こり、堂々巡りが日常茶飯事です。私にはそれが本当に理解できないんですよね。私は1秒で決めるタイプなので。悩む時間が無駄だと思うので。
そう言えば、学生時代も、女友達で、「決められない」人がいました。一緒にショッピングに行くと、服一枚買うのに、半日歩き回り、同じ店に何度も行き、同じ服を何度も見て、それでも決めない。家へのお土産を買う時も、デパ地下でお菓子を買う、というところまでは決めていたのに、そのお菓子が中々決まらない。デパ地下を延々歩きまわり、最終的に買わなかったんじゃなかったかな。
もう二度とその友達とは、買い物に行きませんでしたが、他人はそうやって避ける事が出来ても、子供を避ける事は出来ません。
やれやれ。
今日もいい天気。