書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

発達障害児の学ぶ場所

 春ですね。発達障害界隈の親御さまは、お子様の進路選択に悩まれる時期かと思います(実際には、秋ぐらいから悩んでおられるとは思いますが)。

 特に、この春、小学校1年生になられるお子様と、高校3年生になられるお子様をお持ちの場合、悩みは深いのではないかと思います。

 私も、御多分にもれず、その時期は悩みました。

 

 何故ならば、幼稚園までは、なんとなく「健常のフリ」をして過ごさせる事が可能だからです。

 でも、小1で「障害児として学ぶか、健常児として学ぶか」を決めねばなりません。また、高3では「障害者として働くか、健常者として働くか」を決めねばなりません。

 

 障害児として学ぶコースとしては、小学校の支援級と、特別支援学校の2つがあります。障害者として働くコースとしては、各種作業所と、障害枠での就労の2つがあります。

 

 発達障害の診断が下りているなら、障害児(者)コースを選択するんでしょ、何を悩む事があるんですか?と思われるかもしれませんが、発達障害児でも健常児の中で普通級で学ぶことも可能だし、発達障害者でも健常者として就労する事も可能なんですよね。だから、親は悩むわけです。

 

 我が家の場合を書きますと。

 息子は2歳で発達障害を診断され、当時は小学校には行けないと言われていましたが、3歳から5歳までの三年間でなんとか成長し、小学校の普通級で就学をスタートする事が出来ました。教育委員会がやっている療育にも、4歳5歳の2年間通い、就学についての相談もし続け、小学校の普通級で大丈夫だろうという判定も頂きました。

 とはいえ、勉強にはついていけなかったし、イジメられる危険は常にありましたが、勉強については家でフォローし、イジメの芽は出た瞬間に摘んで、なんとか小学校の6年間を無事に過ごしました。

 そのまま中学・高校と進み、大学の選択は、将来の本人が出来そうな職業から導き出した所を選び、今現在に至っています。将来の職業を選ぶ作業、大学を選ぶ作業、大學受験に向けた勉強は、大変でした。みなさん、そうですよね。発達障害の場合、未来への思考が出来ないので、親がフォローしないといけません。本人任せにしていたら、大変なことになってしまうので、親の精神的負担は相当大きいと思います。小1ならともかく、高3でもそうなのか?と言われるかもしれませんが、そうなのです。極端な話、一生手が離れないのが、発達障害児なのです。

 

 止まれ。息子のように。

 発達障害の診断を受けながら、健常児として学び、健常者として就労するコースもあるわけです。

 この健常児コースを選択するメリットは、障害があるのに健常なフリをして生きていける事ですね。また、就労により自立度が上がり、それに比して自由度も上がり、幸福度も上がる可能性があります。

 また、普通級では、常識外れの他害が起こる可能性が低いので、比較的安全な環境であると思われます。(息子は見学した療育園で、同じお子さんから繰り返し突き押され、何度も倒されて脳震盪一歩手前になった事があります。母子通園なのでその加害児のお母さんもその場にいましたが、内輪のお喋りに夢中で子供は放置。謝罪もなし。この事があって療育園は怖くて行けず、私立の幼稚園を選択しました)。

 また、健常児の中で育つので、健常っぽいふるまい方に慣れるというメリットもあります。

 

 一方、健常児コースを選択するデメリットは、障害がありながら、公的な障害支援を受けられない事です。本来、支援級や支援学校で受ける事ができる障害児向けの特別な教育を、受けられません。

 

 健常児コースを選ぶ場合、親が国の公的支援を肩代わりする覚悟が必要です。本来、学校が義務教育として無料でやってくれる教育を、ほぼ100%親がやることになります。また、イジメを始めとした当然起こってくる様々なトラブルを、親がいちいち捨て身で対処せねばなりません。障害故に起こる、勉強の遅れもトラブル対処も、学校任せには出来ません。障害があると分かっていて、健常児の中で学ばせるという事を、親が決めたわけですから、決めた以上は全ての責任は親にあり、学校にはありませんから。

 

