書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

発達障害者と仕事

 息子のバイト用の履歴書の文面を考えており(バイトまだ決まっていません 笑)、悩ましい部分について、夫に意見を求めてみたところ、分かりやすく機嫌が悪くなりました。

 夫は、私が作った文面の、息子にとってネガティブ要素になる所を全部消して、ポジティブ一辺倒に訂正しました。

 障害者枠で応募しているのに、障害についての具体的な説明を全部削り、必要な合理的配慮についても削りまくってしまい。。。これだと、相手先の会社は、息子がどういう障害で、どういう配慮を必要としている人間なのか、分からないなと思いました。

 これだと、ほとんど障害の無い人と同じなので、書面では合格し面接に呼ばれる確率が高まるだろうけれど(けっこう面倒くさめのバイトを探しているので、中々面接まで行きません)、面接で必ず質問されるし(だって相手が知りたいのはそこだもの)、息子が口頭で上手に答えられるのか、私は不安です。

 とはいえ、正直に何もかも履歴書に書いてしまうと、面接に呼ばれない危険があり、そのへんの匙加減が難しいです。

 

 私は、相手が知りたいだろう情報は、全て履歴書に書いておいたほうがいい(それで落とされても仕方ない)、と思うほうで。

 夫は、相手が知りたいかどうかどうでもよく、こちらが言いたい事だけ書けばいいのだ、という考え方です。そもそも夫は普段から、そういう人なので。

 

 結局、夫の言う通り、こちらが言いたい事だけ書いた履歴書が出来上がり、それを送る事になりましたが、、、。もし面接に呼ばれたら、面接で息子が大変な目にあうだろう事は間違いないです。まあ、全部経験になるので、良いですが。

 

 ほんの少し、履歴書文面について相談しただけなのに、夫は目に見えて不機嫌になり、気落ちし、テンションを下げ、自分は不幸であるというアピールをしてきました。彼は今まで、息子を取り巻く現実を直視せず生きてきたので(息子の現実は全部私が請け負い対処してきたので)、直視せざるを得ない状況になると、落ち込むようです。

 分かるよ、落ち込むよね、と夫には言いました。

 私も何か最近、今までにないほど、落ち込む事があります。まだ大学卒業までは時間があるとはいえ、20歳を超え、段々と現実的に息子の職について、自立させる事について、考えねばならなくなったからだと思います。

 健常児なら、履歴書の文面で悩む事はないし(事実をそのまま書けばいい)、仕事がしんどくても「頑張れ」の一言で片づければいい。でも、障害があると、頑張れとは言えず、息子が無理せず働ける場所に就職させねばなりません。そういう所にご縁が繋がればいいですが、いくらこちらが「ここで働かせて頂きたい」と望んでも、先方様から拒否される可能性がある。一生、仕事が見つからない可能性もある、という事に、パート先を探しながら気が付いてしまいました。だから私は落ち込んでいるのだと思います。

 今までは、漠然と、どこかでは働けると思っていたのですが、いくら学歴があり知識が十分でも、発達障害だというだけで、障害枠の仕事からもはじかれてしまう可能性がある、という事に、気が付いてしまったのです(いえ、以前から薄々気が付いていましたが、やっぱりそうか、、、という感じ)。

 この上は、健常者として就職するしかないのかなと暗い気持ちでいます。健常者として仕事を探せば、職は溢れるほどあり、採用される可能性も高いですが、息子に無理をさせる事になり、長続きしないでしょうね。今、空前の人不足と聞きますが、成り手がいない仕事は難しい仕事ばかりで、発達障害者である息子には出来ません。

 まあ、障害者枠の仕事でも、職種を選ばなければ見つかるのかもしれませんが。息子の専門性を活かそうと思うと、狭き門になります。

 あ~、落ち込む。

 

 最近、つくづく、小学校から支援学校に入れれば良かったと考えています。そのまま高等支援学校に進ませれば、大企業の特例子会社で安心して働けたのに(高等支援学校では間違いなく優秀な生徒になったはずなので)。本人にも無理させず、一生安心して暮らせたのに。息子の時代はまだ、支援学校に進む障害児は人数が少なく、それだけに就職もラクに出来たと思います。今はもう、支援学校希望者が激増しているので、将来も安泰ではないかもしれませんが。でも、迷っている方がいたら、私は障害者は障害者としての人生をお勧めしたい。

 頑張らせなくて良かったんだ。むしろ無理させないほうが良かったんだ。

 息子が小1だった時、支援学校を選択する勇気が私には無かったのです。勉強は出来ませんでしたが、自立は完了しており、大人しく1時間席に座っていられ、他人に迷惑もかけない子だったのと、どこかしら勉強好きの片りんも見えていた為、支援学校を選択する事で息子が障害者としての人生しか歩めなくなる事が、つまり息子の将来の選択肢を狭める事が、怖かったのです。でも今思うと、あそこで思い切れば良かった。一生障害者として生きていくほうが、この子の幸せなんだと、鬼のように決めつけて進めば良かった。失敗しました。当時は可能性を残す、という決断をしたつもりでしたが、実際には決断を先送りしただけ、つまり逃げていただけだったのだと、今は分かります。障害児なんだから、障害者として生きるのが、一番良い選択なのだと、今なら分かります。当時は分からなかった。

 ああ、後悔先に立たず。。。

 

 時間を巻き戻す事はできないので、今やれる事をやるだけなのですが、先を見る目が甘かった自分を殴りたい気持ちでいます。

 ただ唯一、慰めになるのは、息子が「僕は勉強は好き」と言う事です。支援学校ではそこまで専門的な勉強は出来なかったと思うので、好きな事をやらせてあげられた事は、良かった。

 あと、息子は今まで、曲がりなりにも健常者の世界で、健常者の一員として生きて来て、健常者の世界がよく分かっているので、例えば、人が「高校あるある」などを話して笑っていても、理解できるので一緒に笑えるんですね。うまく言葉に出来ませんが、周囲の人と同じ経験をしながら成長した、生きて来た、という事は、悪いばかりではないという気がします。

 

 でも、健常者の中で成長する事が、結局自立を阻む事になるのが発達障害者の現実なんだなと、改めて思います。発達障害児が、どれだけ健常児の中でやっていける能力があったとしても、発達障害があれば、障害者枠で学ばせ、障害者枠で就職させたほうが良いのだと、つくづく思います。育ててみなければ分からなかったです。

 様々ある障害の中で、発達障害は非常に嫌われやすい障害なのだと思います。得体が知れないというか。出来れば避けたいというのが、人情でしょう。

 

 愚痴ばかりになりましたが、今日も頑張って生きていきます。なんとかなる、ではなく、なんとかする、という気概を持って進んでいきたいです。将来の選択肢は二つ。職種にこだわらず障害枠で雇ってくれる所に就職する。もしくは、専門性を活かし無理やり健常者として働く、のどちらか。多分、我が家は前者を選ぶだろうな。じゃあ、何のために今まで勉強して来たのか、これからも勉強を続けようとしているのか、という話なのですが。本人が勉強好きとはいえ、マイペースで学べるわけではなく、短期間に大量に覚えてテストテストなので、好きだけでは乗り越えられない大変さがあるのに(遠い目)。全部無駄とは。。。

 ではではまた~