書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

平和時には欠点は見えない

 何もとりたてて問題のない平和な時には、人の欠点は表に現れないように思います。

 人の欠点が見える時、それはすべからく、「問題の多い環境にある時」なのだろうと思います。

 例えば安倍首相だと、もしコロナがなかったら、あそこまで下手を打つ事もなかっただろうし、森友加計問題など自らの問題は多々抱えながらもうまくごまかしつつ、「それなりに有能な首相」として任期を全うされたことでしょう。

 自らの問題(欠点)が表に現れるか否かは、環境次第だという事です。つまり、環境が平和であれば、自らの問題は表には現れない。一方、環境に問題があれば、自らの欠点が表に現れる、という事。

 例えば。同じ欠点を持つ人が二人いて、一人は良い環境の職場で働き、もう一人は問題の多い環境の職場で働いた場合、前者は欠点を目立たせないままで働き続けられるし、後者は早々に欠点が問題視され働けなくなるでしょう。こういう事は、よくあることです。

 つまり。

 人は必ず何らかの欠点を持つものなので、欠点を減らすという事は努力でなんとかなっても、完全になくすという事は不可能なのだから、欠点を表に表さない為には、とにかく自分が属する環境を平和に整える、これしかないんだなと実感しているところです。

 前置きが長くなったのですが、ここからが本題です。

 息子の大学、ぼちぼち2学期が始まっております。1学期もオンライン講義に切り替わった事で大変だったのですが、2学期はそれに輪をかけて大変です。1学期は、教科ごとに、「この教科はオンライン、この教科は登学」となっていたのでまだ分かりやすかったのですが、2学期は、一つの教科の中で、オンライン講義と登学講義と、zoom講義が、全部あるのです。で、その振り分けが決まるのは直前なので、来週の講義がオンラインなのか登学なのかzoomなのか、今週になってもまだ分からない。息子の2学期とっている教科数は、20近くあるのですが、それが全てこの調子なので、管理が大変過ぎて悲鳴をあげています。元来こういう煩雑な事をきちっと整理するのが得意な私ですら、「何が何やら」と頭を抱える始末です。

 しかも、教授としては、寒くなる前に登学でやる範囲をすませておきたいと思うのでしょう、本来後半に学ぶべき範囲を、前半に持ってきたりするので、学ぶ順序がめちゃうちゃなのです。これでは、その教科の理解もしにくいですし、ノートやテキスト類の整理もわけが分からなくなります。

 その上、登校に際し、検温他体調を申請する必要があるのですが(これは当然ですが)、その方法として、事前にネット申請をする事となっており、この「ネット申請」がややこしい。前日予行練習でやってみた時は出来たのに、当日朝、やってみたら申請できない。理由は不明。ただ、出来ないのです。学生みんなが同時刻に一斉に申請したからなのか、なんなのか。とにかく、申請できない。

 そもそもですが。検温他体調に問題がある人は登校できない、というのは当然なので申請する必要はあるわけですが、「問題がある人のみ」申請するシステムにすればよいと私なんかは思います。「問題ない人」が申請する必要はない。申請しなければ問題がなかった、という事で処理すればよく、申請してきた人のみ「問題があった、体温が○○度で今日は休み」と把握すればよい。これで事足りる。どうして、問題ない人まで全員に申請させるのか。毎朝体温を測るのは全員がやるべき事ですが、そこで、問題があった人のみ申請、で良いのに。

 まだまだ他にも2学期早々のトラブルは続出しており、こういう「いつもと違う環境、初めての事、突発的トラブル」に弱い息子は、ストレス満載になっています。ストレスが満載になると、息子は、そのストレスを自分でなんとか処理しようとせず、私に当たり散らして解消しようとします。暴力はなくなりましたが、何時間も私に質問を浴びせかけ、ずっと私に絡み続け、私からの返答が遅れたり、ちょっとでも口調がおかしかったり、自分の望む回答ではないと、机や壁を叩き椅子を投げ、全身で不満を表し、私を驚かせ怯えさせる事で、自分の不満を私に解消させようとします。

 要するに、環境に問題があるので、息子の欠点が表面に現れたわけです。

 1学期にこんな事は無かったので、1学期程度のストレスは、まだ息子は自分で解消する事ができたのだと思います。

 でも、2学期のこの環境の滅茶苦茶さは、私が見ていても「酷いな」と思うレベルなので、息子が耐えられないのも分かります。

 私なら、どんなにストレスがかかっても、人に当たり散らして解消することは絶対にありません。自分のストレスは自分で解消します。でも、息子は、障害故なのか性格の弱さなのか、そこは判然としませんが、とにかく、ストレスが一定量を超えると、私に当たる事で解消しようとします。これが、息子の大きな欠点です。

 息子のこの欠点は、平和時には隠れていますが、環境が悪化すると、俄然外に現れます。

 私としては、

①息子を取り巻くひどい環境を、なんとか整理し、息子にとって理解しやすく扱いやすいものに整える作業を徹底的にする。学校に問い合わせる、何らかの特別措置を願い出る、等を含め。

②息子のストレス発散の餌食にならないよう、息子と関わる時(顔を合わせる、言葉を交わす等全て)は、慎重の上にも慎重になり、絶対に息子を刺激するような不用意な言動はしない。心のないロボットのように、常にほがらかににこやかに平常心で息子と接し、息子を責めるような事や口調、注意するような事や口調は、絶対にしない。息子が私に当たり散らすきっかけを、息子に与えない。我が身を守る為に、息子に付け入る隙を与えない。

 を、当分の間、徹底的に妥協なくやり続けます。

 

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 しかしながら、よくよく思うのは、平常時には問題なく過ごせても、一旦環境が悪化した途端に、欠点が噴出して生きづらくなる人というのは(息子のことですが)、結局のところ、生きる力が弱いのだろうなと思います。

 1学期までは(平常時)息子は大丈夫だと安心していましたが、実際は大丈夫でなど無かったわけで、ただ、人間的な弱さが外に見えていなかっただけの事なのだなあと。

 こういう弱い、弱すぎる人間は、やはりまともに生きる事は難しいなのだろうとも同時に思うし、こういう子を普通に社会に送り出そうと考えていた事が、やはり無謀だったのだろうと思い始めています。

 やはり息子は、障害者として世に出さねばならないのかもしれません。

 つまり、息子としては、「障害者として社会に出る」事のほうが、自らが属する環境は平和になる、という事です。環境が平和であれば、息子の欠点は外には出ません。一方、健常者と同じように社会に出てしまうと、環境の厳しさから、息子の欠点が外に出てしまう、という事です。

 これは親として、腹くくらねばならない。しっかり考えねばならない事だと、改めて思っています。