書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

叔父の訃報と母

 少し間が空いてしまいましたが、叔父が他界した事で、母と会話した話を、今日は少し書きたいと思います。前回は、姉との会話について書いたのですが、今日は母でございます。

 母は、叔父の「最後に会いたい人リスト」には入っていなかったものの、別ルートから叔父の危篤を知り、急いで病院に駆けつけたそうです。ですが、すでに叔父は亡くなった後で、会う事は叶わず、疲れてしまった為、病院近くのホテルに入って休んだそうです。

 病院まで行ったのに会えなかった事や、叔父という人についてのあれやこれやを、母はホテルの部屋から、私に電話してきて、長々と語りました。

 2時間×2回かな。

 私もそこまで暇じゃないのですが、母が話しをやめないので、付き合いました。ちなみに母は、姉にも電話したそうですが、姉は出なかったそうです。後で姉から聞いたら、母と話すと長くなるから、居留守を使ったと。

 となると、話し相手は私しかいないので、仕方ないですね。

 母としても、叔父が亡くなった事はそれなりにショックで、胸にたまった気持ちを誰かにぶちまけたいのだと思いまして。お付き合いしたわけです。

 

 母の話は、母の気持ちをただただ並べるに留まり、叔父のお通夜や葬儀の予定などについては、一切触れられませんでした。

 でも、私としては、そこが一番知りたい部分。

 確か、私の父の葬儀の時は、叔父のお子様方も皆さん来て下さったので、私も行かないといけないのでは、と思ったのです。

 でも、母に尋ねても、「さあ、知らない。どっちにしても、私は年だから行けないから」と答えるのみ。

 

 叔父の遺体は、かなり遠方(大阪から車で半日かかる)の叔父宅まで運ばれたので、そちらで葬儀をされるのだろう、叔父の奥さんに電話で問い合わせるしかないか、と思いましたが、ほとんど話した事のない人だし、電話番号も知りません。翌日葬儀、という事はないだろから、しばらく連絡を待ってみることにしました。

 でも、葬儀に行くとしたら、遠方だけに準備が要ります。翌日一日待って、どこからも連絡が入らなかったので、姉と母に、再度聞いてみました。「叔父さんのお葬式について、何か聞いてない?」と。

 姉は「聞いてないし、私は行かない」と。

 母に電話してみたら、またしても、叔父が他界した日の母の行動の話や、母の気持ちの話が始まってしまいました。これは駄目だと思い、かなり無理やりその話を遮って、

「叔父さんのお葬式について、何か聞いてない?」と尋ねると、母は、最初「さあ、知らないわ」と気の無い返事をし、またすぐ、母の行動や気持ちの話に戻ってしまいました。私が、「本当に何も知らない?私、行くべきじゃないかと思うんだけど。叔父さんの奥さんに葬儀の予定聞いてみたいから、奥さんの電話番号教えて。お母さん知ってるでしょ」と無理やりねじ込んだら。

 母「ああそう言えば、昨日、奥さんから電話があったわ」と言い出す。

 私「え?なんて?」

 母「葬儀は内々で家族葬にするので、お気遣いありませんよう、って言ってたわ」

 私「。。。。。」

 なんで、昨日のうちに、それを私に教えてくれなかったのか。。。

 叔父の奥さんとしては、母に伝えておけば、母側の親類縁者には母から伝えてもらえるだろうと思ったはず。でも、母は、誰にも伝えていませんでした。

 私は急いで、何人かの親類に、叔父は家族葬なので、こちらからの葬儀の出席は必要ないらしいと伝えました。

 

 ダラダラ書いて申し訳なかったですが、何が言いたかったかというと。

 母という人は、「言うべき事」は言わず「自分が言いたい事」を言う人なのです。また同じく、「やるべき事」はやらず「自分がやりたい事」をやる人なのです。これは姉も同じなのですが。

 私は、およそ20歳まで、この母と姉と一緒に3人で暮らしていました(父は仕事が多忙でほぼ家にいなかった)ので、自分が生きづらかった理由が改めて分かった次第です。

 必要な事は教えてもらえず、母主観の(私には無益な)事ばかりダダ―ッと言われ続けた。必要な事はやってもらえず、母主観の(私にはむしろ有害な)事をダダ―ッとされ続けた。困っても助けてはもらえなかったし、私が困らないように、事前に気を付けてくれるという事もなかった。これは以前にも書いた気がしますが、我が家の家系は初潮が早いようで、姉も私も、学校で習うよりも早くに初潮が来たのですが、前もって母から何か教えてもらうという事は、ありませんでした。姉はともかく、姉という先例があるのだから、私には教えておいてくれても良かったのに、、、。いきなり服に血がつき、私は仰天したものです。でも、母に言うと怒られる(母は、母にとって不愉快な事を言うと機嫌が悪くなる。私の体の不調等はその最たるもの。風邪をひいても熱が出ても母には言えなかった)ので、途方に暮れたものです。

 それを、不適切な状況だとは、当時は気が付かなかったです。他の家庭を知らなかったので。

 でも今は、私自身が家庭を作り、自然に私なりに家族と接する中で、母や姉の在り方はおかしかったのではないか、という事に気付くようになりました。

 

 冠婚葬祭があると、何かと新たな気づきがあるもので。今回は、こんな事を考えたという話でございます。ではまた~