書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

人は自分を重要人物だと思いたいのか

 昨日、つくづく「人というのは、自分を重要人物だと思いたいんだなあ、、」という事を、感じました。いえ、重要人物たらんと切磋琢磨し努力を重ね、多少はたからは見苦しいと思われるほどに必死にやっている人なら、「自分は重要人物であるべき」と考えてもまあ、良いと思うのですが。

 何もやっていないのに、周囲が自分のことをほっておかず、勝手に重要人物扱いしてくれるべきと願うのは、なんなんだろうなあと、感じた、というお話です。

 

 というのも、昨日、叔父が、とある病で、とある病院にて、亡くなりまして。

 わりと成功者で多少有名人でもあり人間関係が広かったせいでしょう、叔父は、自分がその病院に入院している事は、誰にも知らせないよう厳命していたそうです。知っていたのは、妻子のみ。

 ですんで、私も知らなかった。で、亡くなって後で、実は亡くなったと連絡があったのです。

 

 死に際は、叔父の息子が付き添っていたそうで、さみしい最後でもなかったようで、良かった。もうそろそろ危ないという頃に、その息子が、叔父に、「最後に会いたい人はいるか」と聞いたら、叔父は、離婚した前の奥さん含め、数人の名前を挙げたそうです。息子は彼らに連絡し、来てもらい、叔父は死ぬ前日に彼らにも会う事ができたそう。だから、心残りはなかったはずで、90歳ですし、大往生と言えるのかなと思います。良い人生だったんじゃないかな。私は叔父の事が好きだったので、良かったなあと思いました。

 叔父の死の知らせに、私は、そういう感想を抱いたのですが。

 

 何故か、母や姉は怒っている。

 

 母とも電話で話したし、姉とも電話で話したのですが、彼女達が怒っている理由は、どうやら、「死ぬ前に会いたい人リストに、自分が入っていなかった事」のようでした。。。

 

 いや、そりゃあ、入らないでしょう。母も姉も、別段、叔父と深く付き合ったわけではないのですから。どうして呼ばれて当然と思うのか。。。

 

 叔父さんと死ぬ間際に会いたかった、さみしい、、、というような事ではないのです。母も姉も、自分は叔父にとって、重要人物ではなかった、という事実を突きつけられ、怒っているんですね。

 う~ん。。

 

 それで、私は冒頭の感想を抱いたのです。人は、自分を重要人物だと思いたいものなのかもなあと。それなりに努力しているならまだしも、そうでなくても。。

 

 そもそも、母も姉も、叔父の事をあまり認めていなかったぐらいです。姉などは、はっきり嫌いと公言していたぐらいで。

 

 姉との電話で、私が、

「叔父さんって、すごい人だったよね」と言うと、姉は、

「え~、そう? あんなの、全然、すごくないよ」と言うし。

「離婚した前の奥さんを呼んだんだってね」と私が言うと、

「そりゃあ、あれだけ叔父さんにごますって、へつらって、イエスマンしてたら、かわいがられるでしょうよ」と。

「でも、私達も、けっこうお世話になったよね」と私が言うと、

「まあ、使えた人だったよね」と。

 

 う~ん。どうしてそういう意地悪な言い方するんだろうか。

 ずっと姉と距離をおいていたものですから、久しぶりに姉と話し、姉の物の言い方を久しぶりに聞いて、ああこの人はこうだったなあと思い出しました。

 姉は、自分が上に立ちたい気持ちから、人をより効果的におとしめられるきつい言葉を、あえて使うのですね。言葉選びが意地悪なんですよね。私の事を言われているわけではなくても、気分が悪くなります。

 

 久しぶりに姉と話して、なので私はかなり疲れてしまったのでした。普段は、息子や夫としか話していないので。息子は他人を批判的に見るという事が一切ない人なので、強迫障害っぽくなって私に絡んでくる時以外は、いつも穏やかなんですよね。最近は、息子から絡まれる事もめっきりなくなったし。夫は、他人の悪口は言わない人で(そういうのは、女子供の井戸端会議で低レベルだと思っている)、というかそもそも夫とは出来るだけ話さないようにしているので。

 久しぶりに、姉の意地悪な物言いを聞いて、ぐったりしました。毎日、こういうのを聞かされている家族は大変だろうなあ、、、。

 

 母と話した時のことは、またいずれ書きます。

 叔父の冥福を祈りつつ。ではまた。

 

 このたびの台風は大きいようで、進路の方には被害が出ない事を祈ります。