「正しく生きるのではなく、楽しく生きたい」と発言していた人がいたが、どうしてそうなるのだろうか、と不思議に思った。「楽しく生きる事が正しい生き方」なのだと私はずっと思っているので。以前、奥田民雄さんが「楽しくない事を、いかに楽しむかを考えるのが、楽しい」と言っていたが、そういうのに共感する。
最初から楽しい事なんてたいして楽しくない気がする。最初は億劫だったり難しかったりする事を、ごまかしごまかし工夫しつつやり続けているうちに、だんだんと楽しくなってきた時の楽しさが、本来の「楽しい」という事じゃないかと個人的には思う。
話は変わるが、「夫に対して折れる事が愛される秘訣。負けて見せる事でむしろ勝つ」みたいな説にも、なんとなく違和感がある。
私は基本、人と意見が異なる時は自己主張していかないタイプで、これは夫に対しても同じ。夫と意見が違うな、と気づいたら、それ以上しつこく言い争わない方。
これ、私の中の意識としては、「夫に対して折れる」とか「負けて見せる」という風には認識していなくて、しいて言えば「抗わない」という感じなんですよね。あえて異論をぶつけて争わないだけであって、折れるとか負けるという意識は全然ない。そう、スルーする感じ。
その結果、愛されているかどうかは不明だけども、憎まれてはいない気がする。他人が長く一緒に住んで夫婦やってて、憎まれないってそこそこ凄い事じゃないですか。もうね、愛されるとかどうでもいいから、憎まれない域で暮らしていきたいと思っているのです。私も夫を憎みたくないし。その為に「折れる」というよりは「抗わない」事は、自分自身の心にも負担をかけないのです。あくまで私の場合ですが。