書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

見本を見せないという事、人の良い面だけを見て付き合うという事。

 今日は、二つの事を書きたいと思います。

 一つ目は、「人に何かを指示する人が、やり方も教えないし見本も見せないという事」について。

 息子の大学では、そこそこ「何かを調べてグループで話し合い、その結果を発表する」というワークが課せられています。結構な頻度で。

 このご時世ですので、話し合いはほぼZOOMでやって、発表もZOOMでパワーポイントでの発表という事が多いです。これやっている学生達は、相当なストレスだと思います。

 ZOOMという閉じた世界なので、他のグループがどういう風に話し合っているか全く分からない。というか、そもそも、話し合うテーマだけポンと与えられているだけで、それをどういう風にどういう結論に向かって話し合えばいいか、は全く不明状態。この「どういう風に話し合うか」の見本が無いのです。

 ただ、「話し合え」と指示されるだけで。

 まず全員が対面で顏を合わせた事がない。見ず知らずの他人です。話し合う方向性も分からない。何を導き出すのが正解なのかも示されない。ただ、最終的にみんなの前で発表しますよ、という脅しだけを告げられる。

 これね。大人でそこそこコミュニケーション能力がある人でも、相当難しいですよ。

 私の会社員時代を思い出すに、会議というものは、長年会議をやっているベテランさんがいて、会議初心者の新入社員は、そこへ入っていくだけなので、最初の頃は、「ふむふむ、会議というのはこういう事なのだな」と、見て学ぶ事ができます。会社の会議なので、材料もそろっているし、目的もハッキリしている。方向性が見えている。しかも、「発表」とかいう意味の分からない所が最終目的ではなく、目的は「利益を出す」これ一本。ものすごく分かりやすかった。

 でも、息子の大学のグループワークは、全員が初心者で、全員がグループワークとは何ぞや、というものを知らないのです。

 なぜ知らないのかとういと、見本を見せてもらっていないから。

 酷い話だな、と思います。

 

 これでも、個人単位での研究発表なら、まだマシなのです。方向性を読み間違って(何故なら明確な指示をもらっていなから)失敗した時の責任は、自分だけが負えばいいから。

 でも、グループなので、全員が負わなければならない。つまり、下手な発言をして、グループを間違った方向にミスリードしてしまったら、他人に迷惑をかけてしまう。この怖れがものすごいのです。だから、誰も意見を言えない。ZOOMなので、ずーっと沈黙が続いたりして、横で見ていて胃が痛くなります。

 それでもまあ、頭のいい子達だし、要領も、空気を読む力も抜群な子達なので、最終的には何らかのものをパパパっと仕上げて、課題をクリアできるレベルまでには持っていくのですが、あのストレスは本当に気の毒です。

 あれは勉強でもなんでもなく、教師による学生に対するイジメだと思います。

 自分達が同じ事をさせられてみなさいな。初対面の人間達とお仕着せでグループ組まされて、自分が選んだわけでもなんでもない興味も何もないこれまたお仕着せのテーマをポンと与えられて、「話し合え。そして発表資料を作って発表しろ」と言われて、正解に辿り着けますか。自分達が同じことできます? しかもZOOMでですよ。無理でしょ? それを、かなりの頻度で繰り返し学生にさせているという。

 この行為から、何を学べと言うのでしょうか。疑問です。ひたすら、他人を犠牲にしてでも要領よく立ち振る舞うという神業的処世術を磨くだけだと思う。出来ない学生は留年です。

 

 真面目な事を言うと。

 学校側が、生徒達にグループワークをさせたいなら、まず、「グループワークとは何ぞや」という見本を、見せるべきだと思います。そして、最終的に発表させるなら、テーマをポンと与えて終わり、ではなく、学校側はどういう発表を望んでいるのか、どういう発表が正解なのか、それも明確に示すべきです。

 そういう事な~んにもしないで、ただ、学生を適当にグループ分けしてテーマだけ与えて、「発表するから話し合え」と言い、賢い学生達が空気を読んでうまくまとめ上げたものを上からジャッジするという。

 なんかどっか、おかしいよね、と私は思うし、こういう事をずーっと経験させられる学生が、上の世代に対して諦めを持ち、心の底から馬鹿にするのは当然だと思います。

 私達年寄りは、いつか若い人達に、切り捨てられても仕方ないと思います。文句言えないわ。

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 長くなりますが、もう一つ。

 私は、昔から「どんな人も、一人の人の中に、良い面と悪い面の両方を持つものだから、他人と付き合う時は、その人の良い面だけと付き合えばよい」と思っていました。

 ずっとそれでやってきて、あまり不都合を感じなかったのですが、最近なんか違うかも、と思うようになりました。

 良い面とだけ付き合っているつもりなのだけど、付き合っている中で、相手の悪い面が我慢できなくなる瞬間があるのです。相手の悪い面に違和感を感じつつ、我慢に我慢を重ねていて、ある時、ぽろっと皮肉めいた苦言を呈してしまうと、そこから逆切れされて付き合いが終わる、という事が、過去に何度かあったなあと思い出しました。

 全ての友人がそう、というわけではなく、明らかに違和感を感じる面もあるけれど、楽しい人だから、その人の楽しい部分とだけ付き合おう、と思っていた人と、そういう風に付き合いが終わる、という事が、何度かあったなあと。

 誰と友達になるのか、というのは、本当に自由なので、強く違和感を感じる人とは、付き合わない事がいいなあと思います。どれだけその人の「良い面」が好ましくても、同時に「強く違和感を感じる面」もあるのなら、付き合わないほうがいい。必ずいつかは、嫌な思いをする事になるから。

 その人が、私以外の人に対してキレ散らかしているのを何度も横から見ていて、正直私は内心「この人の悪い面と向き合ったりするから、キレられるのよ。この人の悪い面はスルーして、楽しい面だけを見てればいいのに」と思っていました。でも、そういう私も、必ず最後は、キレられるのです。馬鹿ですね。自分だけは、誰とでも上手く付き合えると自惚れていたのです。

 そんな事はない。私だって、他人の悪い面を、常に100%スルーできるとは限らない。他人の悪い面を、100%スルーできるというのは、相当忍耐力があって、賢い人でないと無理だと思います。少なくとも私には無理。

 人の「良い面とだけ付き合う」というのは、口で言うほど簡単なことではないなあと最近はよく思います。

 今日書きたかった事は以上です。

 ではまた~

 

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