書くしかできない

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NHKBS世界のドキュメンタリー「WHY slavery」シリーズ②

 NHKBSの「世界のドキュメンタリー」の「WHY slavery(奴隷)」というシリーズを観終わりました。6回連続シリーズでした。ホームページ貼っておきます↓。

BS世界のドキュメンタリー(ドキュメンタリー/教養) | ザテレビジョン(0000946476)

 

 2回目を見た段階で、以前に記事を書いたのですが、今回は全部見終わった感想を書きます。(以前の記事はこちら↓)。

NHKBS 世界のドキュメンタリー「Why slavery」シリーズ - 書くしかできない

 

 確かに、現在世界には、奴隷制度は残っているのだなあ、と、まずは思いました。中東でのメイド制度、インドの人身売買、ISISによる拉致被害者、米国刑務所の受刑者、、、。理不尽に囚われ、拘束されて逃げられず、暴力的に死ぬまで無給で働かされる。

 確かにこれは、「奴隷」だなあと思いました。

 これら現代の「奴隷制度」は「ビジネス」として確立されていて、支配者側に一定の利益を絶えず生みだし続けています。働き手が無給であるから当然ですが。そしてまた、その働き手の確保にお金もかからないのですから。

 ビジネスとして確立してしまったこの奴隷制度を失くすのは、だからとても難しいけれど、こうやって番組で取り上げる事によって世論が動き、国連が介入して、解決するケースもあるそうです。6話目の最終話がその一例でした。

 また、前回の記事にも書きましたが、自ら奴隷にならない為には、貧困に陥らず教育をしっかり受ける事が、大切だということ。とにかく貧困にはならない事。とにかく教育だけはしっかり受ける事。

 でも、貧困と教育は、相反していますよね。

 貧困であれば、教育を受けにくいわけです。それでも無理して子供に教育を受けさせようと思えば、親は益々貧困に陥っていく。なんとか経済を立て直そうと、危ない仕事に飛びつき、奴隷となっていく。悪循環。

 遠い国のお話だけでなく、日本でも、子供にそれなりの学をつけさせようと思えば、それなりにお金がかかります。理系の私立大で専門職など身に着けさせようとしたら、1000万2000万が軽く飛んで行きます。生まれてすぐに大学に行くわけじゃなし、そこまで育て上げるのにも、それ相当のお金がかかります。余裕のある家庭でないとなかなか難しい。

 奨学金制度もありますが、あれは単なる借金ですから、いずれ全額返さないといけない。社会に出る前にすでに、子供に借金を背負わせる事になるわけで。しかも就職がうまくいけばいいですが、就職浪人した場合でも、借金返済は待ってくれません。とにかく何かしら仕事をしなくてはいけない。高い教育を受けようとした結果、奴隷のように働く羽目になる。

 と言って、中卒高卒で専門分野を持たずに生きていくのは、しっかりと知恵と意思のあるタフな人でなければ、使い捨てにされてしまう社会構造です。

 奴隷にならない為には、相反する貧困と教育というハードルをクリアしなくてはいけないわけです。

 一つ考えられるのは、「学校」にこだわらない、という方法です。

 例えば、中東にメイドに行くアフリカ女性達は、みな、スマホは持っています。固定電話やパソコンはなくても、スマホだけはみんな持っている。ならば、英語が分かれば、海外の報道を知る事が出来ます。中東メイドの闇も知る事ができれば、一つ危険を回避する事ができるわけです。英語は、その集団の誰か一人でも学べば、後はその人が周囲に教えていく事ができます。学校を作る必要はなくて、個人が塾のように教える事が可能です。英語は、数学や物理化学のように難解な学問ではないからです。アフリカ女性達が、少なくとも英語だけでも読める技能を身に着けていれば、避けられる危険は多いし、できる仕事の幅も増えるでしょう。

 こういう事が、多分、日本でも可能なのではないかと思います。学校にこだわらず、本人に必要な技能を、身につける方法を探す事。それが、貧困と教育を両立させる一つの手段かなと思います。 

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 話は飛ぶようですが。

 よく、「結婚は女性にとって奴隷制度に等しい」というような事を聞きます。主婦は、結婚生活に様々な不満を抱えながら、そこに閉じ込められている事を指して、こう言うのだと思います。

 自分の置かれた環境が、「奴隷状態」なのか、そうではないのか。見分ける方法は、何だろう?と考えていて、きっとこういう事だろうと思いました。

 つまり。 

 自分の行動を自由に選択できるかどうか。そこに自由があるかどうか。です。

 主婦が、結婚生活に不満を持っている場合、そのまま結婚生活を続けるのか、辞めて一人で生きていくのか、それを主婦自身が選べるならば、その主婦は奴隷ではない、と思います。

 そのまま結婚生活を続けるのか、辞めて一人で生きていくのか、どちらを選んでも、選んで終わり、ではありません。選んだ結果に責任を持って、自分で人生を進めていかねばなりません。

 「選んだ結果に責任を持って自分で人生を進めていく事」が辛いからといって、結婚生活が奴隷状態だと、混同してしまってはいけないと思います。

 選択の自由があるなら、奴隷ではないのです。

 選んだ結果の責任を取る事の困難さは、これはまた、別の話なのです。

 

 人生がどんなに辛くなっても、次の一手をどうするのか、自分で考え、動く自由があるのなら、自分は奴隷ではないのです。その一手を出す事がどれほど苦しくても、動く自由がある限り、奴隷ではないのです。苦しくても動ける、苦しくても前進できる、その事の有難さを、しみじみ感じた番組でした。

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