書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

コロナ禍についてつらつら思う事。

 いや~、今日も暑いですねえ。朝から掃除してたら、くらくらしてきました。リビングはエアコンが効いているからいいのですが、エアコンを入れていない廊下やトイレ、洗面所、お風呂、寝室等を掃除していると、暑さが半端ないです。特に水回りは、じっとその場にかがんで細かい作業をする事が多く、動いている時よりしんどい、、。ここぞとばかりに汗がぶわーっと出てきて。でもねえ、暑い時こそ水回りがキレイだと気持ちいいもので。しんどくても頑張ってたら、くらくらしてきたのでした。

 やっと掃除が終わって、今、リビングで涼みながら、お気に入りのジュース(カゴメ「つぶより野菜」)を飲んでいます。はー、快適。

 

 このコロナ禍について、つらつら考えていたのですが、経済的な事は私には分からないので横に置いておいて。なんとなく、戦時中に似ているなと思うのです。

 というのも。

 私は戦争のことを人から語られる時(学生時代に学校で、とか、今でもテレビで、とか)、「どうして私に言うの?」と感じる事が多かったのです。「戦争って、こんなに悲惨なんですよ。二度と戦争のない国にしましょう」みたいな事を言われるわけですが、「私が戦争を起こしたわけじゃないし」と感じるわけです。「もし今後日本が戦争に巻き込まれても、私が原因になる事は絶対にない」と。そして「私にどうしろと言うのか」と、だんだん腹立ってくるわけです。

 あと、戦時中、戦争に行かない一般人は、竹を切って削った手製の竹槍で、「えいやあ」と敵と戦う訓練を日々やっていたと。。どう考えても、原爆持ってる国と戦うのに、竹槍訓練なんて無駄でしかないのに。どうしてそういうトンチンカンな事を、政府主導でやらされたのか、甚だ見当もつきません。

 あと、敵の飛行機が飛んで来たらサイレンが鳴るので、何をしていてもすぐにやめて防空壕に走る。狭い地下の防空壕の中で、他人と一緒に夜を明かす事もしばしば、とか。夜間は家の灯りが爆弾投下の目印になってしまうので、電気をつけない、とか。不便この上ないわけで。子供達は学校に行っても勉強せず、軍需工場等で働く。勿論、そうせねばならない理由があるのは分かりますが、日常生活がしんど過ぎる。

 などなど。

 これを今のコロナ禍に置き換えると、似ている点があるなあと思うのです。

 まず、「コロナ蔓延を抑えるのは、個人一人一人の心がけ」という政府や行政のお題目。いや、違うでしょう。コロナ蔓延を抑えるのは、政府や行政の効果的政策がまずは何よりも「有りき」ですよね。コロナを広めたのは国民のだらしなさのせいじゃなく、政府や行政の無策駄策のせいなのに、「個人の努力が足りない」的な言いがかりをつけられるこの感じは、「戦争のない国にしましょう」と戦争したこともない私達に繰り返し言われる理不尽さと重なります。みんな、これで腹たたないなんて、本当に偉いなあと思う。

 あと、トンチンカンな努力を国民に押し付ける事も、戦争時とコロナ禍は似ているなと思います。例えば、学校の一斉休校ね。学校だけは休校にして、塾、習い事、保育所学童保育、ショッピングモールは開けたまま。いや、意味ないでしょう。学校でつどわなくても、そういう所で子供達は密になりますって。本当に意味のない休校を延々続けてた。息子の大学にいたっては、おそらく一年間オンライン講義が続くでしょう。更に言えば、今頃になって夜の街だなんだ言ってますが、学校だけを休校にしたって、満員電車はそのまま、繁華街はそのまま。子供達にだけ我慢させて、大人は自由って。GO TOは言わずもがな。トンチンカン過ぎてわけが分かりません。

 そして、そうはいっても、個々人が自粛に努めなくてはならないのは分かります。分かるけれども、日常生活しんど過ぎます。百歩譲って仕事で自粛が出来かねるのはまだ許されるが、遊びでは絶対に駄目なわけですから、まさに「贅沢は敵」と言っていた戦時中と同じです。

 日本は結果、原爆落とされて戦争に負けたわけです。国民一人ひとりは、ものすごく真面目に我慢強く、政府の言う事を聞いて頑張ったのにね。涙出ますね。コロナでも全く同じような事が起こりそうで怖いです。私はもう個人的には、政府や行政の言う事は、あまり聞かないようにしようと思ってる。自分の頭で考えて、暮らしていこうと思っています。

 

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    沖縄や大都会の被害が、突出している点も、戦時中と似ているなあと思います。