書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

発達障害者が家族にいる場合の暮らし方

 少し前に、「家族への適切な対応をマスターしたので、最近は平和に暮らせている」と書きました。今日はその事を書きたいと思います。

 私の家族と言えば、夫と息子でありまして。難しいのは息子ですが、息子を原因として夫対応も難しいので、そのへんを。

 まず、私と息子の二人の関係において。
 息子は発達障害特性なのか、精神的発達が小学生低学年で止まっている感じがあります。つまり精神的に非常に幼い。また彼は自閉的傾向も持っているので、自分の頭の中で作り上げた「理想的状況」が現実になるべきだと考えています。この「理想的状況」というのは、まったくもって「あり得ない」事で、「非合理的」な事ばかりです。例えば、極端な話、「太陽は西から上るべき」みたいな事です。普通ない、とかそういうレベルではなく、絶対に無い、ですよね。この「絶対に無い」事を彼は頭の中で作り上げ、それが現実になるべきだと考えています。
 でも、現実にはなりません。当然。
 また、彼自身も、現実化しないのではないか、とうすうす気づいている。
 となるとどうなるのかというと、私に質問してくるわけです。「太陽は西から登るよね」と。私が「それはないよ」と答えると、わけの分からない屁理屈を連ねて質問し続け、私に何が何でも「太陽は西から登るよ」と答えさせるまで質問を止めません。

 少し前に、この対応として、私ではなく神社の神様に聞いた方がいい、と息子自身が思うようになりました。なので、私への長時間のナンセンスな質問攻めは、相当に減りました。

 でも、ゼロにはなっていないんですね。一日10分ほどは、このナンセンス質問に答えさせられています。時間が短くなったので、ほぼストレスはないのですが、それでも、これを長引かせない、もしくは拗らせない工夫が必要で、この10分間はなかなか緊張します。
 具体的には、全てにイエスと答える、という事です。「太陽は西から登るよね」「そうだね」「絶対?絶対に間違いない?」「絶対に間違いない」こんな感じ。実際には次の日になったら、東から登るのですが。それは気にしないのです。
 最近気づいたのですが、私の答えが現実と異なると分かっても、まあなんとかなるのです。ここの説明が難しいのですが、意外となんとかなる。

 具体的に一つ例を挙げます。

 息子が唐突に、12月に東京に行って、ピアノの演奏会を見に行くと言い出しました。一人で行き、一人でホテルにも泊まるのだそうです。聞いたこともないピアニストの人の演奏会で、今まで誰かの演奏会を見に行った事は一度もありません。それまで息子は演奏会など全く興味はなかったし、今現在も全く興味はない。東京は好きですが、いつも夫と一緒に行くので、なぜ一人なのかも不明。でもとにかくこう言い出した。

 私は、「いいよ」と答えました。この答え以外許されないので。息子は「ホテルと新幹線を買って」と言ってきたので、「直前でも買えるから、日程が変わるかもしれないから、直前に買ったほうがいい」と答えました(ここ、キャンセル料やら何やらの説明がとても時間かかりました)。結局息子は、私がホテルや新幹線の予約状況を、毎日ネットで確認し、危なくなったらすぐに予約を入れる、という約束で納得しました。
 それから息子は毎日私に、「今日はどうだった?」と聞いてきました。私は、ネットをチェックし、「大丈夫、まだ余裕ある」と答える。これを続けていました。

 そして、息子が東京に行くと言っていた週に入りましたら、息子はまた唐突に、「やっぱり東京に行くの止める」と言い出しました。「だって、別にピアノの演奏会興味ないし。おかしいやん」と。
 そうだよ。おかしいよ。おかしいことはみんな分かっていたよ。気が付かなかったのはあなただけだよ。と心の中でつぶやきながら、私は「そう。分かった」と答えました。
 と、こういう事なんです。

 もし、息子が最初に東京行きたいと言い出した時に私が反対したら、こじれにこじれていたと思います。私が反対せず、息子の言う通りにしていると、どこかの時点で息子は自分が間違っているという事に、自分で気づくのです。
 自分で気づかない限り、駄目なのです。
 私がいくら、懇切丁寧に道理を説明しても、何時間かけても、何日かけても、息子には通じません。納得しない。
 自分で気づくと、そこで終わります。だから、息子が自分で自分の間違いに気づくまで、私は息子を否定せずに泳がせておくことにしました。これしか方法はないからです。そして、今のところ、この方法で、うまくいっています。私には多少のストレスがかかりますが(うまくいくだろか。息子は間違いに気づくだろか)、これしか方法はないのだから仕方ありません。

