書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

一旦本気で馬鹿になる

 息子の事で、というか発達障害児育児について、書いておきたい事が浮かんだので書いておきます。

 

 息子との会話というのは、息子が不安に思っている事を私に質問し、私が「こうこうこういう根拠があるから大丈夫だよ」と安心させる、という形がほとんどです。多分、このパターン以外ないと思います。

 で。

 息子の質問というのは、息子自身が不安に思っている事なので、当然ながらそれに対する答えは、➀今の段階ではまだなんとも言えない、又は➁今の段階でもハッキリと「無理もしくは駄目」と分かっている、の二択になります。

 でも、息子は今すぐ「大丈夫。可能。出来る。問題ない」と私に答えさせたいのです。これ以外の答えは受け付けません。

 なので私は大嘘をついて、無理だと分かっている事を「大丈夫。出来る」と答えます。でも、私自身、無理だと分かっているので、心の中では真逆の事を考えています。

 この私の心中の「でも無理だし」という気持ちを、息子は感じ取り、いくら私が口で「大丈夫」と言っても、納得しません。「お母さんの機嫌が気に入らない」と言って、何度も繰り返し私に答え直させます。「機嫌よく明るく答えて欲しい」と言うのですが、それはつまり、私の心中の「でも無理だし」という気持ちを捨てろ、という事なのだと、ある時、気が付きました。

 どれだけ私が表面上、明るく元気に機嫌よく「それは心配いらないよ。大丈夫だよ」と言っても、言えば言うほど息子はピリピリし出し、「お母さん、もっと明るく言って。お母さんの機嫌が気に入らない」と怒り出し、キレ出す。私はこれ以上明るくは言えないのに、どうしたらいいのか途方に暮れる、という事を繰り返して疲弊していました。そしてある日、息子が私の機嫌がどうこうと言い出す時は、私が心中真逆を考えている時だ、無理だと確信している時だ、と気づいたわけです。

 それに気づくまでは、私がこれだけ根拠を挙げて「大丈夫だ」と言ってあげているのに、どうしてこの子は納得しないのか、機嫌だって最高に機嫌よく答えてあげているのに、何が気に入らないのだ、と思っていました。

 でも、私が心中真逆の事を考えている時は、どれだけ表面的に「大丈夫」を明るく連呼しても、すればするほど、息子をキレさせるのだと気づきました。息子は私の心中に真逆のものがある事を感じて、それに不安を感じていたのです。

 

 さあ、どうするか。

 

 まず私は、今ここに書いてきたような事を、息子に一式説明しました。

 その上で、息子から質問された時に、心中「無理だ」と考えた時は、その考え自体を意思の力で消す事にする、と息子に告げました。

 本来の答えは「無理だ」なのです。だから真っ先にそれが心中に浮かぶんです。でもそれが浮かんだ瞬間に、心からそれを消す。これは私自身が頭がおかしくならないと出来ない事なのですが、だから私は息子と同じレベルで頭をおかしくせねばならないんだなと思います。

 

 息子に「無理だ」と告げて、息子がそれを受け止められるのなら問題ないですが、それはあり得ないのです。息子は「無理だ」と言われたら頭が暗黒化し、一気にキレるからです。

 なので、「大丈夫」という答えしか言えないし、しかもその答えを言う時に私の心の中の底の底まで、本気で「大丈夫だ」と思っていないといけません。でないと息子に見抜かれ、やはりキレ散らかされるだけだからです。

 

 この事に気づいてから少し時間がたつのですが、息子がどうなったかというと、意外にも自力で自助努力が出来るようになってきました。勿論完璧ではありませんが、私に無理な事を質問してくる、私が「大丈夫だ」と答える(心中まで大丈夫だと思って)、という事をした後、少し時間があいて、或いは翌日になって息子から、「でも、あれは大丈夫ではないかもしれない。あれは良くないかもしれない」もしくは「僕はもう少し頑張れるかもしれない」「頑張ったほうがいいかもしれない」と言い出すのです。

 私に質問してくる時というのは、息子自身が切羽詰まっていて、とにかく自分を安心させて欲しい気持ちマックスで私に向かってくるわけです。その時100%の確信を持って私が「大丈夫」と答えると、息子の不安感が癒されるわけです。

 切羽詰まった不安感が一旦癒された後で、息子は初めて冷静になって物事を考える事が出来るのだと思います。

 そして、何が自分にとって必要か、自分がやるべき事は何か、を考える事が出来るのだと思います。

 

 長くなりますが、具体的に1つ書き残しておきます。

 以前こういう事がありました。息子には聴覚過敏があり煩い音が苦手なのですが、ある習い事で煩い音をたてる生徒さんがおり(少し障害があるのかもしれません。急に大声を出したりされるそうです)、それが怖くてその生徒さんがいる日は休みたい、と言っていた事がありました。そんなに頻繁に大声を出されるわけではなく、たまにだそうですが、いつ大声を出すのか分からない事が不安だ、と。それで私は「休んでも大丈夫だ」と言いました。すると数時間後、息子は「毎回休むのは僕にとって良くないから、2回に1回休む事にする」と言ってきました。

 まあ、習い事なので、半分行ければそれこそ問題ないわけで、良い結論に至ったわけです。我慢しすぎない、でもある程度我慢する、という、いい塩梅に辿り着いたわけです。

 この塩梅というのは、私には絶対に提案できない事で、息子自身しか出せない答えなのです。

 また、この件を息子はよく覚えていて、何か自分にとってしんどいと感じる事があった時に、「あの時、○○君の事を頑張って我慢できたから、これも我慢できるはず」と考えるようになりました。自己肯定感というか、自分に自信がついたのだと思います。

 

 というわけで、長くなりましたが、発達障害児を育てる親は、一旦本気で頭をおかしくしないといけない、という事を感じたお話でした。個人的な体験ですが。

 ではではまた~