書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

ある参拝。

 昨日は、手作りマスクの製作を終えた後、ふと思いついて、氏神様の神社に参拝に行きました。

 私が着いた時、神社の境内には誰もおらず、私一人でした。まずはいつものように、本殿で手を合わせました。と、その瞬間、自分でも驚いたことに、涙がぶわあ~と溢れて止まらなくなりました。え?何?何?どうした?と自分自身に慌てふためきました。多分、コロナ以降緊張していた糸が、神様の前でふっと解けたのではないかと思います。ふっと安心したので、たまっていた涙がばーっと出たのだろうな、と。

 とにかく心の中で神様に自己紹介して、お話しをしました。神様にお話ししているうちに、ああ私はこういう事が悲しかった悔しかった不安だったのだ、という事が分かりました。

 こういう事というのは。

 息子がせっかく大学に入学したのに、おそらく半年は授業が受けられない、最悪一年丸々棒に振るかもしれない、という事。これは自分でもずっと意識していた事なのですが、同時に客観的に考えたら、そういう大学生は息子だけはないので、仕方ないと意識的に諦めてもいたのです。

 でも本当は、とても悲しかったのだ、という事。中度の発達障害で、小学校には行けないと診断され、実際小4までまともに会話すら出来なかった子を、文字通り命がけで育てあげ、やっとこさ将来の職業に繋がる大学学部に入学させれたのに、通学させてやれないという現状。

 普通の子なら、一年通学できなかったところで、さほど問題にはならないでしょうが、様々な難しい障害特性を持つ息子にとって、一年通学できないという事が、どんな難しい問題を生じさせるのか、私には恐怖でしかない、という事。もしかしたら、今までの苦労が水の泡になってしまうかもしれない。

 薄氷を踏む思いで、丁寧に慎重にとてつもなく手間暇かけて育ててきてやっとこさ、今の息子があるのに、イレギュラー続きの日々の中で、彼が少しづつ壊れていくのではないか、私はそれがとても怖い。

 晴れて通学できる日が来たとて、その頃にはもう、息子自身が、学校に通うという行動を、とれなくなっているかもしれない。「同じことを続けたがる」というのが、息子の大きな特性の一つなので、「通学する」を続けてきたから今までなんとか通学できていたけれど、これがパタッとなくなって半年なり一年なりたつと、今度は「通学しない」を彼は続けたがるようになるのではないか。その可能性がとても高い事に、私は怯えているのです。

 だからこそ、コロナが蔓延しないように、自分自身2月から自粛生活を続けてきたのに、日本政府のまずい対策のせいで、大学が休校に追い込まれた事を、私は心底怒っているのです。お隣りの台湾など、的確な対策をとったせいで、コロナを抑え込むことに成功しています。そういう意味で、今の日本の現状は、人災であると私は考えている。だから心の奥底で激しい怒りを感じている。

 発達障害中度の息子に、幸せな人生を与える事、人のお世話にならずに自力で生きていけるようにしてやること、その為に、私自身の人生を捨てて、必死で育ててきたのに、このコロナのせいで、いや安倍政権のせいで、全てがぶち壊しになるのではないか、何もかも無駄になるのではないか、私は恐れているし怯えているのです。

 悲しいです悔しいです不安です。私は本殿で手を合わせながら、神様に言い続けていました。随分時間が経ってから、顏をあげました。泣いたことで疲れてしまったので、本殿横のベンチに腰かけました。

 頭の上には、青い空。境内の桜がひらひらと舞って、小鳥の声も聞こえ、私はボーっとしながら座っていました。

 と。

 「ぱー。ぱー」という高い声とともに、30歳ぐらいの男性が、独特の飛び跳ねるような歩き方で、本殿にやってくるのが見えました。私は息子の療育関係で、こういう方は見慣れているので、少し障害の重い方なのだろうなと思って見ていました。後ろから、その方の父親らしき人が、見守るように付いて来ました。

 障害を持ったその男性は、手をパチパチ打ちながら、本殿の前に立ち、ぴょんぴょん飛び跳ねています。父親(らしき人)が、優しく「これ入れる?」と聞きながら、お賽銭を渡していました。男性は、お賽銭を丁寧に箱に落とし入れ、またパチパチ手を合わせると、くるりと振り返り、隣りにある境内社のほうへ、また飛び跳ねながら歩いていきました。その境内社でも手をパチパチ&お賽銭。また別の境内社へ向かい、パチパチ&お賽銭。後ろからついていく父親は、終始優しく彼をサポートし、最後の境内社でお参りした後は、振り向いた彼をいかにも愛し気に写真に撮っていました。

 彼も、嬉しそうににっこりしていました。

 そして、二人は帰っていきました。彼は「ぱー。ぱー」と高い声をあげて、ぴょんぴょん飛び跳ねながら。父親はそんな彼を優しく見守りながら、一緒に帰って行きました。

 その光景を、私は、本殿横のベンチに座りながら、ずっと最初から最後まで見ていました。

 再び涙があふれていました。

 息子よりも、ずっとずっと重い障害を持つ人がいる。そしてその人にも、親がいる。でも彼等は、このコロナ禍でもめげる事なく、幸せそうに楽しそうに参拝に来られている。重い障害を持つ息子を、見守るお父さんの心の中は、いったいどんな風なのだろか。今までどれほどの苦しみ悲しみ辛さを乗り越えてこられたのだろうか。

 私は、彼等の姿を見せて下さった神様に、心から感謝しました。百の言葉、千の言葉を使うより、彼等の姿が私を勇気づけてくれました。

 そして、ベンチから立ち上がり、また一から歩いていこうと思いました。

f:id:oinor-i:20200413150332j:plain