書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

本人を直接誉めるのは癪に障る

 私の母について考えた時に、一番の特徴は、「本人を直接誉めない」という事だと思います。主に子供、広くは身内、ですが。

 母は、身内の誰にしろ、相手を目の前にして、その相手本人を誉める、という事を絶対にしません。以前理由を聞いたところ、「だって癪(しゃく)に障るでしょう?」といかにも当然の事のように言っていました。

 その代わり、相手がその場にいない時は、めちゃくちゃ褒めるのです。例えば、私がその場にいない時には、私の事をすごく褒める。姉とか、他人とかには、すごく私の事を褒めて聞かせるんです。そうする事で、母は私をしっかり褒めているつもりになっているんだと思います。でも、私は1ミリも褒めてもらってない。褒めてもらった記憶が全くない。

 母は、相手を目の前にして、相手本人を直接誉めるのは、ものすごく抵抗感があるのだと思います。おそらく、相手を直接誉める言葉を吐いた瞬間、自分が相手の下にまわる、相手を上にあげる、自然に相手にマウントを取られる形になる、というのが嫌なのかなと思います。

 もっとシンプルに言えば、誉める事で相手が嬉しそうな表情をする、相手を喜ばせる、それ自体が嫌なのだと思います。

 母は昔から、相手が欲しいと言うものは与えず、相手が欲しがっていないものをわざと与える、という人でした。これも同じ理由からだと思います。

 

 以前、従妹が亡くなった時、形見分けの品を持って帰るよう母に言われた事があります。伯母が従妹の所持品の中から、バッグと宝石類を、私と姉にもらって欲しいと、実家に送ってきたのです。

 私は正直、何も貰いたくはありませんでした。本当に何も欲しくなかった。従妹は大好きでしたが、形見分けの品を頂くほどの関係性ではなかったからです。私が「もらえない」と言うと、母は「受け取るのがあなたのやるべきこと。さあ、この中から欲しいものを取りなさい」と、形見の品々を私に押し付けてきました。

 私は本当に何も欲しくなく、嫌で嫌でたまらなかったのですが、気持ちを切替え、受け取った形見の品をコメ兵で売り、そのお金を従妹の供養に使おうと思いました。お墓参りの際のお花を買ったり、お寺へ寄付したりしようと思ったのです。

 それで、私が、私の好みではなく、価値の出そうなバッグや宝石を選び始めた瞬間、私が「では何かもらおう」と気持ちを切り替えた瞬間、母が「あ、これは駄目。これも駄目」と私が手を伸ばした品を片端から横によけてしまったのでした。

 「え?」とあっけにとられた直後、ああいつものやつだな、と思いました。母は、私が欲しがらない時は私に押し付けたがり、私が欲しがると今度は渡すのが嫌になるのです。

 どうでもいいので、「じゃあ、お母さんが私に渡したいと思うものを選んでくれたらいいから」と言い、いくつかのバッグと宝石をもらい、その足でコメ兵に行ったのでした。

 

 すみません。脱線しました。話を、誉めるというテーマに戻します。

 母は、身内を本人に対して直接は誉めませんが、本人がいない所でなら誉めます。姉のことを私に対して誉め、私のことを姉に対して誉める、そういう事です。

 これは、その場にいない人間を誉める事で、目の前の相手を下げているのだと思います。だから母は気持ちがよくなるようです。頻繁にやりますので。

 

 もう母も80代後半で、今更母がどういう性格か、気が付いてもあまり意味はないんですよね。

 本当は、母という人に育てられていた子供時代の私に、こういう事を教えてあげられたら良かったのですが。そうすれば、無駄に傷つくことも、悔しい思いをする事も、自尊心を削られる事も、臆病になる事も、姉と喧嘩する事もなかったのになあと思いますね。

 

 あと、思ったのですが、私自身も母のような面があると気づきました。私も、息子が私から安心できる言葉を求めている時に、欲しがっている言葉を欲しがっているテンションで与える事に抵抗を感じることがあるのです。

 息子が甘えた気持ちからそれを求めてくる時や、息子自身の間違っているこだわりを肯定してほしくてそれを求めてくる時に、私は100%純粋な気持ちで息子を褒める事が出来ません。出来ないというより、したくない。それをしてやれば息子が喜ぶとわかっているのに、したくないのです。

 これは昨日の記事にも繋がるのですが。

 私がこの「母から遺伝した性格」を克服しない限り、息子が無事に生きていく事は不可能でしょう。頑張るしかありません。母は一生、この性格を治しませんでしたが(気づいてもいないでしょう)、私は治してみせると思っています。頑張るしかないですね。ではではまた~