書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

やると良くない事

 桜井識子さんご推奨の神社仏閣巡り、次はどこへ行こうかな?と著書「京都でひっそりスピリチュアル」を読み返していたところ、とあるお寺の記述に目が止まりました。

 それは「引接寺(いんしょうじ)」という所で、閻魔大王をお祀りしている珍しいお寺です。お堂に閻魔大王の大きな像があり、両側に司命(しみょう)と司録(しろく)の像があるそうです。このお寺は、京都三大墓地のひとつ、蓮台野の入り口に建っています(もうひとつの墓地、鳥辺野の入り口には六堂珍皇寺が建っています)。

 昔は、高貴な人しかお墓を作らず、庶民は野ざらしだったそうで、お墓がないので先祖供養の意識も薄かったそうです。そこで、先祖供養は大事だという事を教える為に、このお寺が出来たそうです。

 参拝した際、閻魔様は桜井さんに「地獄に落ちるような悪い事はするなよ」と優しく言って下さったそうです。司録さんも「お前は良い事をしているからそれは記録に書く。記録に書けるような良い事だけをするように」と仰ったそうです。

 ちなみに、閻魔様は、仏でも神でもなく、しいて言えば牛頭天皇のような存在だそうです。悟りも開いており、力もあります。

 このお寺で、桜井さんが閻魔様に聞いたところ、地獄というのは実際にある、との事。よく言われるように血の池地獄とか永遠に焼かれ続ける、とかそういうものではないですが、あることはあるそうです。

 よほど悪い事をしない限り、死んだ後は、もといた心地いい世界に戻れるわけですが、逆に言えば、悪い事をすれば地獄に行く可能性もある、という事ですね。これは怖い。

 悪い事、やると良くない事というのは、普通に考えても分かることなので、それはやらないようにしよう、と改めて思った次第ですが、ふと、以前桜井さんが書いていた文章を思い出しました。

 意外と気づかないのですが、やると絶対に良くない事、というのがあって、それは、傲慢になる事、だそうです(ああ、耳が痛い。油断するとすぐ傲慢になる私)。

 傲慢さの中でも一番良くないのが、他人に対して「あの人は人間に生まれ変わって一回目の人だから」みたいな「あの人に言っても理解できないから」みたいな、他人を自分より低い知能、低い人間性、自分と違う人種(自分が正しく相手が間違っている)、みたいに思う事だそうです。

 話をしていて通じない相手、或いは、自分を否定してくる相手に対し、「あの人は私とは違う人種だから、気にしても仕方ない」と割り切る事は、わりと推奨されている気がします。でもこれ、自分が間違っている(程度が低い)、相手が正しい(程度が高い)という前提で「私達は異なる人間性だ」と考える人はいないと思います。あくまで自分が上、という認識の中で「あの人と私は違うから、何を言われても気にならない」となる。

 これが、一番良くない、と桜井さんは書いていました。人を見下し、自分を上げて考える事、すなわち傲慢さの極みだと。

 ああ、本当に耳が痛い。

 でも、こういう事をしていると、司録さんに良くない事をしたという記録が書かれてしまい、最悪地獄に行く事になるやもしれません。怖い。

 私は自分が誰よりも大事なので、危ない橋は渡れません。今改めて思ったのですが、こういう傲慢さは直そう、良くない事は止めようと思います。

 引接寺に行ってみたいとは思わないのですが(だってかつての墓地の入り口ですから怖いです)、時々この本を読み返し、気持ちを正そうと思いました。

 ではではまた~