書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

平穏な人生なんか、そうそうない。

 今日はいい感じの雨です。あたたかくて湿った風が、家の中を吹き抜けていきます。この風。私はこの風が大好きで、だから一年で、今から梅雨時までが一番好きです。

 家中の窓を開け放して、香りのいい紅茶を淹れて、北欧の小説をお伴に、柔らかくてひんやり気持ちのいい風にあたる至福。頭がどこかに飛んで行きそうです。

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 ふと思ったのですが。平穏な人生なんか、そうそうないんじゃないかな、と。

 よく言うじゃないですか。「今までは、安定した平穏な人生だったけれど、本当の自分を生きていなかった。本当の幸せを求める為に、私は一歩踏み出す」みたいな事。よく、ではないかもしれないけれど、こういう台詞って、時々耳にします。

 でも、そういう事を言う人の、それまでの人生を聞いてみると、とても平穏とは思えなかったりする。

 どういう事かというと。様々な問題の芽は出て来ているのに、あえてそれらを無視して、見ないフリをしてきてたように見える。その人の人生に今までにも沢山問題はあったけれど、「問題なんか無い」と耳をふさいで「私の人生って穏やかだ」と、無理やりそういう事にしてきただけじゃないのかな。

 そして、そうやって自分の人生の真の姿から目をそらし続ける事に疲れて、かと言ってそれを凝視する事も嫌で、だからとにかく自分の人生から逃げたくなって、逃げる言い訳に「本当の自分探し」を持ち出しているだけのように思える。

 「平穏な人生を抜け出して、本当の自分を見つける為に一歩踏み出す」と言うと、とても格好いいけれど、実際のところは「今までごまかしごまかし生きてきたツケが、とうとう無視できないレベルにまで溜まってしまったから、逃げ出したい」という事なんじゃないかな。

 辛口過ぎますか。。

 平穏な人生なんかない、みんな何かを抱えていて、それをなんとかしながら生きている、と私は思っているので、「今まで平穏な人生だったけれど、、、」と語り出す人の話は、それ以上聞く気がしないのです。「何不自由なく平穏で穏やかな日々だったけれど、、」とか、嘘でしょ、と思ってしまう。記憶は120%嘘だと言いますから、本人はそう思い込んでいるのかもしれないし、平穏じゃなかったと分かっていても「平穏だった」と言いたいだけかもしれないけれど。いずれにしても、それは無いわ、と思います。

 学生の頃、親との関係に悩んで家出をした人が、最近になって「私は平穏で穏やかな家庭に育ったのだけれど、、」と言ってて、驚いた事もあります。マジで?と思って顔を見たのだけれど、本当にそう思い込んでいたみたいで、そうなんだ、、と思いました。

 何が書きたかったのかな。そうそう。平穏な人生なんか無い、という事が言いたかったのです。なんだか、かんだか、色々あるのが当たり前。そういう事を、全部無視して見ないフリをすれば、その人の人生は、一見「平穏」に見えるかもしれないけれど、無視したツケはいずれ必ず自分に戻って来ますし。だから、自分の人生の現在のあるがままをそのまま受け止めて、凝視して、一つひとつ解決していくしかない。一つ解決しても、すぐにまた別の問題が生れてくるけれど、人生ってそういうもの。だから、一つ、また一つ、そしてまた一つ。クリアし続けていくだけじゃないかな。

 別に問題探しをしたいわけではなく、もし本当に「平穏な人生」が存在するのだとしたらそれを妬んでいるわけでもない。ただ、人生って、普通に生きてても、必ず何かしらは起こるし、それが当たり前だと思うから。何も起こらない「お姫様は末永く幸せに暮らしました」みたいな事は、絶対にないと私は思うのです。たとえお姫様だとしても、必ず何かしらあります。お姫様だってそれを一つひとつクリアして、生きていると私は思っています。そしてそれは、別に不幸じゃないし。

 私はひねくれているのかもしれないけれど、「私の人生は、今、平穏で穏やかだ」と思い込む前に、本当にそうなのか、本当に見ないフリしている事はないのか、無い事にして握りつぶしている事はないのか、考えたいと思っています。いつも何かあって当たり前だと思っているので、何かあっても別に不満に思わないし、不快にもならないし、さすがに楽しくはないけれど、私がやるべき事を、淡々と処理します。処理できるうちは、幸せなのかな、少なくとも不幸じゃないのかな、と思っています。

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