こんにちは。関西は今日も良いお天気ですが、東北のほうで地震があったそうで、少し心配です。最近、地震が多いですね。春を飛ばしていきなり初夏になったし、なんだかなあと思います。今年はスプリングコートに一度も袖を通さないままになりそうです。
昨日、またまた京都へ行って来ました。今回は、初めての神社、晴明神社です。
私は、桜井識子さんが著書やブログでご紹介された京都の神社はほぼ全て行っております。でも、唯一、「晴明神社」だけは行っていませんでした。
変わった神様と言えば、代表的な例は牛頭天皇です。牛頭天皇は、魔にも通ずる神様で独特な存在です。牛頭天皇がおられる神社で私が行った事があるのは、八坂神社・今宮神社・八大神社です。「牛頭天皇」という名前の存在が神社ごとにいて、それぞれが「○○神社の牛頭天皇」ということになります。この感じは、仏様のほうの感じと似ています。薬師如来様がお寺ごとに異なる(○○寺の薬師如来様)のと同じだそうです。
安倍晴明様も牛頭天皇と同じく、魔に通ずる神様です。ただ牛頭天皇が元から見えない世界の存在であるのに対し、晴明様は元々は人間でした。人間だった頃から見えない世界に精通しており、死後は見えない世界で独特の存在になられました。牛頭天皇と比べると、牛頭天皇のほうが神様寄りだそうです。晴明様は、より魔に近いとのこと。でも、魔ではありませんので、人間に害を与えることはありません。また、安倍晴明様は一柱のみで、この晴明神社にしかおられません。牛頭天皇が八坂や今宮や八大にいて、それぞれ別の牛頭天皇であるのとは異なります。
晴明神社の得意分野は、呪詛返し、です。誰かから悪い念を送られて体調を崩した場合に、その悪い念を祓うだけでなく相手に返す、という事が出来るのは晴明様だけだそうです(牛頭天皇は祓う所までしかされません)。相手に返し、相手にダメージを与える事でもう二度と悪い念を送られる事がなくなります。でも、神仏に近い牛頭天皇は、人間にダメージを与える事はされませんので、呪詛返しはされません。なので、祓っても祓っても繰り返し同じ人から悪い念を送られる、という事はあり得るのです。晴明様にお願いすると、相手を倒して下さるのでキッパリ終わるわけです。
最近むくむくと、晴明神社へ行ってみたい欲が出てきまして。なぜかというと、桜井さんの著書を読んでいると、晴明神社に関する記述がとても多いからです。桜井さんご自身、晴明神社とは相性が悪い、と書いておられます。にも関わらず、何度も著書に書かれている。普通、桜井さんは、同じ神社仏閣を何度も書かれる事はありませんから、異例なのです。しかも、晴明神社はとても小さな神社です。京都には、上賀茂下鴨を初めとして、大きくて歴史の古い神社が沢山あります。それに比べると本当に小さい神社なのに、相性も悪いはずなのに、何度も著書に登場するというのは、どうしてなのか?とふと疑問に思ったので、一度行ってみたくなったのです。
それで昨日行って来たのですよね。
晴明神社は、地下鉄今出川駅から徒歩15分ほどでした。今出川駅を出て、西に進み、大通りに出たところで南に下がると、すぐに右手に見えてきます。方向音痴の私でも、グーグルマップを見ながら簡単に行く事が出来ました。駅から徒歩圏内というのも有り難い。
桜井さんは「少し暗い雰囲気の神社」と書いておられましたが、私の第一印象は「え、明るくて爽やかできれい!!ここは大好きかも!」でした。
確かに小さいのです。1つ目の鳥居をくぐったら右手に大きな狛犬が、左手に小さな橋があり、道を渡って二つ目の鳥居をくぐったら、目の前が本殿です。境内社もありません。でも、狭苦しい印象は一切ないんです。明るくて気持ちのいい空気。
大河ドラマの影響か、参拝客はとても多かったのですが、押せ押せのこみ具合でもなく、にぎわっていて楽しいな、という雰囲気でした。
まずは本殿でご挨拶しました。祝詞は必要ないと桜井さんが書いておられたので、省略しました。自覚はないのですが、今誰かに悪念を送られているのだとしたら祓って下さいとお願いしました。
呪詛返しには、境内で売られている清め砂を使うので、念のためにそれも買っておきました。1300円でした。大きな砂袋だとイヤだなと思っていたのですが、小さい箱に入った軽いコンパクトなものだったのでほっとしました。清め砂を使った呪詛返しのやり方は、桜井さんの「人生が楽になるコツ」に載っていますのでご興味のある方は参考になさってください。
本殿の左側に、安倍晴明像がありました。思ったよりも小柄な、普通の人という印象で意外でした。
右手におみくじがありましたので、引いてみました。中吉を頂きましたが、それよりも内容に深く納得。最後の部分にこう書いてあったのです。「努力している限り、凶運にはならない」。
なるほどな~と深くうなずきました。今まで数えきれないほどおみくじを引いてきましたが、こういう事が書かれていたおみくじは初めてです。吉だ凶だと騒ぐ必要はない、ただ粛々と努力を続けていれば問題ない、という事ですね。
さすが、人間の頃から見えない世界に精通し、陰陽道に精通していた方のお言葉だと感じ入りました。吉運を凶運に、凶運を吉運に、自在に操れた方だからこそ、凶運などというものは、人間が変える事が出来るのだと明言しておられるのですね。努力すればよいだけのことだと。
しばらくこのおみくじを握りしめたまま、境内の御神木下の台に座っていました。本当に大きく感動すると思考が止まります。
気を取り直して立ち上がり、もう一度境内をぐるりと回ってから帰りました。鳥居の手前左に、湧き水があったのも晴明様っぽかったです。
この神社は大好きになりました。私にはここは合っていると、とても強く思いました。また行きたいと思います。
この日はこの後、御所に行って桜を見ました。次回に書きます。