書くしかできない

過ぎていく日々を書き留めています

コンドームが品薄だそうです

 昨日は、愚痴だらけのブログで失礼しました。今日は持ち直しました。

 何かのニュースで、「今品薄になっているものの一つに、コンドームがある」というのを見かけ、それで気分がほぐれたせいです。確かに、必要な方にとっては「大問題」でしょうし、だからニュースになっているのでしょうが、どこか牧歌的で和みました。

 私にとっての「大問題」である、「息子の大学が前期丸々休校」とか「注文した教科書が来月半ばまで届かない」なども、他の人から見たら、たいした問題ではないのでしょう。経済的に何も困っていない、体も健康である、という事の有難さは、なかなか実感として感じられず、ついつい足りないほうを見てしまいます。気を付けないと。

 そもそも、「コロナ騒動のせいで、私はこんなに困っている」という不幸競争みたいなものは、見苦しいわけですし。誰しもが何等かの困りごとを抱えてなんとかやっているわけで。有事に平時と同じ生活が送れるはずはないのだから、いちいち不満を言わない、という姿勢は正しい。絶対的に正しいです。

 

 ただ、政府や行政に対する批判精神は持っていないといけないと思う。不満はあるのに批判はしない、というのは、平時ならまだしも、こと有事においては、害にしかならないと思います。ただ批判するのではなく(批判したからといって、彼等が反省するとか変わるという事は絶対にないので)、彼等が変わらざるを得ないような状況を作らないといけないのだと思う。

 その一つは、世論を盛り上げて現政権に、次期の再選は無い、という危機感を与える事だと思います。だから、批判があれば黙っているのではなく、どんな形であれ声をあげていく事が大事だと私は思っています。これは多分、人によって意見が異なるのでしょう。

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 少し前に、義母が「大阪は感染者が多くて大変ね。気をつけなさい」と電話してきた話は書きました。義母は大阪よりは少しだけ地方に住んでいます。「お義母さんも気を付けて」と私が言いましたら、「こっちは大丈夫よ。問題ない。問題があるのはそっち」と言われ、はあ?と思ったのですが。

 その義母の親族(義母の家の近所に住んでいる)の一人が、コロナが陽性になり、入院したそうです。状態はだいぶよくなったそうで何よりですが、他人事だと思っているから、そうなるのだよ、と心の中で呟いた私は、性格が悪いです。でも、そういう事だと思います。

 みんな、自分の問題ではなく他人の問題だ、と思いたいのだと思う。そしたら自分は努力しなくていいから。努力するのは他人であり、自分ではない、という事になるから。厳密に言えば「みんな」ではないけども、そういう人がいる、という事。このコロナによって、当事者意識が欠けている人が、炙り出されているように思えて、ある意味では世の中が正常に近づいているように感じたりします。

 ただ、このコロナ禍において問題なのは、当事者意識のない人にも、ある人にも、同様に危険が起こるという事です。いわば、連帯責任のような状態。一人でもルールを破る人がいたら、全員が罰を受ける。だから、ルールを守っている人間には、よけいにストレスがたまる、という事。

 昔から私は、この「連帯責任」というのが苦手です。

 

 まあとはいえ、今日は久々にお天気もいいし、コンドーム品薄ニュースのおかげで、気分が明るくなってきました。いい感じ。この勢いで、たまっている段ボールを処理してしまいます(ネットで買い物するせいで、どんどんたまる)。それから、久しぶりに手作りマスク製作をしようかな。我が家はマスクは十分あるのですが、息子が小さい頃に使っていたあまりのガーゼハンカチが沢山あるので。誰かにあげてもいいし、作れる時に作っておこう。

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  ベランダで、洗濯物が、太陽の光にピカピカっと輝きながら、風に揺れています。この光景が大好きで、ふんわり幸福感を感じます。晴れた日のベランダというのは、幸せの象徴な気がします。

 気分が切り替わったので、おこもり生活をカウントするのは今日から止めようかなと思います。