書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

我をなくせば人生ラクになる。

 最近つくづく思うのですが、人生の悩みや問題は、おおよそ「我」に固執する事から生まれているのではないでしょうか。

 自分の中の「我」を消せば、ほとんどの悩みは取るに足りない事になるし、また、相手の「我」が見えても見ない事にすれば、不快にも感じません。

 

 例えば。

 私の姉が、ブログを使って、キラキラ似非スピ&自己啓発カウンセラーをやっている事は、以前から書いておりますが、家族の反対もあり、顔出しだけはしていなかったのです。ですが、ここに来て、何年たっても集客がうまくいかない事に苛立った姉は、とうとう顔出しをしてしまいました。自分の顔のアップ画像を、ブログに載せるようになったのです。

 姉は、自分の顔に絶大な自信を持っておりまして、「顔さえ出せば、みんなが私の虜になる」と思っているようです。若い、綺麗、と言われたい欲もあったのだと思います。

 ですが。怪しいスピ&自己啓発カウンセラーが妻(母親)であるのを世界発信されてしまう事は、姉の家族にとっては耐えられない事で、当然のように反対意見が姉にぶつけられました。姉のブログには、家族の伏せておきたいプライバシーも赤裸々にぶちまけてあり、事実ならともかく、姉の主観だけで書いているので、嘘やごまかしも多々あります(姉が常に被害者になるように、事実を捻じ曲げて書いてあるので、家族が悪者になっている)。姉の書いているスピや自己啓発の内容も、えげつなさ過ぎて、限度を超えています。匿名で書いているならまだしも、顔出しして身バレしたら、家族にかかる迷惑は計り知れません。

 しかも、姉の今の顔は、似非スピ&自己啓発界隈に染まった人特有の、目に独特の濁りのある気持ちの悪い顔相になっています。梅津かずおの描く顔、と言ったら通じるでしょうか。もともとの作りは整っているのですが、目の濁りと表情が、気色悪い、という印象を人に与えます。顔出しする事が集客に結び付くとは到底思えません。

 家族から顔出しを反対された姉の返事は。

「心配にみせかけて、いちゃもんつけたいだけだろう」

「ブログを見た誰かに、私の事を家族かと聞かれたら、他人の空似だと言ってくれたらいい」

「全部自己責任でやっている。余計な口出しするな」

「リスクは計算の上で、メリットのほうが多いからやっている」

等々。当然ですが、聞く耳は持ちません。その上で、

「私がこのビジネスで結果を出していないから、あれこれいらぬ口出しをされるのだ。結果さえ出せば、誰にも何も言われないのだ。だから、今、一生懸命結果を出そう頑張っているところなのだ。顔出しもその一環だ」

と言うのです。ものすごい誤解がある。

 家族は、彼女がビジネス(苦笑)で成功するとは1ミリも考えていません。ですが、やりたいならやればいい、と諦めています。家事も子育ても放り出し、師匠を次々と変えてはセミナーだ勉強会だと散財しまくっている事も、お金が盗まれたと思って諦めています。

 家族が顔出しに反対したのは、個人特定された場合のリスクが大きいからです。ブログで姉の主張している事は、違法スレスレか、もしくはズバリ違法行為で、匿名でお遊びで書いているならまだしも、実名で仕事としてやるのは危険極まりない。だから家族は顔出しを止めたのですが、そこが姉には伝わらないのですね。

 なぜ伝わらないのかといえば、姉の「我」が強すぎるからだと思います。自分の「我」を満たす事に執着し過ぎている為に、他のすべてが見えなくなってしまっている。結果を出して、周囲を見返してやりたい、という「我」が全てになっていて、姉自身も苦しいでしょう。

 20年前ならまだしも、似非スピや自己啓発はもう流行りが終わりました。姉と同じ事を考えた人達の屍が累々と倒れている世界です。そんな世界で、今更結果など出せるわけがないのだから、姉の人生は永遠に苦しいままです。

 姉の人生が苦しい理由は、姉が「我」を手放せないからです。

 

 先日、姉のブログ顔出しについて、母と話したのですが、母はものすごく怒っていて、「あの子はどこかおかしくなった。普通じゃない。もうあの子の事は誰にも紹介できない。恥ずかしい。どうしてあんな人間になってしまったのか」と嘆いていました。

 どうして?と言われたら私にも分かりません。姉のあの「我」に対する固執は、生まれつきのものなのか、はたまた人生を歩んでいるうちに徐々に強化されてきたのか。

 ただ、私は母と話していて、母自身も相当「我」が強い人だという事は感じるのです。母は、自分の意見は絶対に曲げませんし、どんなに自分が悪い場合でも、絶対に謝りません。行動はいつも自己中心的であるにも関わらず、自分は善人であり自己犠牲精神に溢れている、と主張します。

 「我」が強い母親に育てられると、子供も「我」が強くなるのか。当然、遺伝もあるでしょうし。

 という事は、私自身も、相当「我」が強いのだと思われます。自分の「我」の強さは、自分では分かりにくいです。 

 人から馬鹿にされた時にどこまで腹がたつか、とか、自分の意見が通らなかった時にどこまで苛立つか、等を日々冷静に見ていけば、自分の「我」の強さを、多少は感じる事ができるかもしれません。頑張ったのに評価されなかった時とか、正しいのに否定された時とかに、どれだけ不快な感情を抱くのか、そこを注意深く観察する事もまた、自分の我の強さを知る方法かもしれません。

 こういう方向での自分観察は、ダイエットの為に毎日体重を計る、みたいな事と同じで、観察を続ける事で自律や自省を促す効果もあるように感じます。

 最初にも書きましたが、「我」がなくなれば、悩む事も苦しむ事もなくなり、人生がラクになるのだろうと思います。簡単なようで、実行は難しい。いやでも、あっさりと割り切れば、本当はとても簡単なことなのか。さて、どちらなのでしょう。

 他人に自分の「我」が踏みつぶされた時に、自分がどう感じるのかを淡々と観察する事で、自分の「我」と、自分との間に距離を置き、「我なんていらないな」と徐々に思えるようになるかもしれません。

 

f:id:oinor-i:20200521174726j:plain