 とはいえ、実際の話をすると。

 教育委員会と繋がっている子は、小1の時に教育委員会が進路を判定してくれますが、その判定に従わない親御様もおられます。判定に従わないでおいて、責任は取らないという親御様ですね。

 例えば、支援級判定が出たのに、普通級を選択するとか、そういう事ですが。

 息子の時代も、そういう人は一定数おられました。親御さんは良いのかもしれませんが、合わない環境に通うお子様は大変そうでしたし、担任の先生もお疲れのようでした。騒いだり離席を止められないお子様だと(授業中静かに座っていられないお子さまだと)、教頭先生など手のあいている先生が、常時付き添っていたのを覚えています。授業中いつも、教頭先生とその生徒さんが、校庭をお散歩しているという感じでした。季節のいい時はいいですが、暑い時期寒い時期、天気の悪い日等、大変だなあと思って見ていました(私は幼・小・中とPTAをやっており学校によく行っていたので)。

 

 話は少し変わるのですが。

 特別支援学校や、小学校の支援級を運営するには、お金がかかります。税金が使われるわけです。福祉予算を削減したい国としては、将来的に、特別支援学校や、支援級を、減らしていきたい(無くしていきたい)という方針のようです。

 障害児に手厚い教育支援を行っても、将来的に国の発展には繋がらないからでしょうね。高齢者介護施設も、格安の公的な所は、常に満杯で申し込んでも何年も待たねばならない状況が、ずっと続いているのに一切改善されないのと、理屈は同じでしょう。

 インクルーシブとかいう美辞麗句で誤魔化していますが、結局のところ、障害児に対する義務教育に税金を使いたくない、という事だと思います。

 息子の小さい頃は、今よりもっと発達障害児への公的支援が無く、放課後等デイサービスもありませんでした。段々、障害児への支援が充実してきたなと思っていたのですが、ここに来て、後退していく気配を感じます。

 まだ支援学校や支援級が存在する時代なので、もし判定が出たのであれば、利用したほうが得策ではないかと、個人的には思います。いずれ、福祉予算が削られ、障害児に対する特別な支援がなくなり、小学校に通えない場合は、「家庭で育てて下さい」という時代が、来るような気がします。

 

 長々と、何が書きたかったかというと、その子に適した環境で支援を受けながら成長させてあげたほうが、理屈的には良いわけですが、、

 これはあくまでも理屈であって、息子のように、障害があっても普通級で育ち、なんとかなっている例もあるので、一概には言えないのが難しいところだ、という事です。

 もし子供に障害があっても、普通級で育て、健常者の世界で生きて行ける人間にするには、親が出来る全ての力を使って子供を支援し続けるしかないと思います。

 国がやってくれる支援を、親がやる。支援級や支援学校でやってくれる特別な教育を、親が家でやる。幼児の時期なら、療育施設がやってくれる療育を、親が家でやる。子供を叱る事なく、感情的にならず、淡々と計画的に。親が一切の甘えを捨て、子育て一本に人生を振り切る。国の福祉に頼らず、家庭で(大抵の場合、母親一人で)全ての支援を賄う。

 これをやりきれたら、発達障害があっても健常児のコースに入れて、子供が自立できるところまで持って行く事は、可能かもしれません。

 

 息子に、今までの人生で一番イヤだった時期はいつ?と聞いたら、小6の1年間だと言います。担任の先生が弱くて、生徒が先生を舐め切っていて、イジメが盛んだったそうです。幸い、息子は、不登校になるほど虐められず(私が、イジメを行う生徒を名指しでガンガン学校へクレームを出し続けたので)、なんとか無事に乗り切りましたが、大変でした。ピリピリした1年間でした。

 それ以外の時期は、イヤなことはなかった、と息子は言います。小・中・高とわりと楽しかったし、大學の今は自由が多いので、一番楽しいと。

 なので、親が必死になれば、ある程度、子供の幸福は支えらえるのではないかと私は思います。親が、親自身がやりたい育児ではなく、子供が求める育児をやってあげるという事です。でも、それは無理、とか、やりたくない、というのもアリだと思うし、一人一人が自分の生き方として、選択するしかないんだなあと思ったりします。

 長々と書いてしまいました。最後まで読んで下さった方、有難うございました。今日はこのへんで終わります。