 ものすごく怖い事に、息子は「演奏会を見に東京に行く」と言い出してから、「止める」と言うまでの間ずっと、本気で東京に行くつもりであり、周囲の誰かれ構わず「12月に演奏会見に東京に行くんだ」と言いまくっていました。その時は本気で行くつもりだったのです。でも直前になって、突然「止める」と言い出す。この極端さ、ナンセンスさ、筋の通らなさ、不合理さこそが、息子の発達障害特性の大きな特徴であり、幼児の頃から私を悩ませ続けてきたものです。最近やっと、付き合い方をマスターしました。全肯定して泳がす。これしかありません。

 ただ、幼児の頃、全肯定して泳がすという対応は、無理でした。息子の中に、最低限の常識やモラル意識を植え付けなくてはいけなかったからです。何千時間もかけて、反発しかしないこじれた息子の頭に、最低限の常識やモラル意識をなんとか入れ込んできた。だからこそ今、やっと「全肯定で泳がす方法」がとれる。そういう事だと思います。今までの苦労も、無駄ではないし、やるしかなかった、と思っています。

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 息子の対応について、話が長くなってしまいましたので、夫への対応はさっとやります。

 夫は子供っぽい人で、ちょっとでも自分にとって不愉快な状況になると、すぐに不快さを表情や態度に表し、その場の空気を悪くして、「俺を不愉快にさせたお前らも不愉快にしてやる」とあてつけがましい態度をとります。

 私はもう慣れっこなので何とも思わないでスルーできるのですが、息子はこれが苦手で、夫が少しでも不快さを出すと、パニックを起こします。パニックを起こすとどうなるのかというと、私に殴りかかったり噛みついて、「お母さんが悪いからお父さんが怒っている。お母さん止めて!」と言って来ます。私は何もしていないのに。

 それで、息子がいる時は、極力夫と会話しない事にしました。何気ない会話でも、いつ夫が不快な態度をしてくるか分からないからです。私の言葉が原因でない時もあり、私の言葉が原因であったとしても、その私の言葉が夫を不快にさせるなどということは、私には全く予測がつかないからです。
 だから。息子がいる場では、不用意に夫には話しかけませんし、夫から何かを聞かれても、必要最低限の事を返して、万が一の事を考え、その場を離れます。
 息子がいなければ、夫と普通に会話しますが、息子がいる時は、最大限注意します。
 そもそも、息子がいる時は、できるだけ夫と同じ空間にはいないように気を付けます。用事だけさささっと済ませて、パッと自分の部屋に入ります。
 夫への対応はこんな感じです。

 なんとなく息子一人が一方的に悪いように思われるかもしれませんが、これに関しては、夫も悪いのです。夫は健常者なので、我慢や忍耐が出来るはずなのです。何かに不愉快さを感じたとしても、「息子の前でだけはそれを出さない」事は、簡単な事です。私は常にそれをやっているから分かります。ただ息子の前でだけは、機嫌よくしておく、それだけの話です。不愉快さは、息子がいない所で爆発させたらいいのです。なのに、夫は、家族の前では、ほんの少しの我慢もしないので。会社では我慢しているはずですが、家ではしません。出来るのに、しない。だからこれに関しては、息子より夫が悪いと私は思っています。息子は障害者なので、仕方ない。

 以上、息子への対応と、夫への対応を書いてみました。大変そうですが、慣れてしまえばそうでもなく、何しろこれだけを気を付けていれば、我が家は平和なのでむしろ有難いです。発達障害者が家族にいると、大なり小なり工夫が必要で、工夫しなければ大惨事になります。だから私は何度も書いていますが、発達障害は生まれないほうがいいし、生まれる子供が発達障害かどうかを見分ける方法は今のところないので、子供は生まないほうがいいんじゃないかと思っています。

 年初から、ネガティブな事を書いてしまいましたが、ネガティブを現実的に解決しないと、人生ポジティブにはなりませんから。
 ではではまた。

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