今日は立て続けに、もう1つ記事を書きますね。
息子の大学では、グループ発表が、よくあります。年に最低でも2回はあります。
教授が機械的に学生をグループ分けして課題を投げ、後は学生が勝手に相談してやれ、というスタイル。
学生どうしの打ち合わせは、コロナ禍ということもあり、ライン一択。
対面で打ち合わせする時間を、大学側が取ってくれたら随分ラクなのですが、最初から最後までラインだけの打ち合わせで、発表の時だけ、対面なのです。
なぜ、対面打ち合わせがラクかというと、逃げられないからです。
ライン打ち合わせだと、やる気がない人は、一切出て来ません。締め切りは決まっているし、発表の配点は高いので、下手すると発表失敗で留年という事態にもなりかねません。なので、留年したくない学生は、真面目にやろうとするのです。
でも、すでに留年決定の学生(います。一教科でも落とすと留年なので)や、そもそも他人任せ根性が染みついている学生(これも結構な割合でいます)は、ライン打ち合わせだと、全く出て来ません。
例えば、10人のグループを作られたら、半分の5人は打ち合わせに参加している感じです。でも、残りの5人は全く出て来ません。
でも、グループ発表は、全員参加が大前提なので、全く出てこない5人のせいで、打ち合わせが全然前に進みません。
これでいく?という問いかけに、半数は無反応なので、先に進めないわけです。
これが対面だと、その場にいるわけなので、「これでいく?」と聞かれたら、うなずくなりなんなりの反応をしないわけにはいかないので、物事が先に進みます。
でもラインだと、「これでいく?」と書き込みがあった後、無言の5人が無言のままで一切書き込みしてくれないのです。だから、そこから打ち合わせが進まない。
勿論、課題が難しくてよく理解できないために、参加できない、という人もいるでしょうが、分からないなら分からない、と書けばいいのに、と見ててイライラします。
でも。
打合せに参加する5人のうち、たいてい1~2人、しっかりした人がいて、あれやこれやの手を打って、なんとか課題を前に進めてくれます。こういう人達は、本当に素晴らしいです。偉いと思う。
息子は、なかなかそこまで出来ないのですが、出来ないなりに、打ち合わせには積極的に参加して、これも偉いと思います。
もう本当に。
障害がある子でもこんなに頑張っているのに、せっかく健常者に生まれた人達が、人迷惑に無言を貫いて、他力本願で、高みの見物。必死で頑張ってやってる人達を、バカにしてみてるんだろうね、きっと。
で、何にもやらなかった人達、やってる人が頑張って形にしたところで、締め切りギリギリの数日前にしら~っと参加してくるんですよ。
いつもそう。
いつも、お膳立てが整った段階で、今まで一切参加してなかった人達が、一斉に参加してくる。もう2~3分で全員参加ばーっと参加して、出来上がった成果を横取りですよ。
うまく書けませんが、そういう事が、ライン上で行われております。
私は、後から、息子のラインの記録を見せてもらって、猛烈にイラつくんですよ。
なんなん、この子ら。全然参加してなかったくせに、今頃のこのこ出て来て。まずは、謝ったり、お礼言ったり、しろや、と思う。
なんなんでしょうね。あの根性は。
一切参加せず、意見も言わず、逃げてた人達、お膳立てされた簡単な作業だけやって、「やりました」と、堂々と成果を手にするんですよ。
真面目に頑張った人が、損する。恥知らずで要領だけいい人が、得する。
本当に腹たつんです。だから、私は、息子の大学のグループ発表が大嫌いです。ほうっておけばいいのですが、さすがにコミュ力に難のある発達障害を、放置するわけにはいかないので、ポイントポイントでチェックしてます。そして盛大にイラつくわけです。
イラつく私がおかしいのか。。。
有難いことに、必ずグループの中に、しっかり頑張ってくれる人が1~2人おられるんですよ。これも毎回不思議です。10人グループで、10人とも無言、という事態に、なった事は過去一度もありません。
ただこれが、5人グループとかだと、全員無言、というのはあります。発表ではないけれど、グループ討議みたいなのがコロナのせいでオンラインでよくあった時(2年前)、全員が無言で1時間、とかしょっちゅうでした。誰も何も発現しない。話し合った意見をオンラインで提出しないといけないので、最後の10分ぐらいで、息子ともう1人誰かがささーっと会話して、結論だけ出す、みたいな感じでした。残りの3人は、顏も出さずミュートのままで、息子たちの会話だけ聞いて、それを自分達のグループの意見です、と提出してたんでしょうね。
姑息過ぎて、反吐がでる。
今時の学生さんの何割かは、姑息で何かが歪んでいる気がします。それとも、これが普通の人間性なんでしょうか。社会の縮図なのだとしたら、ウンザリです。
私が学生の時って、こんな感じだったかなあ。ラインどころかメールも携帯もなかったから分からないけど。私は学生の時に、グループ発表で悩んだ記憶がありません。今の人達が、本当によく分かりません。一人一人は丁寧だし親切だし謙虚なのに、一旦オンラインの影に隠れると、全く理解できない人達に変わってしまう気がします。
大学側は、これからの時代コミュケーション能力が大事だから、とグループなんちゃらの機会を、とても増やしているのですが、やり方がへたくそなので、実質は、コミュ力=姑息力、になっています。
真面目な半数の学生は、テスト前の忙しい時期に、自分の勉強の時間を削って、グループの為にあれこれ調べたり形にしたりする作業に追われます。姑息な残り半数の学生は、自分の勉強だけしていて、出来上がる寸前に参加して、お膳立てされた成果を手にするんです。
おかしくないですか? これが、大学が要求するコミュ力なんでしょうか。
これからの時代(今までもそうだったのかもしれませんが)、コミュ力=姑息力、なのかもしれません。そして、息子は発達障害でコミュ力無いですが、姑息力ならなくてもいいわ、と思います。
有難い事に、息子はこういう人間関係のもやもやは、一切分からないので、不満も何も感じないようです。
でも健常者さんは、大学生活を通して、間違った事を身に着けるでしょう。真面目にやるだけ損、だと体感するし、世の中要領が全て、だと思ってしまうでしょう。恥の概念など生きるのに邪魔になるだけだと勘違いするし、大事なのは鈍感力だと思いこむでしょう。
でも、本当はそうじゃないですよね。コミュ力というのは、思いやりの気持ちが基本です。それは、他人の為ではなく、自分の為です。人の中で生きていくのに、最も必要なのは、思いやりです。
姑息さをコミュ力だと思って生きていると、必ずどこかの段階で大きく転びます。今の大学システムは、ここを勘違いさせられるようになっています。とても残念ですね。