今日はダラダラととりとめのない事を書きます。
全くお墓参りをしてくれなかった姉が、最近まめにお墓に行ってくれるようになり、助かっています。我が家のお墓は父の代で作ったもので、入っているのは父の両親と父だけなので、お墓参りする人間は私と姉だけだったのです。以前は親族で早く亡くなった人のお骨も入っていたのですが、彼等のお骨はいち早く永代供養のお寺に移されまして、現在お墓に残っているのは祖父母と父の骨だけなのです。
なぜ、祖父母と父のお骨だけが残っているのかと言いますと、母が永代供養を嫌がるからです。
姉はずっと「魂なんかない。死んだら終わり」と言っていた人なので、お墓も無視で、お墓について相談しても「私はどうでもいい。あなたのしたいようにしてくれたらいいよ」と無責任な立ち位置にいたのですが。
最近、何を思ったのか、急にお墓参りに行ってくれるようになりました。今後のお墓の相談にも、のってくれるようになり、安堵しています。全部私一人でやらなければならないと思っていたので、一応は安心しました。
最近、姉や母の事をふっと考える事があり、私は彼女達に基本的には馬鹿にされているなあと思います。以前は、彼女達に馬鹿にされている事が嫌だったのですが、今はもうなんとも思いません。
というのも、ここからはスピ話になるので、苦手な方はスルーをお願いしたいのですが、私は自分自身というものは、この私ではない、と思っているからです。
厳密に言えば、この私の身体ではない、という事です。脳も体のうちなので、私として思考しているこれも含めて、本当の意味での「私ではない」と思っています。
では、私とは何か?と言えば、今この体では知覚できない「魂」の事だと思っています。存在を感じられないので、あるかないかも分かりませんが、私は魂はあると思っていて、それが私自身だと思っています。
乗っている車が古くなって壊れたら、降りるように、この私の身体もいつかは古びて壊れ動けなくなる日が来ます。それは私自身の終わり、ではなく、私はこの体から降りるのだと思います。その時やっと、私は私の魂を認識できるのだと思っています。
今、私が私だと認識しているのは、この体に付随している脳が考えている事なので、厳密には私自身ではないと思っています。ただ、魂は知覚できないものの、重なって存在はしているので、私の体(や脳)に多大な影響を与えていて、逆に、私の体(や脳)が行う事は、私の魂に多大な影響を与えていると思っています。
乗っている車の行き先を、運転手が決めているように。
車が壊れたら、運転手は車から降りるわけですが、その車に乗る前の運転手(魂)と、降りた後の運転手(魂)は同じではなく変化しているし、どういう道を通ってどこまで行ったのか、降りた場所も魂に影響しているように思います。
ダラダラとスピスピした事を書いてすみません。
何が言いたかったかというと、姉や母が馬鹿にしている「私」というものは、私の体(や脳)なんです。つまり私の「車」ですね。だから、私はそれについて、腹を立てる必要はない、という事です。私は私の魂だけに責任を持てばよく、でも魂は私自身にも知覚できないのだから他の人が認識できるわけもないので、人からの評価というものは、気にする必要はないと思っています。
人からの評価がイコール仕事となっている方は、現実的には人からの評価を気にしなくてはいけませんが、そうではない私のような専業主婦は、人からの評価は気にしないほうがいいなと思います。
私が責任を持てるのは、本当の意味での私(つまり魂)のみなので。それ以外のものは、私の責任以外の部分が多々あるので。例えば外見、例えば性格、能力等々。生まれた時のこの体についていたものは、厳密に言えば私の責任ではありません。でも、人が人を評価するポイントのほとんどは、その人の責任外のものなんですよね。だからあまり他者からの評価を気にするのは、よくないなと思います。
そう言えば、桜井識子さんの本で、ある神社に行った時に、そこの神様が以前は人間で、亡くなった後に人間を沢山助けたので感謝され、神社を作られ祀られているという事が書いてありました。
驚いたのは、その神様が人間だった時、知的障害者だったそうなのです。だから出来ない事分からない事が沢山あり、人権意識も低い時代ですから、散々いじめられ苦しい人生だったそうです。でも人を恨む事なく、亡くなった後、もともと魂レベルが高かった為に、人を助ける事が出来、それが修行となって神様になられたそうです。
魂のレベルがとても高くても、生まれた時にそこに蓋をして、何も分からない知的障害者として生きるという事もあるのだなあと思いました。神様となった今は、知的障害者だった人生を振り返り、自分に優しくしてくれた人の事は、忘れないと仰っておられました。
不思議な話ですが、魂とはそういうものだし、人間とはそういうものなのだと思います。ではまた~