書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

 続:息子のこと

 昨日、かなり悲観的な記事を書きましたが、そういう時の常として、翌日は打って変わって楽観要素満載な日になるもので。

 昨日、学校から帰って来た息子の様子は、見違えるように平穏で、楽し気で、元気一杯になっていました。

 息子のメンタルが改善した原因を一つづつ書いていくと。

①大学との手続きの様々な不具合(例:指定されたパスワードが使えない等)が、息子だけでなく全学生に及んでいたことが分かった。つまり、困っていたのは息子だけではなく、みんなも困っていた事が分かった。更に、その「みんな」は、手続きに不具合が多々ある事を、まるで気にしていない様子を見て、「気にする必要はなかったのだ」と分かった事。

②大学からの煩雑な要求や指示を、「みんな」守っていない事が分かった。指示を全て守ろうとすると、本当に大変で、息子はそれでパニックになっていたが、「みんな」は端から守る気などない事が分かった事。

③2学期が始まって数日経ち、当初のバタバタが落ち着いてきた。例えば、2学期になって初めてロッカーを使えるようになったが、その鍵の有る無しが息子には分かりにくかった。分からないから、鍵がついていないのに「有る事にして使おう」と思っていたのを、私に「無いなら南京錠を買ってつけないといけない。盗難の危険があるから」と指摘され、母親から注意された事に耐えられず(発達障害)、精神的に不安定になってしまっていた。こういう、学期が始まって起こる様々な煩雑事が、息子のストレスになっていた。が、ここに来て、それらがようやく落ち着いて来た事。

 

 等です。

 とにかく、①学校との手続き上の不具合が、学生全員に起こっていた事、②大学からの指示をくそ真面目に守らなくても良いと分かった事、③新学期の煩雑事が落ち着いた事、などにより、息子のメンタルは一気に回復したわけです。

 昨日はいつもの明るく素直に息子に戻っていて、胸をなでおろしました。

 今回のことで思い知ったのは、息子のメンタルが崩れた原因で、一番大きな要素は③だったという事です。これは息子と話していて気が付きました。①や②だけなら、息子はまだ耐えられるのです。

 つまり。

 私にきつめに注意される事。

 これが、息子には耐えられない。

 とはいえ、ゆるく優しく注意した段階では、息子の耳には届きません。

 例えばロッカーの鍵の件でも、最初私が「ロッカーに鍵はあるの?」と尋ねたら、息子は「ある」と答えたのです。それで私が「使い方は分かるの?」と更に尋ねたら、「分からないかもしれない」と答えたので、私が「じゃあ分からなかったら、○○先生に聞いてね」と言って、息子も「そうする」と答えた。こういうやり取りがまずあったのです。

 その翌日、私が「ロッカーの鍵、うまく使えた?」と聞いたら、息子は「今日はロッカーには行ってない」と言う。「じゃあ、今度学校に行った時に、使い方確認しておいたほうがいいよ」と少しきつめに言いました。息子が私の話を上の空で聞いているのが分かったからです。きつめに言わないと、息子がちゃんと聞いてくれないから。私がきつめに問いただしたところ、息子が一転「ロッカーに、鍵、ついてないかも」と言い出したのです。「え?あるって言ってなかった?」と尋ねたら、「ないかも」と言う。「じゃあ、ないのね?」と尋ねると、「ないと思う」と答える。「だったら南京錠買ってこないと」と私が言うと、「じゃあ、買っておいて」と言う。私の声が少しきつくなった事を、息子は敏感に察知し、一気にワナワナしだしたという経緯です。

 息子が間違っていたり、気が付かないでいたら、注意しないわけにはいかない。でも優しくゆるく言ったのでは息子の耳に届かない。きつめに言えば、耳に届くが、一方で息子のメンタルが崩れる。どうしたらいいのだろう?

 いろいろ息子と相談した結果、「枕詞」を言う事に決めました。

 息子に注意しなければならない時、言い方は優しくゆるく言うけれども、言う時に最初に「これから言う事は大事なことだから、注意して聞いてね」と、アテンションする。この「枕詞」を言われたら、息子も私の話をいい加減に流さず、ちゃんと聞く。

 これで、優しく注意されても息子が聞き流す危険がなくなり、従って、再度きつめに注意する必要がなくなります。

 今後は、重要なことは「枕詞」を言ってから注意する方式で、なんとか乗り切っていこうと思います。何はともあれ、息子のメンタルが改善して良かったし、今後の方針が決められ、これなら何とかいけるかも、と楽観要素が出てきました。首の皮一枚で繋がっている感じですが、やれるところまで頑張ろうと改めて思いました。

 

f:id:oinor-i:20200528121912j:plain

 付け加えとして。

 息子は、先日自分が、壁や机を叩いたり、椅子を投げたりして癇癪を爆発させた事を、昨日になってとても反省していました。「あんな事をしても、何も変わらない。何も良くならない。悪くなるだけ」と気が付いたとの事。「もう二度と、ああいう事はしない」と言っていました。「どうして、ああいう事をしたの?お母さんに注意されて腹がたったから?」と尋ねると、「違う。なんか自分にイライラして、自分に腹がたったから」と言う。そして、「自分にイライラしたら、どうしたらいいの?」と聞くので、「お母さんなら、気分を変える為に、散歩に行くかな。とにかく、場所を変える。家にいるなら、外に出るとかする」と答えたら、「そうか。今やっている事と、違う事をすればいいのか」と納得したようでした。「普段から、イライラしたらこれをして気分転換を図ろう、というものを、いくつか考えておくといいよ」と私が言うと、「分かった」と言って、くそ真面目にいくつか挙げて、ノートに書いていました。

 以前は、「癇癪を起した後で反省する」という事はなかったので、やはり年齢が上がるとともに、成長していくのだなと感慨深いです。うまく気分転換できるものが見つかるといいなあと思います。